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「特集」人口、出生率アップ 流山市がすごい理由 コンサル視点で 次々と子育て支援

大西 康之
ジャーナリスト

 千葉県が発表した2024年の基準地価(7月1日時点)の住宅地の上昇率で、流山市が初の県内首位となった。流山市の上昇率は10・6%。県内市区町村で唯一10%以上の上昇で県内平均の3・2%を大きく上回った。千葉市や船橋市、鎌ケ谷市など比較的都心に近い「東京圏」の住宅地の平均変動率は4・6%であることから、流山市の人気は05年に開業したつくばエクスプレスによる通勤の利便性だけではないことがわかる。

 地価を押し上げているのは、地元住民に「別格」と評される「流山おおたかの森駅」周辺だ。高島屋グループが運営するショッピングセンターや緑豊かな公園、サウナ施設などが立地しファミリー層に人気を集める。

 洒落(しゃれ)たショッピングセンターや公園があったから子育て世代が増えた、という単純な話ではない。流山市が今日の状況をつくり上げるには20年の歳月を要している。

 03年に流山市長に当選した井崎義治氏は、多選批判を跳ね飛ばして23年の市長選に勝利し6期目に突入した。その間、井崎氏が力を入れ続けたのが「子育て世代支援」である。民間シンクタンク出身で不動産事業に詳しい井崎氏は、市長になる前、コンサルタントがよくやる「SWOT分析」で流山の未来を考えた。

市にマーケティング課

 Strength(強み)は、都心にはない自然の豊かさ。
 Weaknesses(弱み)は、知名度の低さ。
 Opportunities(機会)は、つくばエクスプレス開業による利便性の向上。
 Threats(脅威)は少子高齢化による税収減。

 強み(自然環境)と機会(つくばエクスプレス)を生かして、弱み(知名度の低さ)と脅威(少子化)を克服するために実行したのが、徹底した子育て支援だ。市長になった井崎氏は「とにかく保育所をつくれ」と大号令をかける。井崎氏が市長になる前17カ所だった市内の保育所は23年に100カ所を超えた。増えた保育所の保育士を確保するため、6万7千円の家賃補助など支援策を徹底した。

 もう一つ、井崎氏が市長就任と同時に打った手が、マーケティング課の新設だ。「市役所がマーケティングですか?」と市の職員は訝(いぶか)しんだが、民間出身の井崎氏にすれば「住民のニーズも知らずに的を射た行政サービスができるか」となる。

早くから子育て支援策

 そこから生まれたのが、「送迎保育ステーション」だ。2人以上の未就学児を抱える家庭は、きょうだいが必ずしも同じ保育所に入れるとは限らない。離れた場所にある保育所をハシゴしてから通勤すると、往復で2時間近くかかるケースもあった。

 「何とかしてくれ」という子育て世代の声に応え、流山市はつくばエクスプレスの流山おおたかの森駅と南流山駅に送迎保育ステーションをつくった。朝の7時からここでいったん、園児を預かり、行き先ごとにバスに乗せてそれぞれの保育所に送り届ける。帰りはそのバスが保育所を回って園児を集め、夕方6時から8時まで保育ステーションで預かる。親は通勤時に保育ステーションに子供を預け、帰りはここでピックアップするだけでいい。

 ちょうどこの頃、「待機児童」が日本全国で問題になり、多くの子育て世代から「これでは産めと言われても産めない」「働き続けられない」と不満の声が噴出していた。この問題にいち早く対応した流山市の評判が、都心で働くDEWKS(ダブル・エンプロイー・ウィズ・キッズ=共働きの子育て世帯)の間で広がった。

 こうした仕組みができてきたタイミングで井崎氏は次の手を打つ。都内の地下鉄ホームにポスターを貼ったのだ。大物コピーライターに頼んで作ったキャッチコピーが奮っている。
 「母になるなら流山市。父になるなら流山市。」

 ポスターを見た子育て世代が流山市になだれ込み、人口増加のモメンタムを作る。16年から22年まで、流山市は全国に792ある市の中で人口増加率ナンバーワンを記録した。09年まで15万人台で推移していた流山市の人口は21年に20万人を超え、23年には21万1千人に達した。

パワーカップル

 流入してきたのは、いわゆる「パワーカップル」と呼ばれる人々だ。夫婦ともに正社員で2人合わせた年収は2千万円近い。これが流山市の税収と地価を押し上げた。流山おおたかの森駅前に林立したマンションは当初4LDK3千万円台で売り出されたが、数年で6千万円を超えた。駅前の庭付き一戸建ては1億円を突破した。

流山おおたかの森駅そばの大型商業施設前広場。駅前の一戸建ては1億円越えも=2024年10月26日

 著書『デフレの正体』で知られるエコノミストの藻谷浩介氏も流山市の躍進に注目する。氏が着目するのは流山市の0〜9歳人口の増加である。

 「日本の都市はさまざまな政策で人口奪い合いを展開しているが、これは全国で見ればゼロサムゲームで日本全体の人口は増えません。流山市が特筆すべきは、東京の都心から人口を奪っているだけではなくここで子供が生まれていることです」

 流山市の統計を見ると14年からの10年間で、0〜9歳の人口は8千人近く増えている。他都市から流入してきた子供もいるが、10年のスパンで考えれば「流山市で生まれた子供」も少なからずいることになる。

