あの日の自分を抱きしめたい 【サヘル・ローズ✕リアルワールド】
あの頃の私は、にっこり笑った笑顔の仮面を貼りつけて学校へ通っていました。私だけではなく、きっと読者の方の中にも同じような時期を過ごした方がいるのではないでしょうか。
当時は「友達がいるふり」をして、母に心配をかけないようにしていました。教室では「サヘル菌」と呼ばれ、机に「イランはいらん」と落書きされても笑ってやり過ごすふり。でも本当は、毎日が地獄でした。
いじめというのは、殴られる痛みよりも、じわじわと魂を削ります。言葉や視線、無視という沈黙。それらは時間をかけて心を蝕(むしば)み、「自分はこの世界に必要ない」という錯覚を生み出してしまう。私は、そんな負の沼に沈みかけたひとりでした。
そしてこれは子どもの世界だけの話ではありません。職場でのパワハラ、マタハラ、モラハラ…無視や過剰な叱責(しっせき)、仕事を与えないという形の排除。大人の世界にも、形を変えたいじめは存在しています。
役職や雇用形態、性別や国籍を理由に、人は簡単に「外側」に追いやられてしまう。子ども時代にいじめられた人が大人になって加害者になることもあれば、家庭や職場のストレスを別の誰かにぶつけてしまうこともあります。
今の時代、いじめは場所を選びません。教室の外、オフィスの外にいても、スマホやパソコンの画面が加害の場になる。SNSはつながる道具でもあるけれど、匿名の暴力や仲間外れを拡散する道具にもなります。夜中にスマホを開いて自分への悪口や誹謗(ひぼう)中傷を見つけたら、布団の中にいても心は逃げ場を失います。
引きこもりになることを「弱さ」だと言う人もいます。でも、私はそうは思いません。心や体を守るために距離を取ることは、生きるための選択です。子どもの頃の私は、その選択肢があることすら知りませんでした。だからこそ今、苦しい場所から離れる勇気を持ってほしいと伝えたいのです。
「学校に行かないと将来がない」「会社を辞めたら終わりだ」と言われるかもしれません。でも、世界はその外にも広がっています。知識を得る方法も、出会える人も、居場所も、一つではありません。無理を重ねて心を壊すくらいなら、一度立ち止まってもいいのではないでしょうか。
そして、もし誰かが苦しんでいたら、声をかけてほしい。「おせっかい」かなと迷っても、そのひと言で救われる人はいます。傍観は安全かもしれませんが、やがて加担にもなり得ます。
いじめもパワハラも、被害者だけではなく、加害者や傍観者を含めた社会全体の問題です。家庭での差別的な会話、無意識の偏見、大人の無関心が、人の残酷さを育ててしまうこともあります。だから、私も含めて、私たち大人も変わらなければなりません。
私は今もあの日の自分を抱きしめたいと思っています。「もう頑張らなくていいよ」と。そして、生き延びた自分にこう伝えたい。「ありがとう」と。
もしこの文章を読んでいるアナタが今まさに孤独や痛みに押しつぶされそうなら、私はアナタの選択を否定しません。
でも、もしほんの少しでも生きる方を選べたら、その時は昨日の自分に手を振ってください。私も、アナタのその姿を遠くから見つめています。
誰ひとり、この地球で透明人間なんかじゃない。この世界でたった一人の音色を持つ存在です。
どうか、その音が途切れないように、アナタの命を守ってほしい。そして、自分の心を抱きしめた先に、他者への愛情が生まれてくると、私は信じています。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 36からの転載】
サヘル・ローズ / 俳優・タレント・人権活動家。1985年イラン生まれ。幼少時代は孤児院で生活し、8歳で養母とともに来日。2020年にアメリカで国際人権活動家賞を受賞。