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大自然の恐ろしさと生きる山の民 【舟越美夏×リアルワールド】

 あんなに歩いたのは初めてだった。スタート地点の標高1700メートルから、4200メートルの地まで、雄大な景色や動物、植生に心を奪われていたら、6日間で計100キロほど歩いていた。

 後退する氷河と変貌する氷河湖を見たかった。トレッキング初心者でも、ネパール中部ランタン渓谷なら容易に行けると教えられた。ヒマラヤ山脈の一角で「世界で最も美しい谷」といわれる場所である。この地をよく知る建築家、中原一博さんが案内してくれた。

 歩き始めは、シダやコケ、キノコなどが生える森。木の枝に座るハヌマンラングールと一瞬、見つめ合った。3千メートルを越える頃には、風景が変わった。雪を抱いた6千メートルを越える厳しい岩山が見える頃から、私はハイテンションだった。

 出発2日目。標高3500メートル余りのランタン村に到着した。渓谷に広がる牧草地では馬が草を食み、数棟の低層ホテルと平屋の民家がポツポツと立つ。

 のどかなランタン村は実は、2015年4月25日に全滅した。正午前に起きたネパール大地震が引き金で発生した大規模な雪崩が村を襲ったのだ。名古屋大学などの調査では、落下した氷雪は681万立方メートル。地震発生前の冬に降った100年から500年に一度という豪雪が、雪崩の規模を増幅させた。凄(すさ)まじい爆風が、周辺数キロに渡り民家や木々をなぎ倒した。当時村にいた住民や外国人ら約350人が犠牲となり、その半数以上の行方は今も不明だ。

 ホテル経営者ニマさん(43)は地震発生時、所用で下の村にいたが、両親と妻は村にいた。氷と雪をかき分け戻ると、村は影も形もなかった。洞窟で夜を明かし、家族を探した。3、4日後にヘリコプターで軍や外国人が救助に来た。自宅から約百メートル離れた氷雪から妻の遺体を掘り出し、爆風で倒壊した両親の家の中で父の遺体を見つけた。母は今も行方が分からない。

民族楽器を演奏するニマさん

 余震で再び大きな雪崩が起き、軍はランタンを封鎖してニマさんらをヘリコプターで首都カトマンズに運んだ。カトマンズで高校に通う子どものためにも生きなければ、と思った。

 「でも私は、山の民なんです」。1年間の避難生活の後、ニマさんは仲間たちと山に戻った。近隣の村への移住計画はうまく行かず、元の場所で村の再建を始めた。復興支援をしていた中原さんは、ニマさんのためにホテル設計をした。新型コロナという再び厳しい時代を乗り越え、観光客が今年戻り始めた。だがニマさんは、どこか寂しげだ。

 「昔のランタンはないのです」。部族に伝わる昔話や歌を伝え、人々の幸せのために祈りを捧げていたお年寄りは、大自然の中に一瞬で消えた。グローバル経済がこの地にも及び、人々は助け合いよりも金儲けを優先するようになった。天候も変わった。冬は雪が降らず、昼間は夏のように暑い。夏に大雨が降り、作物を植える時期が1カ月早まった。それなのに川が二つ枯れた。

 大自然の恐ろしさを知りつつも、それでも共に生き続ける。そんな覚悟のニマさんに見送られ、私たちはさらに上を目指した。

 

舟越美夏(ふなこし・みか)/1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年7月10日号掲載)

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