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【スズキナオの“チュラネシア”ってナンだろう?】第4回 国立民族学博物館教授 台湾原住民研究 野林厚志さんに聞く

 台湾と沖縄という二つの地域の特色や共通点をテーマに、それぞれの専門分野を持つ4人の方々にお話を伺った。人気の旅行先でもあり、また独自の文化と複雑な歴史とを持つ台湾と沖縄を、“チュラネシア”という文化圏として捉え直してみた時、どのようなことが浮かび上がってくるかを、4人の言葉を通じて感じていただければ幸いである。

 シリーズの第4回目では、大阪府吹田市・万博記念公園内にある“みんぱく”こと「国立民族学博物館」(以下、「みんぱく」と表記)のグローバル現象研究部教授・野林厚志さんにお話を伺った。野林さんは、台湾の民族を研究テーマの一つに掲げ、長年にわたって台湾の原住民族を調査してきた人である。

 また、2025年に開催されたみんぱくの企画展「フォルモサ∞アート――台湾の原住民藝術の現在(いま)」の実行委員長を務めるなど、台湾の民族文化を広く紹介する活動にも力を入れている。

 人類学、民族考古学的な見地から台湾を見てきた野林さんにまずは台湾の話を聞き、さらに沖縄も含めたチュラネシア文化圏として捉えた際に浮かび上がってくるものについても聞いてみることにした。

――野林さんが台湾のことを研究するようになった経緯をお聞かせください。

 そこを必ず聞かれるんですけど、私はもともと台湾のことなんか好きでもなんでもなかったし、アウトオブ眼中みたいな感じだったんです(笑)。

――そうなんですか!

 私が大学を卒業した1992年がバブル絶頂期で、もう絶対に就職しようと思っていたんです。大学でアーチェリーをやっていたんですが、OBや先輩がたの誘いも多く、どんな学生でも引っ張りだこな時代だったと思いますよ。

――OBのみなさんが「うちの会社に来ないか」というような。

 そうですね。よくお昼ご飯を食べさせてもらって、「A先輩はほどほどのすしだったけど、B先輩は高いすしだから、そっちやな」とか、そういうしょうもないことを話してたんですよね(笑)。そしたら大学のある先生が急に私を呼び出して、「大学院に行って勉強したらどうだ」と誘ってくださって、種を明かせば、その先生は自分の発掘の手伝いが欲しかったのだろうと思います(笑)。先生はシリアで発掘をしていたんですが、今もう遺跡も破壊されて、本当に見る影もないと聞いています。

――そうなのですね。その時はとにかく、人手が足りないから誘われたと。

 発掘は実際のところ、労働力は大切なのですよ。人夫頭でもさせようととりあえず連れて行って、自分の事は自分で何とかしろという感じで(笑)。でも、その先生に「台湾に行きなさい」と言われたんですね。それには理由があって。東京大学の大学博物館の先生だったんですけども、そこに鳥居龍蔵という人類学者が撮影した1895年から1905年、1906年にかけての古写真がたくさん収蔵されていたんです。博物館にガラスが積み上げられていて、それは鳥居龍蔵が撮影したガラス乾板の写真だったんですけど、すべてが現像されていたわけではなかったんです。それを一度整理しようということになった時に、一番多かったのが台湾で撮影された写真だったんです。

――おお、そこで台湾が出てくるんですね。

国立民族学博物館友の会の機関誌『季刊民族学』のバックナンバーには野林さんが台湾についてつづった特集もある

 それで、台湾の写真の情報が欲しいというので、ですから、かたや自分の発掘のための労働力、かたや自分のプロジェクトのための労働力ということで、声をかけられたようなものです(笑)。それで台湾に放り出されて、そこから始まって……。最初に行った時は印象が悪くて、二度と行くかと思ったんですけど(笑)。初めて台湾に行ったのが1990年だったんですけど、台湾では1980年あたりから民主化が進んで、新しい台湾に移行しようとしているけどまだ古い時代が残っているような時期だったんです。まあ、私もなんの経験もないひよっこだったので。最初は嫌だったんですけど、その後、何回か行くうちに、人の縁もできてきて、台湾でしばらくやってみるかっていうような感じで。

――そうやって腰を据えて取り組むようになったと。

 鳥居龍蔵が台湾で撮影したものには、今、原住民族と呼ばれている先住民族の写真が多くて、最初は台湾の南端から東に行った位置にある離島の蘭嶼(ランユー)島というところに調査に行くことになったんです。

――写真に写っている場所を訪ね歩くようなことをしていたんですか?

