「特集」走ることの本質に迫る躍動感のあるドラマ 肉体と表情の美しさ描くおススメのスポーツ小説
この秋もスポーツ三昧である。名古屋で開催されていたアジア大会が終わっても、MLB(米大リーグ)のポストシーズンの熱戦があり、箱根駅伝の予選会もあった。スポーツ観戦の魅力は、それが筋書きのないドラマであることだ。真剣に競技に打ち込んでいる人の肉体や表情の純粋さ、美しさにも心打たれる。
スポーツ小説は、この美しさを言葉だけで伝える。さらに競技者の心理にまで分け入り、その機微を描き出す。取材を重ねて生み出されたドラマは、躍動感や疾走感をたたえ、飛び切り面白い。
生中継を担うテレビ局の苦労
10月10日から「俺たちの箱根駅伝」の放送がスタートした。実際に毎年1月2日と3日、箱根駅伝を生中継している日本テレビ制作の連続ドラマで、池井戸潤の同名の小説『俺たちの箱根駅伝』(上下巻、2024年)を原作としている。
箱根駅伝を題材にした小説は他にもあるが、この小説の特長の一つは「関東学生連合チーム」に光を当てたこと、もう一つは箱根駅伝の放送を担うテレビ局側の物語も描いたことだ。スポーツ小説であると同時に、企業小説でもあるのだ。
箱根駅伝とはどんな競技なのか。歴史は古く、1920年に始まったという。現在のそれは関東にある大学対抗の競技で、東京・大手町をスタート、神奈川県の箱根・芦ノ湖までの往路5区間、復路5区間、総距離217・1キロを各チーム10人で襷をつなぐ。全ての区間が20キロ以上あり、とりわけ往路5区の〝山上り〟は過酷だ。
中継するテレビ局のスタッフの苦労も並大抵ではない。日本テレビが生中継を始めたのは87年から。中断なしの完全生中継は89年からというから、歴史は意外に浅い。
箱根駅伝の本選に出場するのは21チーム。前回の大会で総合順位上位10校に入ったシード校と、予選会での成績上位10校、それに加えて関東学生連合チームがある。21番目のこのチームは、予選会で11位以下になった大学から各校1人が選抜されて編成される。つまり予選会敗退校の寄せ集めで、かつ急ごしらえ、しかも〝オープン参加〟という位置付けだ。どんなに頑張ってもタイムは公式には認められないし、順位さえつかない。
寄せ集めチームの無謀な挑戦
物語は、明誠学院大4年、青葉隼斗が予選会で走っている場面から始まる。走行距離は約21キロで、各チームが12人を上限に同時出走、上位10人の合計タイムを競う。
ライバル校のエースがペースを上げた。隼斗はその背中に食らいつくが、脇腹に激しい痛みが走り平常心を奪う。気力を振り絞るが、体から悲鳴が上がり、上り坂が断崖絶壁に思える。さらに主将であることの責任感が苦しみを倍加する。「主将の俺がブレーキになってどうする」
ふと、痛みが引いた。自分のシューズの音が聞こえる。走りのペースを意識すると、冷静さが戻ってきた。残り3キロ。ペースを上げ、巻き返す。
しかしチームの合計タイムは11位。本選出場の夢はついえた。「俺のせいだ」。隼斗は自分を責めるが、関東学生連合チームに選出される。
65歳の監督が引退を表明し、商社に勤めている30代の甲斐真人が新監督に就任する。明誠学院大が強豪校と言われていたころの伝説のランナーだ。甲斐は関東学生連合チームの監督も引き受ける。だが、寄せ集めのチームは、全員のモチベーションが高いわけではない。そんな彼らの前で甲斐が宣言する。「私の目標は―本選3位以上だ」。無謀ともいえる挑戦が始まる。
一方、大日テレビで箱根駅伝チーフ・プロデューサーを務める徳重亮も苦境に立たされていた。上司である編成局長が人気お笑いタレントの起用を提案してきたのだ。だが、箱根の中継には、これまで培ってきたやり方があり、理念がある。主役は学生ランナーであり、彼らのレースをそのまま視聴者に届けるべきなのだ。他にも数々の困難が立ちはだかるが、チーフ・ディレクターの宮本菜月らとともに乗り越えていく。
ランナーの物語とテレビ局で働く者の物語が融合するのが、箱根の本選だ。目まぐるしく変わる順位、選手それぞれの個人史や思い、テレビ局の面々の機転と決断…。多くの人たちの苦闘が絡まり合いながら、物語はゴールへと突き進む。
夜空を切り裂く流星のよう
この作品より前に箱根駅伝を描いた作品に、三浦しをんの『風が強く吹いている』(2006年)がある。「走る姿がこんなにうつくしいなんて、知らなかった。これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう」。走ることの本質に迫る小説だ。
主人公の清瀬灰二が銭湯へ行った帰り、蔵原走という天才的なランナーと出会うことで物語が動き始める。走のしなやかで力強いフォームを見た灰二は自転車で追いかけ、声をかける。「走るの好きか?」
