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【特集】 注目トレンド「イマーシブ」 あなたは体験?潜むリスクも

 

CISOアドバイザー
大元 隆志

 イマーシブ(Immersive)というキーワードが注目を集めている。日本語に訳すと「没入感」。この言葉が表現している通り、従来型の閲覧する、聞くだけのコンテンツではなく、消費者をコンテンツに引きずり込む、そんな魅力を提供することを狙ったコンテンツのことを指す。もっとも突然現れた大ブームというよりは、古くから存在していたがジワジワと浸透してきているという表現のほうが正しいだろう。消費者を没入させる方法もさまざまだ。イマーシブ・メディア、イマーシブ・シアター、イマーシブ・オーディオなどいろいろな名詞に「イマーシブ」が付け加えられているといった具合だ。

消費者行動の変化

 では、なぜ「イマーシブ」が注目を集めているのだろうか?そこには二つの理由があるとみている。

 一つ目は、消費者行動の変化が挙げられる。戦後のモノが不足していた時代にはあらゆる人がモノ(商品)を求める「モノ消費」が消費行動の中心であったが、今や最低限の衣食住を満たすモノはあふれている。モノを買うことに満足しなくなった消費者は、コト(体験)にお金を費やすようになった。実際にはコトも簡単に買ってくれるわけではないのが、企業にとっては難しいところではあるものの、モノを買うことだけでは消費者の関心を引くのが難しくなったという点は誰もが感じていることだろう。

 移り気な消費者を引き止める要素として、「イマーシブ」がスパイスになると期待されている。

 二つ目は、技術の進化である。消費者とは「飽きる」生き物だ。どのような素晴らしいモノもコトもいずれは飽きられる。この飽きに対処するために、モノの時代はデザインを変えたり機能を追加したりすることで乗り越えてきた。では、コトの時代に「飽き」に対処するにはどうすればよいのだろうか? その答えの一つが「イマーシブ・テクノロジー」と呼ばれる技術だ。技術の進化によってコトを進化させることが可能になった。いくつか紹介したい。

 【イマーシブ・ジャーナリズム】
 2012年、米ニューヨーク・タイムズが「Snow Fall」というワシントン州で発生した雪崩事故に関する長編記事を公開した。従来型の文字と写真だけの報道ではなく、写真や動画、スライドショー、CG、地図、3D表現、音声など当時利用可能なマルチメディアを駆使して、新聞でもテレビでもないイマーシブな報道記事を完成させた。この意欲的な記事は同年4月にピュリッツァー賞(特集記事部門)を受賞した。

 【VR(仮想現実)/AR(拡張現実)】
 16年ごろに「VR元年」という言葉が度々使われた。VR(仮想現実)とは眼鏡型のウエアラブルデバイスを装着することで、ユーザーが仮想空間に入り込んだような体験を可能にする。一方、AR(拡張現実)とは、現実の世界の中でスマホなどを通して特定の場所を表示すると、仮想のキャラクターが出現するというものだ。「ポケモンGO」が配信され、街中でポケモンを捕獲する人が大量に発生し社会現象となった。

 【イマーシブ・ミュージアム】
 技術とアートを融合させた新たなアートの鑑賞方法であり、東京で昨年開催された「Immersive Museum〝印象派〟IMPRESSIONISM」は特別な音響効果と壁面・床面全てに投影される没入映像を組み合わせ、広大な屋内空間に名画の世界を再現するという試みが好評を博し、約20万人の動員に成功した。

 【イマーシブ・オーディオ】
 電車が通過すると音が右から左へ移動する「サラウンド」と呼ばれる技術で映画やゲームに使われてきた。このサラウンドをさらに発展させたのがイマーシブ・オーディオであり、アップルは「空間オーディオ」、ソニーは「360 Reality Audio」といった名称で専用カテゴリーを用意し音楽体験のコトを進化させている。この技術を利用した音楽は、サラウンドでは表現しづらかった頭上や音源との距離感まで再現され、自分を中心とした〝音楽室〟が誕生する。

 記事を読む、絵画を見る、音楽を聴く。これらは昔から存在したコトだが、技術の進化と融合させることで、イマーシブな体験へと進化させることに成功している。

「複合現実」の世界

 イマーシブはスパイスと表現したように、イマーシブが消費者の関心を引くことには成功しているものの、ビジネスという観点では大きな潮流には至っていない。象徴的なものが、人が仮想空間に入り込むVRだろう。何度となくVR元年と言われはしたものの、VR対応のゲームは少数派であり、ビジネス的に大成功しているとは言い難い状況だ。

 そんな状況を変化させるかもしれないと期待を集めているのが、アップルが来年発売する「Vision Pro(ビジョン・プロ)」と呼ばれるゴーグル型端末だ。ビジョン・プロは複合現実(MR)と呼ばれる技術を採用している。MRとは、現実世界に仮想の物体を表示するAR(拡張現実)を発展させたものだ。

