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「特集」 「新たな脅威」違法薬物ビジネス 震源地ミャンマー依存症には支援を

ジャーナリスト
舟越美夏

 アジア太平洋地域で、違法薬物の流通が爆発的に増加している。震源地は、2021年2月に軍事クーデターが起きたミャンマー。経済の混乱と無法状態は、違法経済の成長に絶好の機会を与え、世界最大の麻薬密造地帯だった北東部シャン州で薬物密造が活発化した。大量の覚醒剤やヘロインは新たな薬物依存者を生み出すだけでなく、賄賂や資金洗浄(マネーロンダリング)を通して合法経済や司法システムを害している。国連薬物犯罪事務所(UNODC)のジェレミー・ダグラス東南アジア大洋州地域事務所長(バンコク)は「地域全体が大きな影響を受けている」と警告し、各国に連携した対策を打ち出すよう呼びかけているが、反応は鈍い。

長い歴史と戦争

 違法薬物ビジネスは今、人の尊厳や生存をおびやかす「新たな脅威」と呼ばれる。とはいえ、麻薬は人類と数千年来の長い付き合いだ。ケシから採れるアヘンは古代から、鎮痛剤として知られてきた。人や動物は、苦痛を取り除く物質を生きる上で必要としてきたのだ。

 心身に多大な苦痛を与える戦争でも、薬物はつきものだ。「覚醒剤」と呼ばれるメタンフェタミンは初めて日本で合成され、第2次大戦中に日本軍は「士気高揚」などとして兵士らに与えた。1945年12月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本軍が備蓄していた大量の覚醒剤を製薬会社へ放出するよう指示。市販された覚醒剤の中でも「ヒロポン」は疲労防止として人気で、多数の市民が依存症になった。

契機は軍事クーデター

 「薬物が増産される」。ミャンマー国軍がクーデターを起こしたと知った時、UNODCのダグラス所長は直感した。クーデターや人権問題などを理由に西側諸国がミャンマーに経済制裁を科し経済が停滞する度に、違法薬物の生産が増えたからだ。

 ダグラス氏が国際社会に警告した通り、タイやラオスで間もなく大量の覚醒剤が押収され始めた。大半が錠剤型覚醒剤「ヤーバー」で、その年の押収量は史上最高の10億錠超。純度の高い「クリスタル」なども含めた覚醒剤全体の押収量は171・5トンと記録的だった。いずれもシャン州産である。

 ケシ畑も増加に転じた。ケシはシャン州の貧しい農家にとって換金作物だったが、コーヒーなどの代替作物の推進で栽培は減少していた。しかしこの年、ケシ畑の面積は前年比33%増の400平方キロに拡大した。経済が破綻した状況では、農家は確実な収入が見込めるケシ栽培に戻るしかなかったのだ。

シャン州から各国へ

 シャン州は、ワ州連合軍(UWSA)やタアン民族解放軍(TNLA)といった複数の少数民族武装勢力が自治を求めて国軍と対立し、違法薬物密造で得た資金を元手に武装してきた。中でもUWSAは、支配地域のジャングルの奥にヘロインや覚醒剤を製造する大規模な工場を持つことで知られ、国境地帯ではカジノを運営している。

 他にもさまざまなグループが密造に関わっているが、ダグラス氏によると、クーデター後に大幅増産したのは「覚醒剤専門の小規模グループ」だ。

 小規模グループで覚醒剤の製造と輸送をしていたという40代後半の男性が、最近の製造方法の一つを教えてくれた。自宅で調合した化学物質と製造機械を中古の日本車の後部に積み、ドライブしながら覚醒剤を製造する。森の奥に建てた小屋で密造するよりも、捜査当局に摘発されにくいという。

 薬物は、さまざまな方法で国内外に運ばれる。シャン州から車で最大都市ヤンゴンや西部ラカイン州の港へ。徒歩で山岳地帯を数日かけて運び、中国やラオス、タイへ。国境線の川を小舟で行き来し、対岸の中国に密輸する組織もある。大きな利益を生む高純度の覚醒剤は、さまざまなブランドの「お茶」の袋に詰められて、洋上で漁船から別の船に積み替えられ、日本や韓国、オーストラリアなどに向かう。台湾と香港の犯罪グループが介在して日本で売られる覚醒剤の相場は、シャン州の300倍だ。

 大量の薬物の輸送にはあらゆる分野の人々の協力が必要で、誰もが〝あぶく銭〟をつかむチャンスに群がっている。国軍兵士のほか反軍政・親軍政の武装勢力、各地の当局者や警察官らに賄賂や手数料、「税金」が渡される。「国境を越える犯罪組織に対するグローバルイニシアチブ」(本部ジュネーブ)は、違法薬物ビジネスには、ミャンマー国軍の中枢が関与していると指摘している。違法薬物ビジネスが拡大し続ければ、公衆衛生や司法、金融制度への影響は強まる一方だ。

ミャンマー・シャン州で、ケシ栽培をする農民(UNODC提供)

 

