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竹下和男氏講演会『“弁当の日”が生み出す“くらしの時間”』 要旨

2012年8月3日(金)積水ハウス(株)総合住宅研究所 納得工房

◎いじめを防ぐ「共感脳」の育成

◆「3つの時間」が子どもを育てる

 私が講演した学校の中に、PTAの行事をするたびに参加率がほぼ100%という学校がありました。子どもたちのために、大人たち自身が行動しようということをはっきり表せる学校は、校内が落ち着いている。子どもたちの反応が違う。明らかに優しさが心の中にできあがっている。逆に荒れている学校は、子どもたちが他人に優しくするという意味を分かっていない。そういう学校では、親も学校にほとんど足を運ばないことが多い。「地域共同体」というのが無意識のうちに、子どもたちを育むのに大きな役割を果たしていたと感じました。

 私は、子どもが育つための「三つの時間」があると考えている。「学びの時間」と「遊びの時間」、それに「暮らしの時間」だ。まず「暮らしの時間」というのは、家族と一緒に過ごす衣食住に関する時間。三つ子の魂百までというというように、この時間の間に、人生の基礎的なことのほとんど全てができあがる。社会性を育てること、基本的生活習慣を育てること、我慢する力を育てることなどなど。

 ところが現在の親は、保育所・託児所に0歳児から預けてしまう。あるいは子どもの欲望を満たしてあげることが、親の愛情だと思っているところがある。そうすると「暮らしの時間」は非常に貧相な状態となり、子どもは友達と一緒に遊んでコミュニケーション能力を身につけることが難しくなる。

 子どもたちは、大人がいないところで遊びを通じて、社会性を身に着けていくものだ。これが「遊びの時間」。社会力を発揮することができる基礎作りをしている。私の子ども時代は、ケンカが始まっても、仲裁役の大人は出てこない。しかし今は、とにかく親の監視が行き渡った状態になっている。すぐに仲裁役の大人が出てくることによって、子どもたちがコミュニケーション能力を形成する場面がなくなっている。最終的に困ったときには親のストップがくる。だから「大人がストップと言うまではやってもいいんだ」ということで、長崎県で同級生を殺してしまった女の子のように、20数回刺して顔をふんづけながら精神医がくるまで永遠とやり続けているという状態になってしまう。

 「学びの時間」というのは、自分の長所を見つけて、磨いて、社会に貢献するための道を選んでいく、そのための時間。学校とかお稽古事とか、地域の時間ともいえる。この三つの時間は三層構造になっていて、それぞれにバランスよく過ごされていないと、子どもって健やかな大人にはなれないというのが私の考えです。

◆「はなちゃん」の話

 実は講演ネタは20時間分くらいあって、話したいことはたくさんある。しかし「はなちゃん」の話をしないと、必ずあとで文句を言われるので、その話に触れます。男性と女性が出会います。女性は乳がんにかかりました。左胸の手術をして、左胸がなくなっちゃった。そのあと結婚をしました。医者から「おめでたは難しいですよ」と言われていたが、おめでたになった。生まれてきた子どもが、はなちゃんという女の子です。女性は制癌剤を打ち続けると、その薬の成分が胎児の方に行く可能性があるから、さらには生まれた後に母乳を与えるため、制癌剤を使わず、いわゆる免疫力を深める形の治療を続けることに決めた。やがて体が苦しくなって病院に行ったら、お母さん何でここまでほったらかしにしていたんですか、両方の肺と脊髄と肝臓にガンが転移しています、もう手術できません、余命5か月です-と言われた。

 皆さんは「あと5か月で自分の命がなくなる」としたら、お子さんに何を教えにかかりますか。自分がいなくなったあと、生きていくために、とっても大切なことを5か月の間に教えないといけない。その状態に、はなちゃんのお母さんは追い込まれました。いってらっしゃいと言ってもお帰りなさいと言えないかもしれないという日々の中で、一生懸命に子育てに励んだお母さんとお父さんと私、三人が写真を撮って文章入れて作ったスライドショー。これを今まで10万人以上の人が涙を流して見てくれた。

 小学校・中学校・高校・大学、私いろんな場所で1000回以上講演してきました。このスライドショーを見て、鼻の上がツーンとしたり、じわっと涙が出てきた子は手を挙げてごらんと、手を挙げさせますと、小学生だと1%、中学生でも7~8%程度です。興味の対象は自分しかなく、はなちゃん一家という「他人の話」を、わが事として考えられない。

 そこで私は訴えます。あなたたちの受け持ちの先生や校長先生や教頭先生やPTAの人たちは、はなちゃんと親戚じゃないのに、なぜみんなスライドショーをみて涙を流したのか。それは他人のことを考えることができる、前頭前野の「共感脳」、共に感じる脳みそが出来ているからだ。あなたたちはまだ出来ていなくて、育てている最中。この脳みそが育たないと、社会生活ができない。社会生活というのはね、自分の欲望で生きる話じゃなくて、人とのコミュニケーションをとって、いかにルールの中でそれぞれの人が幸せを実現していくかという話だ。あなたたちは今、とっても大切な時期にいる。小学校を卒業するまで、あるいは中学校を卒業するまでに、誰かに喜んでもらうことをやってほしい。喜んでくれたことを経験することが、共感脳をつくる上で極めて大きな役割を果たすと。

