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被災地の外国人技能実習生たち 【水谷竹秀✕リアルワールド】

石川県能登半島を震源とする地震の被災地では、外国人たちも避難生活を送っている。

「寒いです。雪が降っています。家の水は使えませんが、電気、インターネットはあります」

同県七尾市に住むカンボジア人女性タヴィ・ボンさん(25)が1月8日、無料通話アプリを通じ、たどたどしい日本語で状況を説明してくれた。雪が降り積もった同日の気温は、今季最低のマイナス2.4度を記録した。

「いま私たちは安全で、十分な食料とペットボトルの水があります。日本人や地域の方々に協力をしていただきました」

技能実習生として食品工場で働くタヴィさんは、地震が発生した1日午後4時過ぎ、自宅2階で洗濯物をたたんでいた。突然、緊急地震速報を知らせるスマホのアラームが鳴り響き、自宅が激しく揺れたため、同僚のカンボジア人たちと一緒に外へ飛び出し、近くの公園へ駆け込んだ。

能登半島地震が起き、幼稚園で避難生活を送ったタヴィさん(中列左端)=石川県七尾市(本人提供)

能登半島地震が起き、幼稚園で避難生活を送ったタヴィさん(中列左端)=石川県七尾市(本人提供)

「びっくりしました。すごく怖かったです」

死者5人(1月11日現在)を出した七尾市は、震度6強を観測した。タヴィさんのフェイスブックには、被災直後の自宅の映像と写真がアップされている。2階にある寝室の壁はひび割れ、1階の台所は、食器棚が倒れ、床には粉々になったガラスコップや皿などが散乱していた。

タヴィさんたちはしばらく、市内の幼稚園で日本人とともに避難生活を送った。8日になってようやく自宅へ戻り、片付けや掃除を始めた。

「私の国には津波がないので、この恐ろしい自然災害を経験するのは生まれて初めてです」

石川県に滞在するカンボジア人は2022年末現在、93人に上り、七尾市はタヴィさんを含む12人が暮らす。タヴィさんはカンボジア西部、バタンバン県の出身だ。6人兄弟の末っ子で、農業に従事する両親のもとで育った。幼い頃に父が病気で亡くなったため、経済的な事情から中学を3年生で中退。首都プノンペンに移って日系の自動車製造工場で働く。その後はカフェのケーキ職人に転職した。しかし月給400ドル(約5万8千円)では生活が苦しく、技能実習生として22年11月に来日した。

「お給料は13万〜15万円に増えました。そこから2万円を生活費に充て、残りはカンボジアの兄弟に送っています」

七尾市の一軒家で、カンボジア人の同僚8人(うち男性2人)と暮らし、生活費はかなり切り詰めていたようだ。そこへ今回の地震が襲い、生活が一変した。命は無事だったが、勤め先の食品工場が損壊したため、仕事ができなくなった。同僚8人のうち6人が近く、カンボジアへ帰国する予定というが、タヴィさんは日本に残らざるを得なかった。

「飛行機のチケット代が高く、お金がありません。たぶん会社の人が、別の食品工場で働かせてくれるかもしれません。働きたいです」

被災地に生きる外国人たちもまた、厳しい寒さの中で不安な日々を送っている。


水谷竹秀(みずたに・たけひで)/ ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、「日本を捨てた男たち」で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。

(KyodoWeekly 2024年1月22日号より転載)

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