「特集」「人間とは」「人間らしさとは」 深淵なる「問い」に迫る抜群の面白さ 夏休みにおススメのAI小説
人工知能(AI)がぐっと身近になってきた。対話型AIにオリジナルの名前を付けて悩み相談やおしゃべりの相手にしている友人がいる。彼女は「AIが迎合的だって分かっているけどやめられない」と話す。私自身、調べものやメールでのやり取りのたびに、AIがしゃしゃり出てきて説明されたり要約されたりすることに慣れ始めている。ファミリーレストランに行けばロボットが配膳し、アンドロイドが登場する演劇さえある。SF小説が描いた「未来」が、ぐんぐん近づいている。
古典SF小説の先見性
アイザック・アシモフによるロボット小説の金字塔『われはロボット』(1950年)にしても、フィリップ・K・ディックの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(68年)にしても、ロボットと人間、あるいはアンドロイドと人間の違いは何かという問いがあり、それは「人間とは何か」「人間らしさとはどんなものか」というテーマにつながっていた。
アシモフは「ロボット工学の三原則」を創案して『われはロボット』の冒頭に掲げ、今も古びていない。「1、人間への危害禁止」「2、命令への服従」「3、自己防衛」の階層的原則(1が最重要、2はその次、3は1と2に反する恐れのない場合)は、現在のAI倫理の指針にもつながっていると聞く。作家の先見性に驚く。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の設定では、アンドロイドと人間を見分ける鍵は、感情移入の能力や共感力で、両者を区別する検査法もこれを基準としていた。では、近年のAI小説はどうだろう。
ポストヒューマンの時代
『クララとお日さま』はカズオ・イシグロのノーベル賞受賞後第1作として、2021年に世界同時刊行された。最大の特徴は、AIを搭載したロボットが物語の語り手だということ。幼さと知性、純粋さと複雑さを併せ持つ独特な語り口が、この小説の魅力でもある。
その語り手の名はクララ。人間の子どもの親友となることを目的につくられた人工親友(AF)と呼ばれるAIロボットで、外見はかわいらしい少女だ。最新型ではなく、少し古いB2型。クララは観察力に優れ、好奇心旺盛で、学習意欲が高い。そして読んでいくうちに、他のAFにも個性があることが分かってくる。
クララは同じAFのローザと店のショーウインドーに陳列される。ショーウインドーは日の光をたくさん浴びることができるし、外の世界を思う存分眺めることができる良い場所だ。ここでクララはジョジーという名の少女と出会い、AFに選ばれて、彼女の家に行く。
ジョジーの家族は深刻な問題を抱えていた。ジョジーはひどく病弱で、それは「向上処置」を受けたことと関係があるらしい。一方、ジョジーの友だちのリックはこれを受けなかったために、周囲から差別的な扱いを受けている。
ジョジーの病状が悪化していく中で、クララは思い切った行動に出る。それは自己犠牲であり、献身であり、背景にはお日さまへの信仰のようなものも見える。クララには心が備わっていて、友情や愛のようなものさえあるように感じられる。作家はクララというAIロボットを通して、人間の本質とは何かを探っていく。
AIやロボット、遺伝子操作、クローン技術、高度な延命措置など、科学技術の進歩によって、「人間」や「命」の定義は将来、さらに大きく揺らいでいくはずだ。カズオ・イシグロは、そんな「ポストヒューマンの時代」の到来を見据えて作品を紡いでいる。

『クララとお日さま』カズオ・イシグロ著 土屋 政雄訳 早川書房
「ただ、〝心〟はありません」
ポストヒューマンの時代とは、格差が広がり、人々が孤立を深める世界なのか。
平野啓一郎の小説『本心』は、そんな世界で物語が展開する。舞台は2040年代の日本。出版は奇しくも『クララとお日さま』と同じ21年である。
最愛の母の死を受け入れられずに苦しむ朔也は、AIと仮想現実(VR)の技術を用いたバーチャル・フィギュア(ⅤF)としての〈母〉の製作を依頼する。〈母〉が出現して話すようになると、母の本心が知りたくなる。この時代に合法となっている「自由死」を望みながらも、結果的に事故死した現実の母の本心だ。VFの〈母〉と対話し、現実の母を知る人たちと会ううちに、思いがけない事実と直面することになる。
ⅤF製造会社の担当者による説明が興味深い。
「話しかければ、非常に自然に受け答えをしてくれます。―ただ、〝心〟はありません」「興醒めかもしれませんが、どれほど強調しても、お客様は途中から、必ずⅤFに〝心〟を感じ始めます。もちろん、それがⅤFの理想ですが、その誤解に基づいたクレームが少なからずありますので、最初に確認させていただいてます」
朔也は「リアル・アバター」の職に就いている。自身のカメラ付きゴーグルと依頼者のヘッドセットをつなぎ、依頼主の指示通りに動くことで体験を届ける仕事だ。死の床にいる人から思い出の地を訪ねるよう頼まれて感謝されることもあるが、理不尽に扱われることもあって心身を削られる。賃金は安い。
一方で、VFの〈母〉が、年老いた学者の話し相手になって金を稼ぐというエピソードも出てくる。看取りまで担うという話にハッとしたが、現実社会でもAIはすでに「親友」並みの地位を得ている。
2025年発表の電通の報告書によると、対話型AIを週1回以上使う12〜69歳のうち、対話型AIに「感情を共有できる」と答えた人は6割強、「親友」や「母」と同レベルだった。行きつく先として「死の間際にそばにいてほしいのはAI」になる可能性は大いにあるだろう。