 ただ、撮影地を確認するという仕事はあくまでスピンオフで、君の専門分野の研究に沿ったことをやれと言われました。私の先生は先史人類学者ですから考古学を専門にしていたんですが、私は生きた人間に関心があったんです。考古学的な問題意識を持った上で、生きた人間を研究する方法に民族考古学っていうものがありまして、その民族考古学には二通りの考え方があるんです。一つはたとえば、今の日本人の暮らしは、過去の日本人の暮らしと何らかのつながりがあるだろうという考えに立って過去を解釈するものです。もう一つは、時間とか空間はいったん考えずに、人間が同じ行動をしたら同じアウトプットが出るだろうと、そういう理論で考えていくものです。

――なるほど。

 私が台湾で研究したのは後者の方法で、二つの先住民族、つまり二つの別々のグループがやっているイノシシ猟についてです。同じイノシシ猟でも、一つのグループは罠を使う。もう一方は犬を使った追跡猟をする。この二つのグループを比較します。その際、その先住民族が今どういう猟をしているかっていうのは分かるわけです。罠をどれぐらいの範囲に仕掛けるか、追跡猟であればどれぐらいの範囲で獲物を追いかけてどういうプロセスで取っているかっていうのは、今の行動から分かるわけですよね。

――そうですね。

 で、その二つのグループが取ったイノシシの骨を分析すると、取れている個体群に差があるんです。罠による狩猟の場合は、取られたイノシシの年齢構成が生命曲線に近いんです。小さな個体の骨もあれば、大きな個体の骨もある。

――子どものイノシシも獲れれば大人のイノシシがかかることもあるということですね。

 はい。一方の追跡猟の方は、成獣、大きなイノシシの骨が多かった。

――追跡するからには、より大きいイノシシを追いかけるわけですね。

 そうなんです。で、考古学的に遺跡を掘っていくと、この遺跡のイノシシの骨は生命曲線に近い分布で、別の遺跡には成獣のイノシシの骨が多いと、パターンが違うことがわかる。その結果から、こっちの遺跡は罠を使っていたもので、こっちの遺跡は追跡猟だという解釈の見通しを出すことができるんです。遺跡を発掘するという考古学的な研究の結果を分析するのに、今の人間を見る民族学を役立てることができるという、それが民族考古学で、私はその立場で研究してたんです。

――なるほど、そういう研究方法があるんですね。面白いですね。

 蘭嶼島は漁労と根菜農耕が中心です。そこでの生活がどんな考古学的な遺跡になり得るのかということを研究するために、調理をしている場所の灰をふるいにかけて、中からどんな魚の骨が出てくるかとか、食べ残した種が出てくるとか、そういう調査もしていました。あと、根菜農耕をする上で、島の人々は作業用に一時的な小屋を作るんです。考古学では、そういった小屋の規模はメーンの集落から離れれば離れるほど小さくて、集落から近いほど大きいという理論があるんですけど、私の調査結果では、その場所での労働時間が長ければ長いほど立派な小屋を作るし、労働時間が短ければ簡単な小屋が作られる。つまり、集落からの距離ではなくて、労働の時間や量によって小屋の規模が違ってくるということを、島の小屋をずっと測量して、小屋の中に収納されているものを比較して、というふうにやっていました。

――地道で大変な調査ですね。

 そういうことをしているうちに、台湾の人たちとのご縁もできて、その後に私がここ(みんぱく)の仕事をするようになって、博物館の資料などを通して現地の人たちとやり取りすることも増えて、そのようにやってきたという感じです。

――ありがとうございます。私はみんぱくが好きでよく来るんですが、そのたびにこんな貴重な場が大阪にあるということがすごくうれしく思います。このような博物館というのは、他にあまりないものですよね。

万博記念公園内に建つ国立民族学博物館

 みんぱくの場合は、研究の成果を見せるために展示を使っていて、大学博物館以外では、こういった機関は世界的にも少ないです。

――世界的にも貴重なんですね。

 (みんぱくの基礎を築いた国立民族学博物館初代館長の)梅棹忠夫先生が「民博にあるものはガラクタだ」といったニュアンスのことを言ったんですが、それは、そのもの自体に見せなければいけない価値があるのではなくて、そのものに価値が出てくるかどうかは、研究の中身で変わってくるという意味だと思います。

――なるほど。本当にそうですね。テーマ次第でガラクタが展示すべきものになると。

 みんぱくの台湾関係の資料の中で一番古いものは、もともとは私がいた東大の人類学教室にあったものなんです。日本統治時代のコレクションなども収蔵されているんですが、2000年以降、ここの資料を見たいという方が台湾から来るようになったんです。しかもそれが研究者に限らず、先住民族の人々自身が見に来るようになりました。

みんぱく内には台湾の先住民族に関する展示品もある

――そうなんですね。貴重なものがあるからですか?

