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ロシア当局が恐れる「ペンの力」 【沼野恭子✕リアルワールド】

ボリス・アクーニンは、1998年に歴史推理小説シリーズを刊行し始めて以来、驚異的な人気を誇ってきたロシア語作家である。

実は、エラスト・ファンドーリンという探偵役の主人公が難事件を次々に解決していくこのシリーズには「金剛乗」という長編があり、物語のほとんどが1878(明治11)年の日本を舞台に繰り広げられる。ファンドーリンは日本で忍術を学び、運命の女性ミドリと愛し合い、ひょんなことからマサという男の命を救う。律儀なマサは、それからずっと主人公に付き従い、ロシアにまで行き、以後のアクーニン作品にたびたび登場する。そのため、ロシア語読者に「最もよく知られている日本人」と言われるほどだ。

アクーニンは、日本を「第二の故郷」と呼ぶジャパノロジストでもあり、三島由紀夫や丸山健二をはじめとする日本の文学作品を数多くロシアに紹介・翻訳したことで知られる。その功績が認められ、野間文芸翻訳賞や旭日小綬章を受賞している。

彼はかねてよりプーチン政権を厳しく批判し、2014年のロシアによるクリミア併合にも、22年に始まったウクライナへの軍事侵攻にも強く反対してきた。14年よりヨーロッパで事実上の亡命生活を送っている。

昨年12月には、ロシア金融監視庁が「ロシア軍の信用を失墜させた」としてアクーニンを<テロリスト・過激派>に指定し、この1月にはロシア法務省が彼を<外国エージェント>のリストに加えた。これに連動する形で、彼の本を出してきた出版社ザハーロフは家宅捜索を受け、ロシア最大手出版社アストはアクーニン作品の出版・販売を停止すると表明。本の表紙にあった「アクーニン」の名前は無残に塗りつぶされ、ロシア青年劇場はアクーニン原作の芝居を突然すべて上演中止にした。

14年当時は、作家ドミトリー・ブィコフやリュドミラ・ウリツカヤらとともにアクーニンは「第五列」と、ののしられた。これはスペイン内戦のときに使われだした「スパイ、裏切り者」を意味する言葉だ。昨今は、同じく「スパイ」を意味する言葉でも>外国エージェント<が流行(はや)っているようだ。金曜日というと、<外国エージェント>のリストにだれかの名前が追加される。

この不条理な現象は、ロシア当局の外国人嫌悪(ゼノフォビア)を反映しているともいえるが、それだけでなく、優れた才能をますます国外へ流出させ、国内ではさらに文学・芸術の検閲が強まることを予想させる。と同時に、政権がアクーニンのきわめてまっとうな主張、「言葉の力」を恐れている証拠でもあるだろう。

アクーニンら国外在住の仲間が立ちあげたウクライナ支援団体「本当のロシア」は、昨年末に発表した声明で次のように述べている。

「私たちの活動はもっぱらウクライナにおけるプーチンの戦争で犠牲となった人々への人道的な支援であり、(中略)今までも支援してきたし、今も支援しており、これからも支援していく。(中略)戦争とテロリズムはこの世にあってはならない」

哀しみと恐怖で凍りつきそうになる心にとって、巨大な権力を前に一歩もひるまない「ペンの力」こそ「本当のロシア」の声であり、何よりの希望・救いである。(敬称略)

面白くも恐ろしい「サバキスタン」 【沼野恭子✕リアルワールド】 画像2

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

(KyodoWeekly 2024年1月29日号より転載)

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