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「特集」 《政局展望》震災、裏金直面 全ては岸田首相の去就から始まる

後藤 謙次
元共同通信社編集局長

能登半島地震への対応

2024年1月1日午後4時10分、石川県能登地方を最大震度7の地震が襲った。激しい揺れと同時に大津波警報が出され、NHKの女性アナウンサーは絶叫するように住民に避難を促した。
「高台に逃げてください」「東日本大震災を思い出してください」―。

「令和6年能登半島地震」と命名された巨大地震による犠牲者は1月15日時点で220人を超えた。なお多数の安否不明者がいるとされ、被害の拡大は避けられまい。

大規模災害は、普段は目に見えない政権の実力、実像を残酷なまでにあぶり出す。とりわけリーダーの決断は災害対策の成否を決定づける。今回の能登半島地震を巡っても、行政の最高責任者である首相岸田文雄はその責めを一身に負わなければならない。震災対応で不手際が続けば、岸田退陣論に直結するだろうし、逆に一定の結果を出せば岸田見直し論が力を得る可能性がある。

明らかに能登半島地震は政治が取り組むべき課題に関して優先順位の変更をもたらした。地震発生までは自民党の派閥のパーティーを巡る不透明な政治資金問題を中心にした政治改革がテーマだったが、一気に震災対応という喫緊かつ具体的な課題が岸田の目の前に現れた。このため、2024年の「政局見取り図」も大幅な書き換えを余儀なくされている。

首相のリクエスト曲

24年政局の中心軸は、言うまでもなく3年に1度巡ってくる自民党総裁選だ。ゴールは9月。すべての政治の流れは9月に向かって動く。その流れを決定づける最大の焦点は岸田の去就にあると言っていい。21年の総裁選は現職総裁(首相)だった菅義偉が告示直前に出馬を断念したため一気に候補者4人が立候補した。岸田をはじめ、デジタル担当相の河野太郎、経済安全保障担当相の高市早苗、元総務相の野田聖子の4人の争いは決選投票に持ち込まれ、岸田が勝利した。

菅の不出馬の理由は支持率の低迷にあった。衆院議員の任期満了が近付く中で、自民党内に「菅首相では選挙を戦えない」との声が強まった。無派閥の菅に勝算は見えず、出馬断念に追い込まれた。

しかし、支持率だけで言えば、菅の末期より岸田の内閣支持率のほうがはるかに低い。共同通信の調査でも退陣直前の菅は32%。これに対して直近の岸田の支持率は27%。多くの世論調査でも〝危険水域〟とされる20%台を推移し、中には10%台にまで落ち込んだ調査もあった。

従来の経験則から言えば、岸田が退陣に追い込まれても不思議はない。ところが、岸田は驚くほど政権維持に執念を燃やす。筆者は昨年末に文化放送のラジオ番組の収録で岸田と対談した。番組では岸田にリクエスト曲を求めるコーナーがあった。そこで岸田は昨年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」のテーマ曲をリクエストしたのだった。岸田の口調から「どうする岸田」という自問自答にも聞こえた。「自分がやらねば誰がやる」―。そんな岸田の強い自負を感じさせた。岸田は総裁選についてもこう語った。

「具体的な政策で結果を示すことができれば、政局や政治日程を考えることができると思い定めている」

明言は避けながらも続投への強固な意思を滲ませた。その自信の背景にあるものは何か。有力な対立候補者の不在と派閥の凋落(ちょうらく)があるとみて間違いないだろう。自民党の総裁選で勝敗を分けてきたのは「数の論理」だ。ところが今年の総裁選はおそらく「数の論理」は通用しない可能性がある。自民党内の6派閥のうち5派閥で、主催した政治資金パーティーを巡る不正経理問題が刑事事件に発展し、派閥政治が音を立てて崩れ落ちているからだ。

中でも党内最大派閥の安倍派(99人)は多額のキックバックによる裏金問題で派閥事務所が東京地検特捜部の家宅捜索を受け、中枢幹部8人がごっそりと任意の事情聴取を受けた。それにとどまらず、1月7日には同派所属の衆院議員池田佳隆が逮捕される事態に発展した。

安倍派は22年7月、会長だった元首相の安倍晋三が不慮の死を遂げて以来、会長不在のまま集団指導体制で派としての体裁を保ってきたが、もはや派閥としては機能を喪失したかのようだ。安倍亡き後の安倍派の後ろ盾ともいえる元首相森喜朗(86)も「地検の捜査が一段落するまで動けない」と周辺に漏らし、事態を静観するだけだ。

「安倍派離れ」の決断

こうした安倍派に対して岸田は極めて冷淡な対応に終始する。昨年12月の段階で前官房長官松野博一、前経済産業相西村康稔、党政調会長萩生田光一ら「5人衆」と呼ばれた安倍派幹部を政権の要職から一掃する人事を断行した。「5人衆」はもともと、森の指名に従って岸田が登用したことに始まる。このため森も一貫して「岸田支持」の立場を貫いてきたが、「安倍派一掃」に際して岸田は森に事前連絡をしていない。いわば岸田が「安倍派離れ」に舵(かじ)を切った決断だった。

過去には元首相田中角栄によって政権を手にした中曽根康弘が田中の病気入院を機に「田中離れ」に踏み切り、長期政権を実現したことがあった。岸田の決断はそのことと重なる。