 台湾にそのようなものが残っていなかったり、残っていても公開されていないという理由からなんです。最近は台湾の博物館もオープンになっていて、先住民族の人たちのリクエストがあればそれに応えるし、それに応えることが博物館にとっても実績になるような状況ですが、2000年代の始めはまだまだそうではなかったのもあって、台湾からここに来る人が増えてきたんです。でも、こちらでは目録も作ってないし、解説も日本語しかなくて、台湾から訪ねられるたびに私が翻訳をしたりして、その頃は大変でした(笑)。20年前ぐらいに来て、今もずっと付き合いが続いている人たちもいます。

――それはすごいですね。

 そういう関係は財産で、そういう人たちが今度は自分たちの民族の他の人たちを連れてまた来てくれて、さらに他の民族の人たちとも一緒に来て、20代の方とか、次の世代まで連れて来てくれたんです。

――それは博物館としての役割としてすごく大きいですね。2025年には台湾の原住民のアートをテーマにした企画展も手掛けられたということですが。

企画展「フォルモサ∞アート――台湾の原住民藝術の現在(いま)」では野林さんが実行委員長を務めた

 入り口に展示されていた一番大きな作品を作ったのが、その20年付き合っているアーティストで。そういう関係性もあってできたことでした。ようやくここ数日で作品を作り手のみなさんの元へお返しすることができて、色々苦労もあったんですけど、よかったです。

――今後の計画はありますか?

 いや、この前の企画で今はお腹いっぱいです(笑)。あ、でも、台湾の漢族に魅力を感じています。大陸から台湾に入ってきた漢族と主に西部の平野にいた先住民族の人たちの間で混血が進んで、そこでは早くから先住民族も閩南(びんなん)語に慣れ親しんで、着る服でも、漢服なんかを着るようになって、その人たちは平埔(へいほ)族と呼ばれるんですけど、微妙な立場にいるわけです。先住民族からしてみたら彼らは漢族だと、でも漢族からすれば、半分は先住民族だというような。

――複雑な立場になっているわけですね。

 台湾には客家(ハッカ)という漢民族のグループもあって、その中にも「自分たちは他とは違う独特のエスニックグループだ」という人たちがいるし、漢族の中でもバラバラなんです。そういう意味で、色々な民族がモザイクのようになっているのが台湾の状況で、民族ごとに得意料理もあれば得意な音楽もあるっていう。そういう中で今の台湾の人たちが共生のためにお互いをどういう風に認めていくかというのには興味があります。

――なるほど。それもたしかに興味深いです。台湾と沖縄の関係についても伺いたいんですが……

 今度、宮古島に行ってくるんです。今、ちょっと関心があるのは置き薬なんです。置き薬は昔から日本全国にあったんですけど、台湾にもあったんですよ。富山の薬売りが台湾まで行って売っていたんです。それについて色々調べていたら、富山から台湾に行っていた薬売り屋の顧客名簿が出てきたんですよ。それをもとに台湾を訪ね歩いたんですけど、もちろん今は誰も住んでないし、その子孫もいなかったんですけども、とにかくそれだけ確認した後、仕方なく街の中にある古そうな薬屋さんに飛び込みで入って話をしていたら、日本統治時代にそこが仕入れていた薬の台帳が残っていたんですよ。昭和10年のもので。

――おお、すごい。

 それを見ると、当時、色々な薬を日本から仕入れていたことがわかって、内服薬だけでなく、フマキラーとかの薬剤とか。フマキラーを仕入れているということから、当時の台湾には害虫を駆除しようという公衆衛生の概念がすでに浸透していたということが分かるし、これは面白いなと思って。薬と仕入れ先の場所が分かったので、その地図を作っているところです。

――その調査が宮古島にも関わってくるんですか?

