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国境を越えたウクライナ人は語る 【沼野恭子✕リアルワールド】

 東京外国語大学に勤めていた私は2015年度から、同僚たちと2期6年間にわたり、日本学術振興会の「科研費」の助成を受けて、東スラヴ文化圏の文学・文化・歴史を共同研究した。ロシア、ウクライナ、ベラルーシそれぞれの文化に特有の現象や相互の複雑な関係について調査・研究し、現地の研究者や作家らと交流しながらシンポジウムや講演会を開催するというものである。

 その活動の一環として、18年7月に大学で、ウクライナの日本研究者で作家のオリガ・ホメンコ氏(現オックスフォード大学日本研究所フェロー)に、現代ウクライナ文学について講演してもらった。ウクライナ文学を巡る最新情報と鋭い分析に満ちたその講義内容は、大学のウェブ・ジャーナルに論文として掲載されている。

 先日、そのホメンコ氏より、新著「キーウの遠い空─戦争の中のウクライナ人」(中央公論新社)をいただいた。今回の戦争が始まってからのウクライナ人のトラウマや感情、出国、暮らし、そして現状に関する彼女自身の見解などを日本語でつづったエッセー集で、過酷な戦禍を前向きに乗り越えようとしている人々の声を伝える著者の研究者らしい冷静な語りに深く心を動かされた。

 実は、ホメンコ氏は22年の戦争開始直前にも日本語による著書「国境を越えたウクライナ人」(群像社)を出している。こちらは、18世紀の〝さすらいの哲学者〟フリホーリイ・スコヴォロダー、19〜20世紀の音楽家セリヒーイ・ボルトケーヴィチ、画家でデザイナーのソニア・ドローネー、日本語に精通していたステパン・レヴィンスキイなど、ウクライナを起点に国境をまたいで活躍した10人の生涯を活写し、「国境」とは何かを考察した本である。「キーウの遠い空」でホメンコ氏も述べている通り、戦争で彼女自身が「国境を越えたウクライナ人」になったことを思うと、実に予言的な書物だったといえる。

 興味深いのは、どちらの著作でも触れられているが、19世紀末から20世紀にかけて約100万人ものウクライナ人が極東に移り住み、「緑ウクライナ」という自治区を設立しようとしていた事実だ。ホメンコ氏がアメリカの資料館で発見した文献には、彼らと日本との接触について詳細が記されているという。

 ある程度自発的なものであったとしても、愛する故郷を捨てて移民になるというのはそうとうつらいことだ。ましてや、今回のように戦争のせいで、取るものもとりあえず避難せざるを得なくなったウクライナの人々にとって、ディアスポラ(国境を越えた離散)の先に希望を見いだすのは容易なことではない。

 それでもホメンコ氏は、今回のロシア軍による侵攻をきっかけに歴史を見直し、ウクライナの人々は「受け手」から「語り手」へと変貌しつつあるとポジティヴな観察も忘れない。そうであれば私たちは、ウクライナの「語り手」が発信するそうした力強い声に真摯(しんし)に耳を傾けていくべきだろう。

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年9月4日号掲載)

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