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◎ 上野公園の西郷像前に集まった避難者

  • 東京の空を覆う入道雲=1923(大正12)年9月 (撮影月日不明)
  • 第一相互付近から神田方面の焼け跡を臨む=1923(大正12)年 (撮影月日不明)
  • 1923(大正12)年9月、銀座4丁目交差点付近の惨状。架線が垂れ下がり、自動車や市電の残骸が転がる。右の鉄骨組みの建物は第一徴兵保険が建設中の銀座ビルで、松屋が借りることになっていた。中央奥は京橋方向で第一相互館が見える。(日本電報通信社撮影)
  • 1923(大正12)年9月、焼け野原に立つ建築中の第3期の歌舞伎座。岡田信一郎設計による大きな入母屋破風を持つ豪壮華麗な建物の外郭(RCコンクリート造り)はほぼ完成していた。館内に置いてあった内装材が燃え、工事は中断したが、1年3カ月後に竣工した。1945(昭和20)年5月の空襲で外郭を残し焼失し、屋根も落ちた。
  • 1923(大正12)年9月1日、建物が倒壊、炎上し黒煙に包まれる日比谷交差点付近を数寄屋橋側から望む。中央奥は日比谷公園、右奥は桜田門方向
  • 1923(大正12)年9月1日、地震直後に出火し燃え上がる有楽町付近を数寄屋橋方向から見る人々。中央右は塩瀬総本店。煙の向こう側に警視庁がある。左の鉄道ガードの奥は日比谷交差点方向。この時点では、迫りくる火災の広がりや危険さをまだ感じていないようだ。
  • 上野停車場の避難民=1923(大正12)年9月1日
  • 京浜間の線路を歩く避難者たち=1923(大正12)年9月 (撮影日不明)
  • 深川方面は震災で地盤が沈下、道路はしばしば冠水した=1923(大正12)年(撮影月日不明)
  • 上野公園の西郷像前に集まった避難者=1923(大正12)年9月1日
  • 東京貯蔵銀行の払い出しに並ぶ人たち(本郷)=1923(大正12)年(撮影月日不明)
  • 東京駅前の交番で肉親や知人の安否を尋ねる張り紙を見る人びと。親類を頼って被災地をあとにする人も多かったという=1923年9月
  • 本所被服廠跡での犠牲者の供養=1923(大正12)年9月(撮影日不明)
  • 1923(大正12)年9月3日、前日に親任式を終え発足した第2次山本権兵衛内閣の閣議が永田町の首相官邸で開かれた。余震を警戒し、庭での屋外閣議となった。左手前が山本首相
  • 関東大震災直後の警備状況=東京・牛込見付、1923(大正12)年9月3日
  • 1923(大正12)年9月1日、午前11時58分、関東地方南部をM7・9の大地震が襲った。各地で火災が発生、東京府、神奈川県を中心に死者・行方不明が10万人を超え、家屋の焼失は20万戸以上に及ぶ甚大な被害をもたらした。写真は被災当時(上)と復興10年後の銀座通り。(日本電報通信社撮影)
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