灰二は自分が通っている寛政大に走も入学すると知り、自分が住んでいるアパート「竹青壮」に住むように誘う。住人は寛政大生ばかり10人。灰二はみんなに呼びかける。「目指すは箱根駅伝だ」。だが2人以外は陸上経験のない素人集団だ。
灰二は高校時代に右脚を故障し、完治していない。走は暴力事件を起こした過去を引きずっている。傷をかかえた2人が刺激し合い、引かれ合う。
灰二は走に言う。「過去や評判が走るんじゃない。いまのきみ自身が走るんだ。惑わされるな。振り向くな。もっと強くなれ」。灰二は走を見て思う。「夜空を切り裂く、流星のようだ。きみの走りは、冷たい銀色の流れだ」
強さとは何か。走は繰り返し考える。自分の中の迷いや怒りや恐れを冷静に分析する目。苦しくても前に進む力。自分との闘いに挑み続ける勇気。限界を超えていくための粘り。駅伝は、襷をつなぐ競技だ。次を仲間に託す。それもまた強さなのだ。
「どうして俺は、俺たちは、走るんだろう。(中略)こんなに苦しくてつらいのに、どうして走りやめることができないんだろう。もっと強く吹いてくる風を感じたいと、体じゅうの細胞が蠢く」
なぜ走るのかという問いは、なぜ生きるのかという問いに似ている。そのことを実感する一冊だ。

三浦しをん『風が強く吹いている』新潮文庫
直線をかっとんでいく感覚
佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』(全3巻、06年)は短距離走に打ち込む高校生を描いた作品だ。『風が強く吹いている』と同年の出版。長距離と短距離という違いはあるが、走ることがテーマの二つの小説の題に「風」という字が入っていることは興味深い。風は、多くの競技にとって重要な要素だ。
神谷新二は中学までサッカーをしていたが、才能あふれる兄の健一に気後れし、楽しめなくなっていた。高校に入ると、幼なじみの連がいた。中2の時に百メートル走で全国7位になりながら陸上をやめていた連。新二と連は2人で陸上部に入部する。
走ることの喜びが随所に描かれている。例えばこんなふうに。
「いい加速からトップスピードに乗って直線をかっとんでいく感覚。巻き起こす風と着地する地面の感触。バイクでもスポーツカーでもジェットコースターでも味わえない。自分の足で作り出すこのスピードの爽快感。体が飛ぶんだ」
雲一つない青空を背負って
どんなスポーツでも、一流選手が競技する姿には目を奪われることがある。中でも、スキージャンパーの美しさは格別だ。飛翔としか言いようがない姿を見るとドキドキする。
乾ルカの『向かい風で飛べ!』(13年)は、スキージャンプに魅せられた少女、室井さつきと小山内理子の物語。舞台は北海道にある人口4千人の小さな町だ。
小5の途中で札幌から引っ越してきたさつきは、クラスの中でもひときわ大人っぽい雰囲気の理子から「ねえ、ジャンプ見ない?」と誘われる。さつきは、天才ジャンパーの呼び声高い理子が飛ぶ姿を見て思う。「人間は飛べやしないのに。雲一つない青空を背負って、その人は明らかに飛んでいた。力強く、美しく。風に乗るように」
さつきもジャンプを始め、力をつけていく。もっと高く、もっと遠くへ。追うさつきと、追われる理子。理子はいつしか、さつきの成長に脅かされるようになる。
やがて理子がスランプに陥る。練習に出てこなくなった理子を心配するさつき。でも気高い理子はなかなか本心を見せない。
さつきは、常にトップにいた理子の孤独としんどさを知り、理子は自分に欠けていたものに気付く。さつきに教えた言葉が理子自身に返ってくる。「向かい風は、大きく飛ぶためのチャンスなんだよ」。この小説のタイトルにも「風」があることに注目してほしい。

乾ルカ『向かい風で飛べ!』中公文庫
あさのあつこの『バッテリー』(全6巻、1996〜2005年)は野球に打ち込む中学生男子を描く青春小説。近藤史恵の『サクリファイス』(07年)は常に危険と隣り合わせの自転車競技の物語。浅生鴨の『伴走者』(18年)は視覚障害者と共に走る伴走者を主人公にした「夏・マラソン編」と、アルペンスキーのガイドレーサーを描いた「冬・スキー編」の2作品を収録した小説集だ。
体と心の両方を極限まで鍛えることは、人を強く、大きく成長させる。なにより体を動かすことには、それだけで喜びや楽しさがある。それらを小説という器にどう盛り込むか。スポーツ小説の魅力は、尽きることがない。
共同通信編集委員 田村文(たむら・あや)
1989年共同通信社入社。文化部の文芸担当を長く務めた。さいたま支局長、文化部長、編集委員室長などを経て、現在は編集局編集委員。共編著書に『マスコミ・セクハラ白書』、単著に『いつか君に出会ってほしい本』『いつかあなたに出会ってほしい本』など。中学・高校時代はバレーボール部。
(Kyodo Weekly 2026年11月2日号より転載)
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