【インタビュー】100年の時を刻む「ヨドコウ迎賓館」、巨匠ライトの傑作を守り抜く
兵庫県芦屋市の高台にたたずむ、ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)。近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計し、100年の時を超えて愛されるこの建物の魅力について、館長の岩井忠之さんに尋ねた。
◾️ライトの建築美
――この建物の設計にはどのような意図があるのでしょうか。
この建物は鉄筋コンクリートの4階建てですが、山肌に沿って階段上にスライドするように建てられています。1階に車寄せ、2階に応接室、3階に和室、4階に食堂があり、屋上のバルコニーからは六甲の山並みや市街地、大阪湾の先にある紀伊半島を眺望できます。
ライトの自邸であるアメリカの「タリアセン」もそうですが、一番の特徴は、小窓から光と風を入れる設計です。小窓は建物全体で120もあります。小窓が連続して並んでいることで、建物に独特の表情が生まれるんです。
外側から見ると、四角いキューブを積み上げた飾り石が、小窓の周りを囲むように配置されています。これは石を砕いたものにセメントと砂を混ぜて型取りしたものなんです。装飾性と強度を両立させています。
――独特の質感の石、窓の装飾も目を引きます。
使われている石は、栃木県宇都宮市の大谷町というところで採掘した大谷石(おおやいし)です。凝灰岩の一種で、耐火性に優れていますし、柔らかく加工がしやすいんです。柱を見てもわかりますが、彫刻はすべて四角を基調にしています。四角を回転させたり、大きい四角と小さい四角を組み合わせたり。
窓や扉には、植物の葉っぱを模した「飾り銅板」が付いています。0.3ミリほどの薄い銅板を4枚半田付けしたもので、銅のさびである緑青(ろくしょう)が、本物の葉らしくなるんです。作り付けの棚など、使われている木は全てマホガニーの輸入材です。
――光の入り方がとても幻想的です。
ライトは本当に影に凝っています。窓に付いた飾り銅板から漏れる光の形まで計算して設計したんでしょうね。まるで木漏れ日の中にいるような、そんな情緒のある陰影が出る。夕方3時頃になると、3階の廊下の飾り銅板を通して差し込む光が、廊下に木漏れ日のような影を落とすんです。来場者は「うわあ、かっこいい」と見入っておられます。
また、意匠の基本は左右対称(シンメトリー)です。2階応接間の暖炉は、左右のバランスが完璧に整った見事なデザインで、今でも使えるんですよ。天井には照明がなく壁付け照明で、その下にある柱の四角い模様も、夜になって周りが暗くなると情緒のある陰影が出るんです。11月には夜間見学を行っていて、人気があります。
――100年も前の建物なのに、とても居心地が良いですね。
驚くのは、ここは当時からオール電化なんです。トイレは洋式便器ですし、お風呂場のたき口もないし、カマドもない。キッチンには冷蔵庫やオーブンもありました。当時はまだ電化が進んでいない時代ですが、阪神電車と契約して、ここまで電気を引き込んだそうです。
もともとは、灘の酒造家である「櫻正宗」の山邑家が、東京の「帝国ホテル」の設計のために来日していたライトに別邸としてオーダーしたものです。「帝国ホテル」竣工の翌年、大正13(1924)年に完成し、山邑さんが10年ほどここを別荘として使われ、その後に別の実業家の方が買われました。
ヨドコウの所有になったのは、その後のことです。当時の社長、宇田耕一の自宅が空襲で焼けてしまいましてね。宇田は政治家でもあったので、賓客を呼べる場所(迎賓館)が必要だった。そこで、実は「ライトの設計とは知らずに」ここを購入したそうです。
10年ほど住んだ後は、アメリカ人に貸したり、70年代にはヨドコウの独身寮として使ったりした時期もありました。本社のある本町や西淀川の工場に勤務していた人たちが、20人くらい住んでいたそうです。
――こんな建物に暮らせるなんて、うらやましいですね。
この坂道を毎日歩いて上がるのは、夏場はしんどいですけどね(笑)。その後、老朽化もあってマンションに建て替えようという計画が浮上したのですが、建築関係者から保存を求める声が上がりました。それで、保存することに決めたんです。昭和49(1974)年に、大正時代の建物、そして鉄筋コンクリートの住宅建築として、初めて国の重要文化財に指定されました。