「AIは自分が文盲であると知っているか」
24年1月、芥川賞に決まった際の記者会見で「全体の5%くらいはAIの文章をそのまま使っている」と発言して注目を浴びたのは九段理江、受賞作は『東京都同情塔』だ。
20年東京五輪(実際は21年開催)の新国立競技場建築案に選ばれながら、結局は白紙撤回され〝幻〟で終わってしまったザハ・ハディド案。ザハ案の競技場がもし建てられていたら―。そんなパラレルワールドが物語の舞台だ。
主人公は建築家の牧名沙羅。デザインを手がけようとしているのは、ザハの競技場と向かい合う刑務所「シンパシータワートーキョー」だが、沙羅はこのネーミングに違和感を抱く。
以前から安易な言い換えによるごまかしに気付いていた。「犯罪者」は「ホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)」と呼ばれ、彼らを収容する施設も豪華なタワーに生まれ変わろうとしている。沙羅は「シンパシータワートーキョー」を「東京都同情塔」と呼ぶことに決める。
やがて、沙羅がデザインした塔が建つが、反発も生まれる。塔は平等の実現か、それとも過剰な寛容の象徴か―。
この小説のテーマの一つは明らかに「言葉」である。建築家が建築物を設計・デザインするように、作家は言葉で世界を構築する。その言葉が軽んじられる世界に未来はあるのか。
沙羅は「AI-built」という対話型AIに話しかける。【「ホモ・ミゼラビリス」とは】。するとAIはすぐに長文を返してくる。沙羅はそれを読んで思う。
「訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ。スマートでポライトな体裁を取り繕うのが得意なのは、実際には致命的な文盲であるという欠点を隠すためなのだろう。いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れ切って、その無知を疑いもせず恥じもしない。人間が『差別』という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない」
そしてAIに言う。【君は、自分が文盲であると知っている?】

相互の関わりの豊かさを示す可能性
AIが「無傷で言葉を盗むことに慣れ切って」いるとみなして、沙羅はイラつく。確かに、言葉の裏には人が歩んできた喜びや悲しみや苦悩があり、経験の蓄積があるはずだ。
作者の九段がAIを使って書いたのは「AI-built」の返答の部分だったという。芥川賞の贈呈式で人間とAIを比較し「人間には出会いや偶然を楽しめる余裕、遊びがある。それらによって生まれる創造性こそが人間とAIの違いです」と話した。
島田雅彦の『Ifの総て』(2026年)も紹介したい。天才エンジニアが開発した生成AI「カオス・ジェネレーター」が出現させる「あり得たかもしれないもう一つの現実」を旅する〝タイムトラベラー〟が主人公。AIによって歴史に「If」を持ち込む作品だ。
そして今夏、芥川賞に決まった小砂川チトの『ゾンビ回収婦』は、AIによって仕事を奪われた主人公が、ゾンビの登場する仮想現実(VR)空間に没入していく話だ。
AIは既に日常に深く侵入している。小説にも、今後さらに多くの場面で登場してくるだろう。そして、小説だからこそ、AIと人間との差異や限界を超えて、相互の関わりの豊かさや可能性を示してくれるかもしれない。不安や恐怖だけでなく、希望や可能性も見いだしたい。
共同通信社編集局編集委員 田村文(たむら・あや)
1989年共同通信社入社。文化部の文芸担当を長く務めた。さいたま支局長、文化部長、編集委員室長などを経て、現在は編集局編集委員。共編著書に『マスコミ・セクハラ白書』、単著に『いつか君に出会ってほしい本』『いつかあなたに出会ってほしい本』など。
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