◆「分かる心」をつくる「弁当の日」

米国の脳科学者たちが、刑務所に入った人たちの脳みそ調べたら、前頭前野が見事に揃っていない。自分の欲望だけで生きる。他の人のことを考えて、優しくすることができない状態で、思春期を過ぎてしまったからだ。彼らは他人の金を盗む、欲しいものをとる。そのために邪魔するものは全部排除していくという感覚になる。

 日本でも、子どもたちの多くが親から「自分のことだけ考えて生きなさい」「勉強しなさい」「塾に行きなさい」「家族そろっての食事なんかどうでもいい、今はとにかく成績を上げることだけを考えなさい、そして勝ち組になりなさい」と言われ続けている。そうした環境下では、他人のことを考えている余裕がなくなってくる。他人の幸せや喜んでいる顔というのが、快感にならなくなる。そして他人の喜んでいる顔が腹の立つ材料になると、いじめが広がる。

 いじめた子たちは「いじめてない」とか「いじめたつもりがない」とか言う。それは言い訳ではなく、本音なのです。相手の気持ちを思いやる能力が育っておらず、いじめたつもりが本当にない。そういう子に、いじめはいけないと諭すより、相手の気持ちが分かる人間に育てることが大切。分かる心を作る場面を作りたいと考えて始めたのが「弁当の日」だ。「暮らし時間」や「遊びの時間」が、子どもたちの日常生活の中でうすっぺらになってきているので、それを広げるための手を打った。

 まず弁当の献立から買い出し、調理、弁当箱詰め、片付け、その全てを子どもたちに自分一人でやらせることにした。子どもが家庭の中で、全部自分一人で弁当を作るということをやったときに、家庭の中でくらしの時間が広がるのです。子どもが作った卵焼きや唐揚げが弁当箱に収まるのはわずか二切れか三切れ。残りを家族みんなで食べることになる。「美味しい」「上手にできたな」と言われると、子どもたちに「喜んでくれるのが嬉しい」という感覚が育まれていきます。

 中学校を卒業するまでは大事な時期です。高校に合格するか、大学に合格するか、就職する、結婚する、そうした時期に、人生とは何か、他人に優しくするとは何か、仕事に就くことはどういうことか、そういうことを話しても、もう臨界期は過ぎていると私は思います。それ以前に、仕事に就くことの大切さ、喜び、人に奉仕することの幸せな気持ちっていうのを刷り込まないと、ダメになる。それで失敗した人たちの家族は崩壊していく。

◆他人の役に立つのは人間の喜び

 3歳から9歳までの間に味覚が急速に発達します。はなちゃんは5歳前に台所に立ち始めました。お母さんがもう間に合わないって状態で教え始めた。子どもが台所に立ちたがる時期は、教えるチャンスです。その時期が過ぎると、もう味覚の発達が期待できない。結婚する前に、あるいはお母さんになる前に、というタイミングは明らかに適齢期、臨界期を過ぎている。皆さんも、小さいうちから台所に立たせませんか。今日連れてきている子どもたちは、まだ間に合う時期ですから。

 食育基本法という法律がありますが、その中には「台所に立たせて料理を作らせる」という計画がどこにも入ってない。結局ね、人間という生き物は、社会生活をすることによってここまで発展してきたがために、他人の役に立たないと生きていけないという本能まで作ったというのが私の考えです。

 2010年に大学卒業の時点で、全国で53人が自殺しました。彼ら全員、就職試験不合格だった。50社、100社、200社受けたけど、全部不合格だった。自分は就職できなかったということを原因に2010年、53人の大学卒業者が死んだのです。役に立たないということはそれぐらいこたえる。「あなたは、うちの会社では役に立ちません」という通知を何回ももらった。私だったら30社くらい受けてそうなったら、それ以上他の会社を受けることができません。それくらい役に立つっていう反応が返ってこないというのはしんどい。

 ということは、逆に反応が返ってくるということは、嬉しいということです。子どもが「俺が作った弁当で、父ちゃん母ちゃんが会社の人に自慢しようとしてる」と気付くと元気づけられる。ある父兄がこんな話をしてくれた。一学期の通信簿をみてびっくりした。成績がめちゃくちゃ上がっている。どうしたって聞いたら、息子は「食事の準備するたびに父ちゃん母ちゃん喜んでくれた。嬉しかった。その時に思いついた。成績上がったらもっと喜んでくれるだろうな」と。だから両親を喜ばせようと一生懸命勉強したというのです。

 このところ毎日のようにオリンピックのニュースが流れていますが、選手のほとんどが言うてます。「応援してくれた人たちに感謝したい」って。あの人たちに報いたい、喜んでほしい。自分が金メダルを獲りたいじゃなくて、自分が獲ることによって、日本を元気にしたいとか、支えてくれた仲間たちに報いたいとかいうこの感覚を人間は持って、ここまで進歩してきたのです。だから、その感覚の基礎を小さいうちにつくってあげてくれませんか。お子さんが弁当を作ったら、上手に誉めてあげてください。減点方式じゃなく、激励するよう上手にね。本日はご清聴ありがとうございました。

(了)

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