解決に後ろ向きなワケ

 6月26日の「国際薬物乱用撲滅デー」。ミャンマーでは約640億円相当の違法薬物の焼却が公開された。東南アジア各国も、違法薬物の押収を相次いで発表している。

 しかし「押収だけでは、解決にならない」とダグラス氏は指摘する。覚醒剤の原料となる化学物質は規制の対象外で、インドや中国、ベトナムから合法的に入手し簡単に増産できるため、押収は密造組織に大きな打撃にならない。

 「必要なのは、犯罪組織がカネ儲けをしにくくなる政策です」。化学物質の輸出入を管理し、マネーロンダリングなど違法なカネの流れを止め、汚職を摘発する。それには、各国が連携し、規制当局を交えた地域戦略を打ち出し、実行しなければならない。

 しかし、東南アジア各国は、根深い汚職や不安定な治安情勢といった、違法経済をのさばらせる問題の根本的な解決には正面から取り組もうとしない。複雑な利害が絡む政治的リスクをはらんでいるからだ。

 そんな中で、ダグラス所長が「強力なパートナー」として期待するのが日本だという。
 「日本は域内の国々に信頼され、発言力がある」と所長は力説する。UNODCと日本が連携することで、犯罪組織解体に向けた戦略構築へと、各国を動かすことができるのではないか。「それは日本にとっても利益になるはずです」

政治的解決の限界

 一方、「違法薬物問題はあまりにも複雑で、政治的解決は無理」と語るのが、タイの薬物依存政策に関わるマヒドン大学(バンコク)のプラパプン・チュチャロエン博士だ。

「依存者を犯罪者にせず、患者として治療するほうが、市民の健康と地域社会を守ることにつながる」という彼女の説は、世界の潮流でもある。国連は、薬物依存症には「禁固刑ではなく、地域に根ざした治療と支援を」と提唱し、欧州やカナダなどを中心に広がっているのが「ハームリダクション」(害悪の軽減)という手法だ。

 依存症は、「孤独の病」といわれる。背景には「薬物はダメ」というだけでは解決しない、貧困や生活環境の悪化などの「生きづらさ」があると考えるのだ。

 依存者を社会から排除するのではなく支援する。社会全体から害悪を減らす現実的な方法を取る。例えば、依存者に清潔な注射針を配り、肝炎やエイズウイルス(HIV)の感染を防ぐ。病院や保健所などに相談しやすい環境をつくる。結果的にポルトガルなどでは、薬物の問題使用が減少したという。

刑務所では治らない

 薬物問題に悩んできたタイは長年、厳罰主義を取り、2020年には約35万人の受刑者のうち薬物関係が8割を占めた。しかし依存症は刑務所では治らない。政府はこの事実を認め、22年には依存症治療を希望する受刑者の釈放を始めた。

 タイでは、薬物・アルコール依存症の治療は、基本的には無料だ。依存症専門の病院では医師、精神科医、依存症専門の看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカーがチームとなり、患者一人一人に対応する。治療は簡単ではないが「患者だけでなく、家族と地域社会を助けていると思える」と臨床心理士のテーさんは語る。

 震源地であるシャン州でも、ハームリダクションの手法で薬物依存の回復支援をしている人がいる。ティンマウンテインさん(68)は早朝から、依存者が集う場所を回り健康状態を確かめる。ヘロインを注射している人にも「やめろ」とは言わない。代わりに親身になって話を聞き、代替維持療法をしてみないかと誘う。

ハームリダクションの一環で薬物依存者に配布される清潔な注射器
(筆者撮影)

 少数民族武装組織と国軍との戦闘が頻繁に起きているこの地域では、精神的不安や孤独が人々を薬物へとたやすく押しやる。「信頼と思いやり、温かく迎える気持ち。彼らが求めているものです」。ティンマウンテインさんはそう語る。

薬物依存からの回復支援をする
ティンマウンテインさん
(筆者撮影)

 

日本は今も厳罰主義

 日本に入る覚醒剤も大半がシャン州で作られたものという。だが高校生ら若者の間で増えていると懸念されているのが、高額の覚醒剤ではなく薬局などで買える合法薬物の乱用だ。
 「弱者をバッシングする日本社会での生きづらさが背景にある」と教えてくれたのは、依存症の回復支援をしている「木津川ダルク」の加藤武士代表だ。挫折したり弱い立場に置かれたりすることで追い詰められ「自分は生きる価値がない」と考える彼らは、精神安定剤や睡眠導入剤などをドラッグストアや薬局で入手する。
 人生には薬物以外に安らぎをくれるものが存在するー。加藤氏はそれに気づいてもらうために、若者たちの話に耳を傾け、どう生きたいのかを共に見つけて行く活動をしている。
 日本では今も、依存症は「心の弱さが原因」の個人の問題とされ、政府は厳罰主義を取り続けている。しかし依存者支援の仕組みがなければ、「新たな脅威」から市民と地域社会を守り、違法薬物ビジネスを衰退させられないのではないか。

ジャーナリスト 舟越 美夏(ふなこし・みか)/福岡県生まれ。上智大学ロシア語学科卒。1989年共同通信社入社。プノンペン、ハノイ、マニラ各支局長などを歴任後、2019年退社。著書に「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「その虐殺は皆で見なかったことにした」(河出書房新社)など。本誌の国際コラム「リアルワールド」に連載中。龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員も務める。

(Kyodo Weekly 2023年7月17日号より転載)

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