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「特集」 アルツハイマー病 治療へ大きな一歩 新薬「レカネマブ」 認知症の進行抑制

 

池内 健
新潟大学脳研究所教授

 アルツハイマー病に対する新しい治療時代に、私たちは第一歩を踏み出した。厚生労働省は9月25日、日米の製薬会社が開発した認知症に対する新薬「レカネマブ」の製造販売を承認した。抗認知症薬としては2011年以降、12年ぶりの新薬承認となった。「新しい薬はいつできますか?」と認知症の方やご家族から幾度となく聞かれることがあり、新薬に対する大きな期待を従来から感じていた中、待望のニュースとなった。この新薬レカネマブは、今までの抗認知症薬と異なり、病気の原因に直接作用し症状の進行抑制を示した点で画期的な薬剤といえる。今は、「新しい薬はいつ使えますか?」という問い合わせが増えている。レカネマブを用いた点滴治療は、年内にも国内で始まる見込みである。

開発成功率2・7%の壁

 レカネマブの効果を検証する臨床試験(治験)では、1年半の期間で27%の臨床症状の悪化を抑制した。それに加えて、認知機能低下の進行を抑制し、介護者の負担を軽減する効果が認められた。レカネマブ治療により6~7カ月、症状の進行を遅らせることができた。レカネマブ治療の対象は、認知症の前駆期である軽度認知障害(MCI、Mild Cognitive Impairment)から、「軽度認知症」という早期段階の方になる見込みである。今まで軽度認知障害(MCI)の方に効果のある薬剤はなかったので、レカネマブの登場により早期アルツハイマー病の方は、新たな治療機会の恩恵を受けることができるようになる。認知症の早期段階であれば、判断力や理解力が比較的保たれているため、介助なしに自立した生活を送る期間がレカネマブにより延長できる意義は大きい。自立した状態でご家族と過ごせる期間が長くなれば、その間、旅行にいったり、好きな趣味を楽しんだり、お孫さんの入学式や結婚式に出席できたりする機会が増えるかもしれない。

 認知症の方は年々増えており、25年には約700万人に達する見込みである。14年に行われた調査によると、認知症に対する社会的コストは14・5兆円と推定されている。その内訳は、医療費が1・9兆円、介護保険が6・4兆円、それ以外のコストが6・2兆円と試算された。

 アルツハイマー病は認知症の最大の原因であり、約7割を占める。アルツハイマー病の方の脳内では、「アミロイドβ(ベータ)」と「タウ」と呼ばれる2種類の異常タンパクが脳内に蓄積する。ドイツの精神医学者アロイス・アルツハイマー氏が1906年に、この脳の変化を初めて発見した。この異常タンパクが10年以上の時間をかけて脳内に広がり、徐々に神経細胞を死滅させる。その結果、脳が萎縮し、物忘れなどの認知機能低下に伴う症状が出現する。

 レカネマブは、アミロイドβに対する抗体薬であり、アミロイドβを脳から取り除くことで効果を発揮する。上記の臨床試験において、レカネマブは脳内アミロイドβを約7割減少させた。レカネマブのように病気が進行する仕組みに直接働きかける薬は「疾患修飾薬」と呼ばれ、認知症の新薬開発は疾患修飾薬を中心に進められている。

 過去を振り返ると、アルツハイマー病に対する新薬の開発は困難を極めていた。4勝146敗、認知症新薬開発の成功率2・7%という高い壁が存在していた。この成功率は、一般的な薬の開発と比べて著しく低い。認知症の新薬開発は、手がかりを欠く中、効果不明の手段で難敵に立ち向かう様相であった。

 何故、アルツハイマー病の新薬開発は難しかったのか? その理由としては、①長い期間をかけて病気が進むため、短期間の臨床試験では薬の効果が見えにくい ②薬を始めるタイミングが遅すぎ、もっと早期の方を対象とすべきであった ③治験の対象者が適切に選別されていなかった ④薬が十分量投与できていなかったーなど、さまざまな可能性を数々の臨床試験の失敗が教えてくれた。課題を一つ一つ解決し、幾度となく工夫を重ね、認知症新薬の開発はバトンを渡すように続けられた。

 レカネマブの開発成功の裏には、数多くの先人の新薬開発にかける熱い思いと献身的な貢献があったことを忘れてはいけない。アルツハイマー病を征服するには一人の力では及ばない。多くの人の思いを時代を超えてつないでいくことの大切さを、アルツハイマー病・新薬開発の歴史は教えてくれた。

高額で気軽に使えない

 大きな期待が寄せられるレカネマブであるが、診療の場で適切に使うためには課題もある。レカネマブの治療対象となる方は、アルツハイマー病による軽度認知障害(MCI)もしくは早期認知症である。今まで以上に、認知症に対する早期診断が鍵になる。そのため、地域の最前線で早期の認知症の方と接する機会が多いかかりつけ医師や、地域包括支援センターとの連携が重要となる。また、レカネマブの投与前には、アミロイドβが脳内に蓄積していることを確認する検査が必要となる。この検査は「アミロイドβ検査」と呼ばれる。

