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声を上げる 【コラム カニササレアヤコのNEWS箸休め】

 化粧ポーチに手を突っ込んだら、剃刀(かみそり)で指がスッパリ切れた。みるみるうちに赤い血が湧き出て、拭いても拭いてもしずくになって滴れてくる。久しぶりに見る鮮血にあっけにとられ、あ、やばいかも、とか一人で言いながら、死ぬ時もたぶん同じこと言って死ぬんだろうなと思った。自分の覚悟とか自覚とかとは関係なしに、そういう瞬間はいきなりやってくる。その時にはもう、起きてしまったことを受け容(い)れるしかなくなっている。

 本番10分前だった。しかもフランスだ。言葉も位置関係も分からない大学の構内で保健室を見つけ、ばんそうこうをくださいと伝えるだけでも骨が折れる。血が出ているのに息を切らして走り回って、なんとか楽器に血が付かないように手当てをし、出演したのは即興演奏のコンサートだった。

 即興演奏とひと口に言っても、ジャズ、古楽などいろいろあるが、今回われわれがパリ国立高等音楽院で行なったのはコンテンポラリーのインプロ(写真)。要はなんだかよく分からない不穏な音の集まり。東京藝大から学生が数人、パリの即興演奏科と交流するために派遣されるというので、私ものこのこ参加した。

箸休め

 即興のクラスに参加して驚いたのは、開かれた空間の大らかさ。とりあえず音を出す、動く、叫ぶ。それを誰も否定しない。「即興は自分自身を肯定する」と即興科の卒業生が言ったように、その場にいる誰もが自由で、お互いを尊重し、受け容れてくれる。普段は人が書いた楽譜を追っている彼らが、自身の内から湧き出るものを表現しようとした時の、その発露の鮮やかさと爆発力には心の震えるものがある。お互いの言葉も分からないまま楽器や声を使った即興演奏を繰り返すうちに、フランス人学生とはすれ違うたび奇声であいさつするようになった。奇声は世界をつなぐ。

 一方で、パリ市内では政治や戦争に対する大規模なデモが頻繁に行われていた。容認できないことに対してはきちんと声を上げるべきだという文化が、若者の中にも浸透している。国や政治は自分たちの手で作り上げるのだという感覚が強く、意見を持つことを恐れていない。

 ポーチの中でカバーの取れた剃刀を、危ないなあと思いながら放置していたのは私だった。血が流れてから、分かっていたのにとか、あの時ああすればよかったとか、言ってももう遅い。〝新しい戦前〟を生きる私がパリの大学生に学んだことは、音楽だけではなく、もっと何か生きることに対する姿勢だった気がする。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 50からの転載】

入稿1_カニササレアヤコ「NEWS箸休め」

 

かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。

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