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ベラルーシの「魔法のような夏」 【沼野恭子✕リアルワールド】

 2021年夏、NHK Eテレの「100分de名著」という番組でベラルーシのノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」の案内役を務めた時、私は番組関連テキストの最後に、その1年前(20年8月)のベラルーシ大統領選に端を発した民主化運動は「女の顔をしている」と書いた。

 実際、独裁者ルカシェンコ大統領の対抗馬となり得る男性野党政治家が逮捕され、その妻スヴェトラーナ・チハノフスカヤが立候補してからというもの、女性たちが主体となって選挙の不正を訴え、大規模な非暴力デモを連日のように行った。もちろん男性も参加していたが、信じられないほど多くの女性たちが花を持って街頭に繰り出し、反体制のシンボルとなった「白・赤・白」の旗をはためかせた光景は忘れられない。

White-red-white flag against a blue sky. Peaceful protests in the Republic of Belarus, presidential elections in the Republic of Belarus.
イメージ

 しかし、当局はすぐに激しい弾圧を始めた。アレクシエーヴィチはドイツへ、チハノフスカヤはリトアニアへ、彼女を支援したヴェロニカ・ツェプカロはラトヴィアへ亡命。もう1人の支援者で人々に絶大な人気のあるマリア・コレスニコワは、国外追放されそうになるや、国境でパスポートを自ら引き破いてベラルーシに残り、捕らえられた。

 現在、チハノフスカヤがヨーロッパ各国の首脳に会う姿は時折ニュースになるが、拘束されているコレスニコワはどうしているのか、拷問や虐待を受けた人たちはどうなったのか、ベラルーシの女性たちはなぜあんなに勇気があったのか、とずっと気にしてきた。

 このほど、これらのことを知るのにうってつけの本が邦訳された。ドイツのジャーナリスト、アリス・ボータによる「女たちのベラルーシ」(岩井智子・岩井方男訳、越野剛監修・解説、春秋社)である。ここには、20年の抗議運動のきっかけがコロナ・パンデミックに対するルカシェンコのあまりに非人間的なひどい対応だったこと、当時「主婦」だったチハノフスカヤも含め、それまで政治に無関心だった多くの人たちが急速に目覚めて変貌したこと、運動の矢面に立つことになったチハノフスカヤ、ツェプカロ、コレスニコワの3人がそれぞれ素晴らしい個性の持ち主であること、人々がどんなふうに連帯し助け合ったかということなどが、丹念な取材をもとに詳しく描かれている。

 3人の女は、「自由」と「愛」をキーワードに活動したが、彼女たちの愛と思いやりに満ちた平和的な振る舞いこそ、ルカシェンコが30年にもわたってベラルーシで敷いてきた強権的で家父長制的な圧政に対するしなやかで強烈なアンチテーゼだったことがよく理解できる。コレスニコワが獄中から妹に宛てた手紙にこうある。「刑務所であれ、法律であれ、鉄格子ですら、自由を無きものとすることはできません。自由には、戦い取る価値があるのです」

 ロシアによるウクライナ侵攻、ハマスとイスラエルの戦闘など残虐な出来事が次々に起こり、世界はベラルーシの「魔法のような夏」をもう忘れかけているが、ベラルーシの人々にとっては、もちろん現在進行形だ。どうかベラルーシの人たちが流した涙の報われる日が一刻も早く訪れますように。(敬称略)

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 51からの転載】

面白くも恐ろしい「サバキスタン」 【沼野恭子✕リアルワールド】 画像2

 

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

 

 

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