大使、カンボジアを駆ける 【リアルワールド✕舟越美夏】
イランを攻撃したトランプ米大統領が、イラン国民に「体制転換」のために蜂起せよ、と呼びかけた。この報で頭をよぎったのは、カンボジアで仏教の調査研究をしていたフランスの民族学者が、1970年に介入した米国について書いた一文だった。
「カンボジアの現実に対する無関心と無理解、無責任さ、恐るべき不手際、欺瞞(ぎまん)に満ちた無邪気さ」。複雑なカンボジア仏教社会を破壊する超大国への強烈な憤りが込められていた。
彼の怒りを私は、米国主導のアフガニスタン攻撃や、米秘密収容所で拷問された無実のイスラム教徒らの取材で追体験した。そして今また、だ。怒りと絶望感で心が塞(ふさ)いだ。
そんな時、出版されたばかりの『大使、カンボジアを駆ける』(めこん)を手にした。著者は元駐カンボジア大使、篠原勝弘氏。カンボジアに4度赴任し、内戦で荒廃した国の再建に尽力した外交官である。

『大使、カンボジアを駆ける』篠原勝弘 著
25年前、在カンボジア日本大使館公使だった篠原氏に初めてお会いした時のことを覚えている。1960年代に僧院でカンボジア語を習得したこと、政権幹部と親しいこと。すでに伝説の人だったが、どんな人の警戒心も解いてしまうあたたかな人柄が印象深かった。
実はその優しさは、並外れた人間への敬意と好奇心、和平への情熱によるものだったと、本書で分かった。しかも40年にわたる外交官人生で、それは変わることがなかった。
感銘を受けたエピソードは多いが、著書冒頭の話は特に衝撃的だった。1970年4月、20代の篠原氏は、行方不明になった日本人記者を探しているうちに、カンボジア東部の国道でひとり取り残され、途方に暮れていたという経験だ。
親米政権と反政府勢力による内戦状態だった当時、反政府勢力が潜む地域である。こんな危険な任務も遂行していたとは知らなかった。
私たちが忘れていることもある。1990年代、国際社会とともに始まったカンボジアの平和構築は、日本が国際会議に呼ばれるきっかけをくれた。
それまでの日本は、国際社会から「アメリカの言いなりの国で、独自の立場が取れない」とみられ、アジアの重要問題でも会議に呼ばれなかった。この時に、難民支援のNGOも大きく育ち、世界的に認められる地位を築いた。
記者たちには「独裁者」と呼ばれるフン・セン前首相を「情に厚い権力者」とする評価も興味深い。篠原氏と首相は1989年以来の付き合いで、篠原氏の大使在任中には、3カ月ごとに首相の私邸で2人だけで会っていたという。
カンボジア語の機微を理解し、欧米外交官のように「上から目線」で接しない篠原氏に、フン・セン氏は絶大な信頼を寄せていたのだろう。「米国追随ばかりでは東南アジア諸国からの信頼を勝ち取ることは困難」と篠原氏は明確に書いている。
篠原氏の存在がなかったら、現在の日本とカンボジアの関係は違っていたのでは、と私は思う。カンボジア人の日本への厚い信頼は今も変わらない。
複雑な歴史の背景や文化の奥行きに敬意を持ち、信頼を得て和平に貢献する地道な作業が、何を生み出すか。沈んでいた心が、少し明るくなった。
舟越美夏(ふなこし・みか)1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.12からの転載】
編集部からのお知らせ
新着情報
あわせて読みたい
自動車リサイクル促進センター














