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「特集」ウクライナ戦争 対ロシア1年半 見えざる「電磁波領域戦」

情報通信技術の発達と普及によって、電子機器と電磁波の利用は現代社会に欠かせないものとなっているが、軍隊もその例外ではない。従来、電磁波を用いる電子的な軍事活動は「電子戦(EW)」と呼ばれてきたが、近年はあらゆる電磁波帯域を包摂する「電磁スペクトラム(EMS)」を一つの軍事空間とみなす考え方が広まってきた。EMSはサイバー空間とも密接に結びつき相互に作用し合うことから、電子戦の概念もより広い範囲・用途をカバーする「電磁スペクトラム戦(電磁波領域戦)」へと拡張されつつあり、両陣営が高度な電子戦能力を有するウクライナ戦争は、電磁波領域戦の最前線でもある。

なお、本文中では電磁スペクトラム領域のうち自然空間における電磁波を用いた戦闘を電子戦、仮想空間におけるソフトウエアを用いた戦闘をサイバー戦として表記している。

ロシア軍と電子戦

日露戦争において、日本海軍は海底ケーブルや当時発明されたばかりの無線通信システム(三六式無線電信機)を重用し、情報通信能力で優位に立ったことが日本海海戦を勝利に導いた、というのは近年広く知られているエピソードであろう。一方、初めて無線通信が駆使された戦場で、史上初の「電子戦」を実施したのはロシア帝国軍であった。1904年4月15日、旅順港を守るロシア軍は日本軍の無線電信を傍受、弾着観測用の通信周波数に干渉する電波を発することで日本艦艇による間接射撃の妨害に成功し、以降も電波妨害や偽装電信によって日本海軍の無線通信に対する積極的な妨害を続けたのである。これを端緒として、ソ連・ロシア軍は「電波電子戦闘(REB)」を重視してその技術とアセットへの投資を続け、1970年代までには極めて高いレベルの電子戦能力を構築するとともに、軍組織内でも電子戦部隊が一定の地位を築き上げていた。

そんな「電子戦先進国」ソ連にとって、1991年の湾岸戦争で米軍が繰り広げたネットワーク中心戦(NCW)と一体化した高度な電子戦は衝撃的であり、90年代のロシア連邦軍では電子戦とNCWの相乗効果についての議論が白熱した。その背景にあったのは、精密誘導兵器(PGM)を筆頭としたハイテク兵器を駆使するNATO(北大西洋条約機構)軍に対して、対称的な手段、つまり同じように高コストのハイテク兵器をそろえて対抗することが難しいロシア軍が、いかにして相対的な弱点を補って戦力差を克服する「非対称的な手段」を講じるかという冷戦末期以降の課題であった。

ロシアの軍事専門家たちは、電子戦の領域を拡大して敵のネットワークやC4ISR(指揮・統制・通信・コンピューター・情報・監視・偵察)システムを無力化し、自らに有利な戦闘環境を創出する「戦力増幅装置」とすることで、西側のハイテク戦争に対抗できると考えたのである。20年以上前の時点で、既に今日的な「電磁スペクトラム戦」に近い構想を描いていたともいえよう。

プーチン政権が2008年末にロシア軍の大改革に着手すると、電子戦部隊の再編と拡充が本格化した。地上軍が兵力を削減し、基幹部隊を師団からコンパクトな旅団へと置き換える中、全ての機動旅団(自動車化狙撃旅団や戦車旅団)には戦闘を常時支援するための戦術レベルの電子戦中隊が組み込まれ、各軍管区には戦域ないし戦略レベルでの電子戦を展開する電子戦旅団(計5個)が設置された。また、国防産業も電子戦装備の研究開発・生産体制を再編して装備調達を加速するとともに、電子戦部隊演習の倍増や教育訓練用シミュレーターの導入など要員錬成の基盤も強化された。ちなみに06年には、前述した4月15日が「電波電子戦スペシャリストの日」としてロシア軍の記念日に制定されている。

米軍驚嘆のハイテク化

14年のクリミア侵攻、続くウクライナ東部での紛争(ドンバス紛争)で、ロシア軍は広範かつ積極的に電子戦を展開した。それは、通信システムへの妨害やハッキングによる機能停止、GPSへの電波妨害や位置情報の欺瞞(ぎまん)によって無人機(UAV)を墜落させる、対砲兵レーダーの電波やセルラー方式携帯電話の通信波から位置を標定して陣地や指揮所を攻撃する、砲弾の電波信管への干渉やミサイルの誘導電波妨害による誤作動の誘発など多岐にわたる。

加えて、マルウエアやDDoS(分散型サービス拒否)攻撃によるインフラ網へのサイバー攻撃が繰り返されたほか、「レールー3」電子戦システムが偽装基地局(IMSI キャッチャー)機能を用いてウクライナ兵が所有する携帯電話の通信を乗っ取り、偽の命令・情報や心理的動揺を誘うメッセージを送るなど、電磁波からサイバー戦、心理戦、情報戦の領域を横断する複合的な電磁波領域戦が繰り広げられた。その能力は米軍の電子戦専門家をして驚嘆させるものだったと評され、ロシア軍のハイテク化を印象付けた。

窮地救ったスターリンク

ドンバス紛争で電磁波領域作戦の手腕を見せたロシア軍は、22年のウクライナ侵攻でもその能力を発揮するものと警戒されていた。だが、これまでのところ目立った〝成果〟は見られず、逆にウクライナ軍が電磁波・情報領域で優位に立ったとみられる場面も多いことから、その実力を疑問視する声もある。

