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「月が警告している」 【舟越美夏×リアルワールド】

Full moon rising over the Tokyo bay area
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 ベトナム・ハノイで暮らすトゥンは、喧騒(けんそう)から離れた川沿いの農園に住んでいる。十数年前に出会った時は、20歳そこそこだったから、今は30代後半だろう。幼い頃に親に捨てられ、ストリートや孤児院で育った。心臓に障害があり、生死を3度さまよったが、そのたびに誰かが医療費を支援した。つらい体験の連続なのに穏やかで、他者への思いやりは誰よりも強い。動物や昆虫、植物にも愛情を注ぐ。

 数年前に高齢の男性が、所有していた川沿いの広い土地を譲ってくれた。トゥンはそこに友人たちと寝起きできる小屋を建て、花々や木々を植えた。急速に変化する社会で行き詰まった若者や、住まいをなくした老夫婦らが助けを求めると、小屋を増設した。

 彼には不思議な力がある。1年ほど前、小屋に置いたベッドの下にミツバチが巣を作り始めた。トゥンは追い払いもせず、ミツバチも攻撃しなかった。1度だけトゥンが激しい頭痛に苦しんでいた時、1匹が顔を刺した。「顔は腫(は)れたけど、頭痛が治ったんだ」。警察官たちが訪れ賄賂を要求した時には、ハチが彼らの周りを飛び回り追い返した。

 ミツバチたちは最近、巣を移動した。「ベッドの下からハチミツが取れたよ」。ハチからのプレゼントを写真で見せてくれた。

 先日、トゥンからメッセージが来た。「気をつけてね。今夜の月が、地震や戦争、飢饉(ききん)ßを警告している」。私は素っ気なく「もう起きていることよ」と返したが、3日後から惨事が次々と起きた。

 アフガニスタンで地震が起き、2千人以上が亡くなった。イスラエルとイスラム組織ハマスは戦争状態に突入した。ミャンマー北部では国軍が避難民キャンプをも爆撃し、子どもを含む29人以上が犠牲となった。

 〝月の警告〟が頭をよぎった。気候変動によるアフリカやアジアでの食糧不足は、エスカレートする各地の戦争や紛争でさらに深刻化するだろう。

 胸がざわつく中、タイ北部の国境の町メソトからうれしい知らせが届いた。友人のミャンマー人、テッナインさん(58)の妻と娘、息子が国境を越えてメソトに到着したという。テッナインさんは、2021年2月に起きたミャンマー国軍のクーデターに抗議して、故郷の町でデモを主導した。そのために軍から追われ町を出た。だが軍は、妻で高校教師のエイエイテッさん(57)を逮捕した。

リアルワールド
エイエイテッさん(提供写真)

 刑務所の女性房には、10代から70代までの学生や医師ら約70人がいた。新型コロナウイルスがまん延したが薬はなく、感染した彼女は死線をさまよった。回復後は房内で朝の体操を指導し、娘から大量の書籍を差し入れてもらい、10代の子には勉強を教えた。今年5月に2年ぶりに釈放されたものの、一家に対する武装兵士たちの嫌がらせは続き、すべてを捨てて隣国に行くつらい選択をした。「軍に殺害された5人の教え子のことを思うと、どんなことでも耐えられる。長い戦いですが諦めません」とエイエイテッさんは言う。

 われわれは破滅への道を進んでいるのだと気が滅入っていたが、苦難を乗り越える友人たちの言葉に背中をポンとたたかれた気がした。この世界に必要なものは何か。私に何ができるのか。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 44からの転載】

舟越顔

舟越美夏(ふなこし・みか)/1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。

 

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