 宮古島に行くのは、台湾と沖縄を見た時に、離島であるということが一つそこと関係するんじゃないかと思って。離島として見た時に共通している部分があるわけです。

――つまり、宮古島でどんな薬が仕入れられていたかとか、置き薬がどういう風に普及していたかを見ていくということですね。そういうふうに見た時に台湾と沖縄が重なる部分があるんですね。

 台湾からすれば、沖縄に対してのシンパシーっていうのはあるし。儀礼を見ても、台湾の儀礼と共通するものが八重山に習慣として残っていたりもするので。ただ、基本的に、台湾の先住民族と沖縄の人たちに遺伝子的な交流というのはそれほどないと思います。台湾と沖縄の間に行き来がなかったのはなぜかというと、それは、“なかった結果”って言うしかないと思うんですけど。

――距離も近いし、そこまで航海できそうに思うけど、ないんですね。

 近いから行き来するかと考えた時に、当時の台湾に沖縄の人たちと交流しようとするような集団がいなかったり、あと、そうやって行こうとするほどの魅力というかメリットが当時はなかったということもあるんでしょうね。

――なるほど、そういう民族的な交流はなかったとして、そうなると、重なる部分があるとしたら環境とか風土とか、そういう面から生まれるんでしょうか。

 それはありますね。民族考古学を始めたルイス・ビンフォードという先生がいて、世界中の狩猟採集社会のデータを集めたものすごく大きなデータベースを作っているんですね。その先生がすごいのは、それをもとに、数理モデルの研究者と一緒に、人間側の行動データと、気候とか環境とか、いわゆる自然環境のデータとの相関的な式を作ったんですよ。それで何ができるかっていうと、人間の行動データと自然環境のデータ、この二つの変数を結ぶ式があれば、片方の数値を入れるともう片方が算出できるじゃないですか。

――ああ、たしかに。

 たとえば、今は狩猟採集民が住んでいない土地があったとして、そこの環境データを入力すれば、どんな狩猟採集民が住んでいたと考えられるかっていうのがアウトプットできるんですよね。私は実際にその計算をしたんですけど、台湾と沖縄は近かったんです。

――面白いですね。環境によって人の生活とか文化が共通してくるということですね。その環境的なデータというのは具体的にはどういうものなんでしょうか。

 基本的には、地形などの土壌のデータと緯度経度、毎月の平均降水量と平均気温、そして陸地と水の距離です。陸地から真水が得られる場所までの距離ですね。

――沖縄と台湾の価値観についてはどうですか? 共通する部分があったりするでしょうか。よく言われるような、時間に対する感覚とか生活観とか。

 そうですね。共通する部分は感じられます。ただ、台湾は都市と地方の格差が大きくなっていると思います。都市はどんどん「台湾」じゃなくなってきているかもしれないですね。「その変化も台湾なんだ」という風にも言えるんですが、台湾の都市部であればあるほど沖縄との親和性が感じにくいかもしれないですね。

――沖縄との共通性があるとすれば、先住民族の文化の方により残っているという。もてなし方というか、たとえばお酒の飲み方なんかは近いですか?

 ちょっと違うかなという感じはしますね。でも私はあんまり沖縄での経験がないので、私がまだ沖縄に対してはお客的な意識があるのかもしれない。台湾はもう慣れてしまったというか。

――台湾には連杯という、二つつながった酒器があるとか。

 原住民族が使っていたようなものはアンティークで、今は使われていないんですけど、通販で探すと売ってるんですよね。ビールを飲む連杯。

――こぼれそうですね(笑)。

 こういうものは通販で売ってるみたいですけど、実際どれぐらい使われているものなのかはわからないですね。

――あと、三枝克之さんが今度出版する『沖縄&台湾 チュラネシアへの旅——亜熱帯カルチャーツーリズム』(リトルモアより2026年3月刊行予定)という本が今回の催事の企画のベースになっているんですけど、野林さんも事前に読んでくださったということですがいかがでしたか?

 本当によく調べて、よく書かれた本だなと思ってすごく驚きました。台湾を知りたいという方が手に取って読んでみたらすごくいいと思いました。

――ありがとうございます! この後、みんぱくの展示も改めて拝見していこうと思います!

 と、野林さんからお話を伺った後、展示室内を歩いた。来るたびにいつも感じることだが、まずは展示品の物量に圧倒される。そして、世界中にこれだけ多様な文化があり、また多様なようでいて、似ている部分もあるという面白さにも気づかされる。

 さまざまな土地で、その場の自然環境に影響を受けて生活しながら、長い時間をかけて人々が作り出してきたものが、館内にはぎっしりと収められている(収蔵されているもののうち、これでも展示品はあくまで一部なのだ)。台湾の先住民族に関する展示を見た後、すぐに沖縄の生活文化を感じる展示品を見ることができる。一つの空間にいながらにして簡単に台湾と沖縄を行き来できるこの博物館のありがたみを、改めて感じた時間だった。

※本記事は、ことさら出版との連携企画です。

スズキナオ(X/tumblr)

 1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(スタンド・ブックス)『家から5分の旅館に泊まる』(太田出版)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)、『大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる』(LLCインセクツ)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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