しかしながら、活躍が「見えない」ことを根拠に評価を下すのは適切ではない。そもそも電磁波領域での攻防はほとんど可視化されないため、その様相や能力を外部から推察するのは容易ではないからだ。

実際には、ロシア軍の電子戦・サイバー戦能力は依然として強力である。緒戦の侵攻作戦そのものは不首尾に終わったとはいえ、全面侵攻当初、ロシアはウクライナ軍に通信を提供していた米ビアサット社の衛星通信網をサイバー攻撃によって麻痺(まひ)させ、指揮通信能力を弱体化させることに成功している。この窮地を救ったのは米スペースX社から緊急提供された「スターリンク」衛星コンステレーション通信システムで、各種妨害への抗堪性(こうたんせい)が高いスターリンクがなければ、ウクライナ軍の指揮系統は早々に崩壊していたとも言われている。

戦術レベルでの電子戦も活発で、ウクライナ軍は主に電子妨害によって毎月1万機もの無人機を損耗しているほか、米国から提供された当初は猛威を振るったハイマース(高機動ロケット砲システム)などの精密誘導弾もGPS誘導への電波妨害によって精度を発揮できないケースが増え、有用性が低下しているという。

対するウクライナ軍もロシア軍の電子攻撃に対する防護にとどまらず、同様の電子戦技術を使いこなすようになっている。ロシア軍が前線の兵士に対して「電波標定によって陣地を特定され数分以内に砲撃を受けることになる」として携帯電話による移動体通信を厳禁しているのは象徴的な事例であろう。

つまり、ロシア軍の電磁波領域作戦能力が劣化ないし弱体化したわけではなく、ウクライナ側が電子戦で対抗する術(すべ)を身に付け、相対的な能力差が縮まった結果、かつてはワンサイドゲームだった電磁波領域での攻防が拮抗(きっこう)しつつある、と考えるべきだろう。

ウクライナの急成長

では、なぜウクライナはわずか数年でロシアの電磁波領域戦に対抗できるようになったのだろうか。

第1に、電磁サイバー領域、特に民生技術との共通性が高いソフトウエアの領域は、技術的なキャッチアップが容易な点が挙げられる。開発や生産に莫大(ばくだい)なコストと専門化された産業基盤を要するミサイルや航空機といった武器システムと比べ、はるかに安価かつ短期間に新しいシステムを開発・普及させることが可能だからだ。これは前述の通りロシアがNATOに対抗する非対称手段としての電子戦に着目した理由だったが、ロシアに対して軍事的劣勢にあったウクライナもまた、ドンバス紛争で辛酸をなめた電磁スペクトラムを非対称手段として活用すべく投資を続けてきたのである。

また、ウクライナはソ連時代から続く技術系教育のアドバンテージを生かしたIT産業育成に活路を見いだし、過去10年ほどの間に米欧や日本からのソフトウエア開発のアウトソーシング先として急成長した「IT人材大国」でもあった。軍用電子機器やソフトウエアの需要急増をカバーできる優秀なエンジニアの人材プールが国内に存在したことも、ウクライナが短期間のうちに電磁波領域での能力を強化できた一因であろう。

第2に、米国を中心としたNATO諸国からの強力な支援である。ロシアの侵攻前後から段階的に強化されている装備の供与や訓練支援もさることながら、とりわけ重要なのは電子戦に必要不可欠な信号情報(SIGINT)データの共有を行っているとみられる点だ。

NATO軍の信号情報

電子戦では日頃から敵対勢力が用いるあらゆる信号を収集・分析・蓄積することがその成否を左右すると言っても過言ではなく、各国はレーダーや電子戦機器などが発する電波を拾って特性を分析したり、通信傍受やトラフィック分析を行うことによってSIGINTデータを地道に集めている。中ロの偵察機や情報収集艦が定期的に日本周辺に現れる理由もこれである。こうした収集・分析活動にはきわめて高度かつ高価な専用機材が必要となるが、多数の高性能機材とノウハウを持つNATO軍のSIGINTは質・量ともに世界最高レベルにあり、そのデータベース提供はウクライナ軍の電子戦に計り知れないアドバンテージをもたらす。

当然ながらSIGINTは極めて機密度の高い領域であるため、具体的にどのような情報が提供されているかは不明だが、運用にあたって西側の電子戦データベースとの連接がほぼ必須となるF16戦闘機の供与に向けた取り組みが進められていることからも、各種信号の変化なども含めたロシア軍に関するSIGINTの大部分を、既にリアルタイムに近い形で更新・共有している可能性が高い。

電磁スペクトラム領域の戦いは、絶えず対策と対抗の応酬が続く〝いたちごっこ〟であり、今日のウクライナ戦争においてはきわめて流動的なものとなっている。両陣営の電子的つばぜり合いはますます加速しており、今後もその実相を注意深く見ていくべきであろう。

軍事ライター 藤村 純佳(ふじむら・すみか) 専門は主に旧ソ連・ロシアの兵器・軍事・安全保障。現在、情報通信業の会社に勤務。1995年東京都生まれ。静岡県立大学国際関係学部卒。2019年から軍事ライターとして「月刊PANZER」(アルゴノート)、「軍事研究」(ジャパン・ミリタリー・レビュー)、「Foresight」(新潮社)、「月刊 丸」(潮書房)、「季刊 JグランドEX」(イカロス出版)などに寄稿。

(Kyodo Weekly 2023年7月31日号より転載)

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