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独裁者スターリン、読書家の横顔 【沼野恭子✕リアルワールド】

 独裁的な権力をほしいままにしている人間は、いったいどのような精神構造をしているのか。どのような環境に身を置くと、長じてそういう人間になるのか。

 「独裁者の生成プロセス」を解明することができたら、それは知的好奇心を満足させられるだけでなく、人類のよりよき未来に何らかの形で役立てられるかもしれない。いや、強権的な権力者たちが地球を破滅させかねない振る舞いをしている現代においては、それこそが喫緊の課題のようにも思える。だからなのだろう、このところスターリンとプーチンの優れた伝記が立て続けに出版されているのは。 

 最近刊行されたジェフリー・ロバーツ「スターリンの図書室」(松島芳彦訳、白水社)=写真=は、普通の伝記とは一味異なり、独創的なアプローチによる研究書だ。スターリンが残した2万点以上の蔵書と、そのうちの約400点への書き込みを手がかりに彼の心の内奥に迫ろうとした試みなのである。

リアルワールド
ジェフリー・ロバーツ「スターリンの図書室」(松島芳彦訳、白水社)

 気が遠くなるようなその調査の結果、浮かび上がってきたのは、スターリンがさまざまなジャンルの本を熱心に読んだたいへんな読書家で、ライバルの著作にも目を通す「知的な」政治家だったということだ。蔵書印を押し、番号をつけて分類していたとは、本当に本好きだったのだろうと思う。それにもかかわらず残酷で猜疑(さいぎ)心の強い支配者になってしまった、つまり、<知>はかならずしも<善>を導くものではないという事実は重いが、それは徹底的に共感力が欠けていたというようなスターリン個人の資質のせいなのか、あるいは、あまりに教条的にイデオロギーを信奉していたせいなのか。このパラドックスにはまだ安易な答えは出せない。

 スターリンは文学も幅広く読んでいて、ロシア文学はむろんのこと、ヨーロッパの文学にも精通していたという。しかし、彼の死後、文学関連の蔵書が散逸してしまったため、残念ながら「書き込み研究」はほとんど成立しなかった。わずかにマクシム・ゴーリキーの小説「母」には書き込みが残っていたようだけれど。

 かなわぬことかもしれないが、もし作家や詩人たちの作品へのスターリンの書き込みがもっと発見されるようなことがあったら、ゴーリキーの死の真相や、御用作家でもないのにスターリンに異様に愛されたミハイル・ブルガーコフとの関係など、亀山郁夫氏が「磔のロシア」(岩波現代文庫、2010年)で提示した>謎<が解き明かされるかもしれない。作家や芸術家たちの>二枚舌<をスターリンが見破っていたかどうかも、ぜひ知りたいものだ。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 46からの転載】

面白くも恐ろしい「サバキスタン」 【沼野恭子✕リアルワールド】 画像2

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

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