 定量的な数字ではないが、市内の小学校教員がクラスの子供たちに尋ねたところ、一人っ子の子供より3人きょうだいの子供の方が多かったという。市内の不動産会社社長はこう推測する。

 「流山のマンションは都内に比べ、同じ価格帯でも一部屋多い。流山でマンションを買う世帯は、未就学の子供が1人いて2人目がお母さんのお腹にいる、というパターンが多い。子供が2人になると都内のマンションでは手狭なので、もう少し広いところを、というわけです。ところが、暮らしてみると子育てがしやすく、部屋にも余裕がある。だったらもう1人、となります」

 流山市の2022年の合計特殊出生率は1・50で全国平均の1・26を大きく上回っている。

 人口、中でも子供の数が増えるのは、都市が成長する上で欠かせない要素だが、全ての市民がそれを望んでいるわけではない。SNSの書き込みをみると「市の政策が子育て世代に偏りすぎ」「子供が増えてうるさい。静かな流山を返せ」などの声もある。深刻な問題は、昔から流山に住んでいる住民と、この数年で流入してきた住民の価値観の違いである。

 パワーカップルの多くは、平日の昼間は都心で働いているので、中には流山市への愛着が薄い人もいる。流山市を「ベッドタウン」と考えているこれらの人々にとって流山市が「ホームタウン」になれるかどうかが鍵になる。

スポーツをベースに

 ヒントになりそうなのがスポーツだ。21年に発足した流山市の社会人サッカーチーム、流山FCは千葉県3部から活動を始め、毎年昇格して24年シーズンは千葉県1部で優勝。関東2部への昇格に挑戦している。

 チームを立ち上げた元Jリーガーの安芸銀治(あき・ぎんじ)氏は「10年でJリーグ」を目標に掲げている。関東1部を越えればJFL、その先がJ3。道のりは長いが、地域リーグを勝ち上がるにつれ、熱心に応援するサポーターが増えてきた。その中にはパワーカップルもいて、週末は子連れで流山市から車を飛ばして県内の競技場に駆け付ける。J1で活躍する鹿島アントラーズや町田ゼルビアのように、何代にもわたって流山に住む人々と新たに流入してきた子育て世代が、ともに流山FCの勝利に熱狂する日が来るかもしれない。

 流山の急激な発展が始まったのは、つくばエクスプレスが開業した05年からである。江戸時代にみりんの生産で栄えた歴史はあるが、文化の厚みはさほどない。文化的な蓄積あるいは集積という意味では、筑波大学を中核に大企業の研究所が集積し学園都市として栄える茨城県のつくば市や、醤油(しょうゆ)で栄え世界のキッコーマンを生んだ隣の野田市にかなわない。

 都市には昼の顔と夜の顔がある。流山市で注目される保育施設や緑豊かな公園、ママ友仲間が喜びそうなカフェと昼の顔はこの20年で驚くほど充実した。

 一方でおじさん仲間がワイワイやれる居酒屋、黙って座れば旬の魚を食べせさてくれるすし屋、静かにジャズが流れるバーといった夜の顔はさっぱりだ。アートや音楽もからっきし。これでは文化人が住む街にはならない。

 充実した子育て環境に目をつけて流山に流入してきたパワーカップルの場合、妻は仕事に子育てに、地域貢献と、充実した日々を送っている。夫も子育てや家事に積極参加しているが、「息抜きできる場所がない」という本音も聞こえてくる。「早く仕事を上がれた日に、駅前のスターバックスで1時間だけ本を読むのが唯一の息抜き。でも妻にバレたら家事、育児をサボったと怒られる」と切実に訴えるお父さんもいた。

なれるか「官能」ある街

 安全・快適で機能的であることは街の必須条件だが、何世代にもわたって人々が住み続けるような「ブランド都市」は、それぞれが独特の「官能」を持っている。鎌倉は文人の街、下北沢は演劇の街だ。こうした街は昼も夜も人々を惹(ひ)きつける。

 昼の顔は市長の手腕や市役所の都市計画で充実させられるが、夜の顔を豊かにするのは市井の人々、民である。行政が企画したお祭りや、文化イベントほど興ざめなものはない。

 例えば埼玉県の浦和市は、サッカーJ1の強豪、浦和レッズが起爆剤となり、市内にサポーターが屯(たむろ)するスポーツバーや居酒屋ができた。つくばエクスプレス沿線の北千住は、かつて飲屋が林立するおじさんの街だったが、06年に東京芸大の千住校ができたことで、若者とアートが混ざり込み、街の魅力が格段に増した。

 夜の顔、官能のない街で育った子供は、大学進学や就職を契機に街を出て戻らない。高度成長期に乱立したニュータウンは、残された高齢者とともに衰退している。巣立った子供が大人になってから「もう一度あの街で暮らしたい」と思えるだけの魅力、すなわち官能を身に付けられるかどうかが、これからの流山市の課題である。

ジャーナリスト 大西 康之(おおにし・やすゆき) 1965年生まれ。愛知県出身。88年早大法卒、日本経済新聞社入社。欧州総局(ロンドン)、日経新聞編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生」(日本経済新聞出版社)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」(講談社)、「起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」(東洋経済新報社)など。

(Kyodo Weekly 2024年11月11日号より転載)

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