 アミロイドβ検査は、PET検査と脳脊髄液(のうせきずいえき)検査が該当する。これらの検査は、今までは主に研究目的で実施されており、臨床の現場で、これらの検査を効率よく実施できる体制整備が必要となる。県外など遠くまでにいかなくても、地元で検査を受けることができるよう全国で均てん化して整備すべきであろう。簡便に行える血液を用いたアミロイドβ検査の実用化も急がねばならない。

 レカネマブは抗体医薬であり、薬の値段は高い。米国では標準的な価格が年間2万5千ドル(約380万円)と設定された。日本での薬価は、今年の11月までに決まる見込みであるが、高価な薬となるであろう。健康保険や高額療養費制度が使えるようになるにしても、誰もが気軽に使える薬とはならないであろう。治療対象者となる潜在的な人数が多いため、レカネマブ治療が拡大していけば、わが国の保険医療制度を圧迫する可能性も考えられる。

 一方で、レカネマブにより認知症の進行抑制ができれば、家族の介護負担や公的な介護サービスが減ることによる経済効果が期待できる。また認知症の病状が安定すれば、認知症の方や家族の就労継続や社会参加の促進などの好循環も生じるであろう。いずれにしても、「高い値段に見合った効果がレカネマブ治療により得られるのか」という疑問に答えられるデータを、実際の診療の場で蓄積していく必要がある。

 米国では健康保険を用いてレカネマブ治療を実施する条件として、ALZーNETというプラットフォームにレカネマブ投与者のデータを登録することを求めている。臨床試験という限られたデータだけに依存せず、実臨床において大規模データを集積し、レカネマブの真の実力を検証しようとする姿勢である。実臨床においてデータ蓄積を行うことができるシステムの構築は、日本においても実施すべきであろう。

進行抑制︎〇、改善効果×

 最後に、レカネマブの副作用について触れる。脳の中に小さな出血や浮腫(むくみ)がレカネマブの臨床試験参加者の約2割に出現した。この副作用はARIA(アリア)と呼ばれる。ARIAの有無を調べるには、MRI検査を定期的に実施する必要がある。ほとんどの場合、症状を伴わないが、頭痛やめまいなどが生じることがある。レカネマブによりARIAが生じた方の記憶や認知機能が、長期的にどのような影響を受けるかは分かっていない。少数例ながらARIAにより重篤な状態になった例も報告されている。

 ARIAはAPOE(アポイー)と呼ばれる遺伝子の、特定のサブタイプ「ε(エプシロン)4」を持つ方に出現しやすい。私たちはAPOEのサブタイプを二つ持っている。APOE ε4サブタイプを二つ持つと、ARIAが出現しやすくなることが分かっている。米国では、APOE検査をした上で、認知症の方やご家族とレカネマブ投与について話し合うことが推奨されている。日本においても、レカネマブ治療を適切に選択できるように、APOE検査の体制整備が望まれる。

 これまで「治らない」と考えられていたアルツハイマー病の概念を、根本的に改善できる疾患へと変貌させる可能性をレカネマブは示した。病気の原因に働きかける薬剤の実用化は、アルツハイマー病治療の転換点となるであろう。一方で、レカネマブによって進行抑制はできても、症状を改善させる効果は見込めない。いったん死滅した神経細胞を修復するのは困難である。アミロイドβを減少させることは、アルツハイマー病治療の必要条件であっても、十分条件ではないことをレカネマブは教えてくれた。

中期以降に効く薬開発へ

 レカネマブが早期の方を対象としているため、中期以降の認知症の方に対する薬剤開発は喫緊の課題である。その意味で、もう一つの異常タンパク「タウ」を減らす薬剤の開発が注目されている。アミロイドβよりもタウの蓄積量のほうが、認知機能低下の程度と強く相関するため、タウを除去できれば認知機能に好ましい影響を及ぼすのではないかと期待されている。

 私たちは、レカネマブにタウを標的とした抗体薬を併用した臨床試験DIANーTU(ダイアン治験)を近々開始する。認知症になっても希望をもって暮らすことができる「共生社会」の実現に向け、認知症新薬の登場が後押しとなることを期待している。

新潟大学脳研究所教授 池内 健(いけうち・たけし) 1964年生まれ。兵庫県出身。91年新潟大学医学部を卒業。2000年医学博士。同年シカゴ大学に留学。03年の帰国後、認知症専門医となり新潟大学医歯学総合病院の認知症専門外来を担当。認知症の診断マーカー開発やゲノム医療を主な研究領域とし、認知症新薬開発にも携わる。主な著書に「認知症疾患ガイドライン2017」「精神疾患の臨床・神経認知障害群」(分担執筆)

(Kyodo Weekly 2023年10月2日号より転載)

 

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