さらにパーティー問題では二階派会長の元幹事長二階俊博(84)も任意の事情聴取を受けた。二階は菅政権誕生の指南役で、岸田政権発足後は党内非主流派の支柱として岸田に睨(にら)みを利かせてきただけに、岸田は政権運営でフリーハンドを手にする可能性が出てきた。

無論、安倍派内には岸田に対する反発は存在する。「捜査が一段落したら反転攻勢だ」と語る中堅幹部も存在するが、表立って反岸田で動くことは考えにくい。政治資金パーティー問題で派閥政治が国民世論の指弾の的となっている最中での「岸田降ろし」は、国民を敵に回すことになりかねないからだ。かつてロッキード事件で田中角栄が逮捕されると、当時の首相三木武夫を引きずり降ろそうと田中の仇敵(きゅうてき)でもあった福田赳夫(後の首相)も加わった「三木降ろし」が吹き荒れた。しかし、三木は頑として辞任を拒否した。現職首相に辞める意思がなければ、引きずり降ろすことは不可能に近い。三木が率いた三木派は党内第4派閥。その状況はいまの岸田とも似通う。

むしろ岸田は裏金問題を逆手にとって政治改革の主導権を狙う。1月11日には政治資金の透明化などを検討する「政治刷新本部」を発足させた。本部長は岸田自身、最高顧問に元首相で副総裁の麻生太郎と前首相の菅義偉を起用した。菅は無派閥を貫く派閥解消論者。一方の麻生は第2派閥の麻生派を率いる領袖(りょうしゅう)の一人。裏金問題についても「安倍派の問題」と突き放す。両者が折り合えるとは思えない。むしろ麻生、菅の刷新本部の顧問就任は9月の自民党総裁選を睨んだ岸田の〝取り込み工作〟と見たほうがいいかもしれない。

政権は超低空安定飛行

それだけではない。能登半島地震の復旧・復興が最優先の状況では与野党ともに政局的な動きはご法度だ。巡り合わせとはいえ日本の政治が直面する ①能登半島地震 ②政治とカネをめぐる政治改革― の2大テーマを岸田が中心となって推進する構図ができつつある。

震災対応で野党側も協力しないわけにはいかない。岸田は能登半島地震の復旧・復興に関して、24年度予算案で計上している予備費5千億円を倍増する方針を表明した。来年度予算案に震災対策が含まれるとなると、野党側も予算案審議で徹底抗戦はできまい。来年度予算の年度内成立をめぐる攻防が岸田の「3月危機説」の根拠になっていたが、それもほぼ消えたと言っていいだろう。

つまり6月23日の通常国会会期末までに「岸田降ろし」に火が付くような状況が生まれる可能性は極めて低いとみられる。結局は9月の総裁選と次期衆院選の日程がどう絡み合うかによって総裁選の構図も帰趨(きすう)も決まってくることになる。

確かにしばしば総裁選の候補者に、元幹事長の石破茂、河野太郎、高市早苗らの名前が挙がるが、いずれも派閥的背景がなく推薦人20人の壁が立ちはだかる。岸田に対抗するための政治的、政策的な旗印も見えてこない。幹事長の茂木敏充は岸田が立候補を見送った場合に出馬の可能性はあるが、派閥解消が政治改革の焦点として浮上している中で第3派閥の茂木派会長であることが足かせになる。

この4人のほかに、前厚労相で茂木派衆院議員の加藤勝信と、外相上川陽子。加藤の義父は元政調会長の加藤六月。安倍の父晋太郎の側近で森が「安倍派が一番担ぎやすい政治家」と周辺に漏らす。さらに岸田が立候補を見送った場合には、政策の継続性重視の立場で官房長官の林芳正の浮上も考えられる。ただ、いずれも決定打を欠き、結果として岸田の続投意欲を支えることにつながっている。

その一方で、岸田政権の消長に直結する解散時期に大きな影響力を持つ公明党はどうみているのか。代表の山口那津男は1月2日の街頭演説でこう述べている。
「今直ちに衆院解散ができるような状況ではない」

公明党の基本は「総裁選次第」(党幹部)。岸田に取って代わる新しい顔が出てくるのか、それとも岸田の支持率が持ち直すのかを見極めるというわけだ。その上で24年秋には衆院選を終えておきたいのが本音と見ていい。25年夏には公明党にとって「衆院選より大切」(党幹部)とされる東京都議選と参院選が同時期に巡ってくるからだ。衆院選が今秋ならば、公明党員の精神的支柱だった創価学会名誉会長の池田大作を昨年11月に失って初めての国政選挙となる。それ以前に公明党が重視する東京都知事選はことしの7月7日の投開票が決まっている。こちらは現職の都知事小池百合子の3選がほぼ確定的だ。

「超低空安定飛行」という〝異形〟の岸田政権が続くのか。24年政局は岸田の去就から全てが始まると言っていい。(敬称略)

元共同通信社編集局長 後藤 謙次(ごとう・けんじ) ジャーナリスト、白鷗大学名誉教授。1949年東京都出身。73年早稲田大学卒業後、共同通信社入社。自民党クラブキャップ、首相官邸クラブキャップ、政治部長などを経て2006年編集局長。07年退社後、TBS「NEWS23」キャスター、テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを務め、現在は文化放送「後藤謙次ポイント・オブ・ビュー」(毎週月曜日夕)に出演。

(Kyodo Weekly 2024年1月22日号より転載)

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