今でもヨドコウが社会貢献の場所として大切にしていますが、建物の再生にも力を入れています。例えば、4階にある家族寝室に置いている机と椅子。これはヨドコウの創立90周年の時に、当時の写真や図面を基にして、意匠を細かく確認して再現したものです。ライトが得意としたキャンチレバー(片持ち構造)という、足が内側にあって天板が突き出している独特の形をしています。かつての住民が持ち出してしまっていた家具も、こうして復元しています。
また、入り口の建物の沿いにある緑色のグレーチング(溝蓋)をぜひ見てください。あれは、うちの泉大津の工場で作ったものです。社長が視察に来た際、既存のグレーチングを見て、「もっと良いものはないか」ということになり、建物の飾り銅板のデザインとよく似た感じに特注で作ったんです。
――建物を守るためにどんなことをしていますか。
これまで大きな工事を3回行っています。1回目は重要文化財指定時。壁の塗り替えなどで、当時で3億円くらいかかったんじゃないかな。大変だったのは2回目、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災です。壁に亀裂が入ったり、大谷石が欠けたりと被害を受けました。3年かけて、5億円ほどかけて修理したんです。さらにその後、陸屋根でアスファルト防水なので、どうしても劣化して雨漏りがする。手を打つとまた別のところから漏れる。それで3回目の工事を平成28(2016)年から2年半ほどかけて行いました。
――その後も何かされていますか。
最近の調査では新しいことが分かりました。もともと設計図が残っていなかったので、建物東側の庭園に何があったのか詳しく分かっていなかったんです。2023年に発掘調査をしたところ、渡り廊下や温室、池、滝の跡などが見つかりました。残念ながらまた埋め戻しましたが、その結果、2024年に敷地全体が国の重要文化財として追加指定されました。建物だけでなく、この斜面全体の環境が評価されたのです。
◾️未来に残すため
――3階に和室がありますが、これもライトの設計なのですか。
実は、ライト自身は完成を見ずにアメリカへ帰国してしまったんです。帝国ホテルの建設中、建築費用の増大などでトラブルがあったりして、その後を弟子の遠藤新たちが引き継いで完成させました。
3階の和室は、施主である山邑家の強い要望で追加されたものですが、ここにもライトの意匠が息づいています。和室の欄間(らんま)は、四角い幾何学的な模様になっています。この欄間のパターンは、外壁の大谷石の彫刻や、窓の飾り銅板のデザインと共通しています。
8畳、6畳、10畳の三間続きになっていて、毎年2月から4月にかけて、120年前、明治時代の雛人形を展示しています。この建物の建築主である8代目山邑太左衛門(やまむら・たざえもん)が、長女の生誕を祝って京都の老舗「丸平大木人形店」に依頼したもので、33体あります。当時は皇室の方々に頼まれて作っていたような最高級のものです。
大きいものは高さが45センチもあり、人形のサイズに合わせて着物を織っていたり、顔や手には貝殻の粉である胡粉(ごふん)が使われていたりして、本当にきれいに残っている。明治天皇を模したものもあります。道具類に入っている八重桜の紋は、櫻正宗の商号です。八角形のおけみたいなものは行器(ほかい)といって、今でいうピクニックに持って行くバッグみたいなもの。他にもすごろくや碁盤があったり。そんな小さな道具まで、本物そっくりに作ってあるんです。
――最後に、未来世代に伝えたいことはありますか。
私はもともとヨドコウの大阪工場勤務で、11年前にここへ来ました。60歳でここ(迎賓館)の担当と言われた時は、正直ライトのことは全然知らなかった(笑)。でも、1週間ほどアメリカへ視察に行かせてもらって、シカゴやニューヨークでライトの建物を見て回りました。
私が一番に思うのは、やっぱり物を大切にしてほしいということです。古いものを知ってもらいたいし、大切にしてもらいたい。今でもアメリカから、ライトの保存団体がわざわざ視察に来られるんですよ。ライトの建物はアメリカと日本にしか残っていませんからね。ここも、大学生が見学に来たり、小学生が作品展をしたり、女子中高生が和室で演奏会をしたり。結婚式の前撮りで使われたりもしています。ただ保存するだけじゃなくて、そうやって皆さんに実際に使ってもらっています。
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