市川團十郎、市川新之助「こういう形で記録に残せたのは非常によかったと思います」【インタビュー】『襲名』
-クライマックスの「勧進帳」で、歴代の團十郎さんによる弁慶と富樫が重なって映るシーンも、三池監督の発案でしょうか。
團十郎 私からは何も言っていません。三池さんが一生懸命にお作りになって、ああいう形になってよかったと思います。父(十二代目)とパリのオペラ座でフランス語で口上をして、「勧進帳」をした時のことや、父の病気のことや舞台のことで大げんかをしたことも思い出しました。そうした思い出深いものを、また改めてああいう形で見られたことは、うれしいというか、ぐっときましたね。
-新之助さんは、歴代の團十郎さんによる「勧進帳」を見てどのように感じましたか。
新之助 十一代目さんと十二代目さんと十三代目の「勧進帳」を見て、やっぱり歌舞伎ってすごいんだなって改めて実感しました。何か言葉では表せないような奥深さがあった気がしました。自分もやってみたいという気持ちになりました。
-歌舞伎と映画との関わりについてはどう思いますか。
團十郎 私は、演劇を映画として残すことに関してはあまり賛成しません。例えば、歌舞伎の25日公演のうちの2日間だけを撮って、それを歌舞伎として見せるというのは、個人的にはあまり美しくないと思います。25日間の公演中、カメラをちゃんと客席に置いて、千秋楽の後に、大変な作業ですけど、もう1回映像用に作り直して、別事業としてきちんとやっていくのであれば賛成します。ただ、今回のように、海老蔵が團十郎になるのを、リアルに、同じ時間軸で起こっていることとして見せる。そういうものが記録として残っていくのはいいと思います。要は、歴代の團十郎には写真集などがありますが、残していく形を新しく模索する中で作ったものです。また、それとは別に、歌舞伎をより多くの人に知っていただくきっかけを作ることが大事だと思います。そういう意味では、多くの方々に見てもらえるドキュメンタリー映画という形はよかったと思います。
-三池監督について印象に残っていることは。
團十郎 監督が楽屋にカメラを持ってくることがありました。でもお互いにプロだから、無駄な会話はゼロでした。そういうのは篠山紀信さん以来かな。私の楽屋ではどなたともお会いしないようにしていますが、そんな中で楽屋にすっと入ってきて一番スマートだったのが紀信さん。音がしないわけではないけれど、まるで忍びのように。三池さんも、今思えばどこにいたのかなというぐらいでした。そういう意味では、襲名のタイミングでいろいろと撮影が難しいこともあったと思いますが、私は舞台に集中できた。これは素晴らしいことで、これが本当に大事なことだと思います。劇映画の撮影の時も、三池さんが監督だと、カメラに向かって芝居をすることが全くなかったです。
-新之助さん、少し前の自分を見て、どう思いましたか。
新之助 あまり成長していないかもしれないです。昔の僕の方がちゃんとしていたなと感じます。昔の僕が、お父さんがいない中、急に「外郎売」をするのはすごいなと。今の僕だったら絶対に無理だと思うんですけど、昔は何であんなにすんなりやっていたんだろうと思いました。
團十郎 一番泣けたのは、私が「素襖落(すおうおとし)」をして、その後にこの人(新之助)と一緒に「外郎売」をして、その後夜の部で「星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん)」「義経千本桜」を自分でこしらえて13役をやった月だったのですが、病原菌が喉について声が出なくなって、休演しました。その時に、今のこの人からは考えられないと思うのですが、「自分一人でやる」みたいなことを言って舞台に立った。あの時、私は病院で管がつながった状態で、歌舞伎座の状態が把握できない3日間でした。その3日間でこの人がすごく頑張ったあの映像には泣けました。本能的に危機であることを感じている生物の動きをしていて、ああ無理をさせたなと思い、あそこで一番泣きました。涙が止まらなかったです。
(取材・文・写真/田中雄二)

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