 AR技術を使った代表作に「ポケモンGO」があるが、ポケモンGOではポケモンに会うことはできても、ポケモンに触れることはできなかった。MRならカメラや他のセンサーを利用することで、現実世界に映し出された仮想の物体に近づいたり、背後に回ったりすることが可能になる。

 ビジョン・プロはこのMRを実現するアップル初のゴーグル型端末ということで世界的にも注目を集めている。しかし、意欲的な製品ということもあり、価格は3499ドル、日本円で約50万円と非常に高価であり、今すぐ世界を変える、かつてのiPhone(アイフォーン)登場のような起爆剤には至らないだろう。

 ただ、それはアップル自体も理解しているはずだ。これまでもアップルは、アイフォーンや「Apple Watch(アップル・ウオッチ)」といった革新的な製品を世に送り出してきたが、初回製品は市場の反応を見るのが主目的であり、2世代目では初回製品で見つかった欠点を改良し、3世代目でこれまでに明らかになったユースケースなどからさらに改良を加え完成度の高い製品を送り出す。複数回のモデルチェンジを経て製品を育て、気が付けば世の中を大きく変えているのがアップルのやり方だ。

 モデルチェンジが3年に1度行われると想定すると、2030年ごろに一般の人々をターゲットとした3世代目が登場し、そのころがイマーシブの転換期になるのではないかと筆者は予想している。

本物そっくりの偽物

 筆者の予想通り、30年ごろにアップルのビジョン・プロに代表されるゴーグル型端末が普及期に入ると、MRを通して生活するのが当たり前の世の中が訪れているかもしれない。どこか知らない街を訪問してもスマホを開くことなく眼の前には目的地までの進行方向が表示されているかもしれない。世界中のどんな言語で話す人たちともそれぞれの母国語で会話すれば、翻訳結果がリアルタイムに表示される時代になっているかもしれない。あるいは目の前の人が怒っているのか退屈そうにしているのか? そんな感情が視覚化されているかもしれない。

 SF映画で見た光景が現実になる、そう期待している人も少なくはないだろう。しかし、リスクもある。眼の前に写っている物は本物なのだろうか? MRが当たり前になった時代には「本物」という言葉は別の意味を持つことになるだろう。見えている映像や音声が「本物」のように思えても、それは「偽物」かもしれないのだ。

 「本物」なのに「偽物」。何ののことか分からない読者が大半と思われるので説明しよう。

 今や生成AI(人工知能)が大きな注目を集めている。生成AIは簡単な指示で画像や動画を生成することができる。この生成AIの能力を悪用し、インターネット上に公開されている顔写真や音声から本物そっくりの「偽物」を作り出す「ディープフェイク」と呼ばれる技術が存在する。

 このディープフェイクを悪用し、ある企業の社長を装い数千万円の送金を成功させたサイバー犯罪が既に発生している。それだけではなく、SNS上に投稿された普通の写真からわいせつな動画を生成してポルノサイトに投稿し「削除してほしかったら身代金を支払え」といった「セクストーション」という犯罪が米国で起き、FBIが警鐘を鳴らしている。

 2023年時点でもディープフェイクによる捏造(ねつぞう)画像が投稿されれば偽物だと見抜くことは難しい。30年になり、より臨場感あふれるイマーシブなディープフェイクが登場していたら、人はそれを「偽物」だと見抜くことはできるだろうか?

 重大な選挙の局面で候補者を脱落させるために捏造された不倫の現場などがよりリアルな映像と音声でMRを通して目の前に広がったら、それを果たして「偽物」と見抜くことはできるだろうか?

 例え捏造された映像や音声であっても「本物」と錯覚させてしまうイマーシブ・テクノロジーの進化の延長上には、そういったリスクも潜んでいる。

ウソを見抜ける社会へ

 ビジョン・プロが商業的に成功した30年ごろの未来を想像すると、イマーシブは消費者を引き付ける有力なツールへと進化しているだろう。報道やマーケティング、何かを伝える行為の全てがイマーシブな要素を取り込んでいるだろう。

 しかし、その没入感がウソをウソと見抜くことができない社会となれば、大きな混乱を生み出す可能性もあることを忘れてはならない。幸い、そのような社会が訪れるまでには時間はまだ十分にある。イマーシブな体験をし、やがて訪れる未来を楽しみながら、備えてみてはいかがだろうか。

CISOアドバイザー 大元 隆志(おおもと・たかし) 世界中のサイバーセキュリティーをリードする米Netskopeの日本法人「Netskope Japan」勤務。システム構築を担う事業会社において顧客向けにシステムの提案・構築・コンサルティングなど25年の経験を持ち、現在は未知の脅威に対してのリスク分析と防御策を研究している。著書に「ビッグデータ・アナリティクス時代の日本企業の挑戦」(翔泳社)など。

(Kyodo Weekly 2023年7月24日号より転載)

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