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【映画コラム】『Michael/マイケル』から、マイケル・ジャクソンのMVを振り返る

(R), TM &(C)2026 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 「スリラー」以降のマイケルのMVのキャリアは、「映画監督と組んで映像表現の限界を押し広げた歴史」そのものだった。

 「今夜はビート・イット」(83)の監督はボブ・ジラルディ。本物のギャングたちが撮影に参加し、『ウエスト・サイド物語』(61)をモチーフにした世界観の中、対立するストリートギャング同士の抗争がダンスによって終結するという構成は、ギャング映画とミュージカルの融合だった。

 「バッド」(87)では、『ウエスト・サイド物語』への憧れをさらに押し進める。監督は『タクシードライバー』(76)や『レイジング・ブル』(80)ですでに有名だったマーティン・スコセッシ。約18分のショートフィルムとして製作され、若者のアイデンティティーや仲間との葛藤を描く青春映画の趣を持っていた。共演したウェズリー・スナイプスの出世作としても知られる。

 「スムーズ・クリミナル」(88)は、映画『ムーンウォーカー』(88)の中核をなす作品であり、往年のギャング映画やフィルムノワールへの愛情に満ちていた。とりわけ有名なナイトクラブの場面は、マイケルが敬愛していたフレッド・アステア主演のミュージカル映画『バンド・ワゴン』(53)の「ガール・ハント・バレエ」のシーンから大きな影響を受けている。白いスーツにフェドラ帽というスタイル、そして45度前傾する「ゼロ・グラビティ」パフォーマンスは、ポップカルチャーの象徴となった。

 マコーレー・カルキンも登場する「ブラック・オア・ホワイト」(91)では、ランディスと再びタッグを組み、世界各地の民族舞踊を取り込み、人種や文化の壁を越えるというメッセージを映像化した。特に終盤のモーフィング技術によって人々の顔が次々と変化していくシーンは、当時最先端のデジタル映像表現として大きな話題を呼んだ。

 恋人を失った男の孤独を描く「フー・イズ・イット」(92)は、映像詩とも呼ぶべき作品だった。監督は、当時すでにMVやCM界で注目を集めていたデビッド・フィンチャー。後の『セブン』(95)や『ファイト・クラブ』(99)につながる、都会的でスタイリッシュな映像美がこの時点ですでに見られる。

 「リメンバー・ザ・タイム」(92)は、古代エジプトを舞台にした歴史スペクタクルだった。監督はジョン・シングルトン。エディ・マーフィやマジック・ジョンソンも出演し、ハリウッド大作を思わせるスケールで製作された。マイケルが黄金の砂へと姿を変えて消えるラストシーンは、当時のCG映像の象徴的なカットとして知られる。

 「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」(96)では、社会派監督スパイク・リーと組み、二つの異なるバージョンのMVが製作された。一つは刑務所を舞台に、人種差別や国家による抑圧を描いた「プリズン・バージョン」。もう一つはブラジル各地で撮影され、打楽器集団オロドゥンと共演した「ブラジル・バージョン」である。貧困や差別の中で生きる人々のエネルギーを映像化したその姿は、もはやMVというより社会派ドキュメンタリーと音楽映画の融合だった。

 振り返れば、「スリラー」が切り開いた「音楽映像は映画になれる」という可能性を、マイケルはその後20年近くにわたって拡張し続けたことになる。第一線の映画監督たちがマイケルの作品に集まったのは偶然ではない。彼らにとってマイケルのMVは単なる宣伝映像ではなく、「数分間で一本の映画を作る」という挑戦の場でもあったのだ。
(田中雄二)

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