「奇跡のバンド」を映画化 菅沼栄一郎 ジャーナリスト 連載「よんななエコノミー」

貴人(たかと)(18)は目が見えない。施設の園長に「お茶を入れて」と頼まれると、湯飲みに指を入れて、お湯の量を確認する。新入りの支援員の奈那(なな)(24)がそばで見ていた。
東京でバンドデビューの夢を諦めた奈那は、初めて施設に来た時、聞こえてきた貴人のハーモニカが心に響いた。音楽クラブを任されることになった奈那は、バラバラなのに楽しそうにリズムを刻むクラブのメンバーに押され、思わず指導に熱が入った。
福井県鯖江市にある視覚と知的障がいがある重複障がい者施設「光道園」で、1967(昭和42)年に生まれた音楽バンド「ミックバラーズ」の実話に基づいた映画「きみの音が見えたとき」の製作が進んでいる。主演の奈那と貴人に、どんな俳優を起用するかはまだこれからだが、製作費用を含めた支援を広く訴えている。2027年春に公開予定。
企画の八波一起(はっぱ・いっき)さん(70)は、テレビ朝日の「モーニングショー」のリポーターをしていた1988年、光道園からミックバラーズの演奏を中継した。バラバラな音をミックスするのが大変なので「ミックバラーズ」と名付けられた。
光道園は当時、重複障がい者を対象とした全国で初めての施設で、それまで行き場のなかった人たちが、全国各地からこの施設に集まってきていた。「何もできない」と思われて、放っておかれたり、何もさせてもらえなかったりする人たちが、バンドを作るなんて無謀なこと、と最初は思われた。全盲で知的障がいもあると、楽譜を読むことはもちろん、音を覚えることも難しい。みんなで、毎日毎日、何百回となく演奏を繰り返し身体に叩(たた)きこんだ。
「10年かかってようやく、人前で演奏ができるようになった曲もある」と指導に当たった山内進さん(82)は言う。
発足当初はハーモニカとタンバリンだけだったが、その後楽器も次々に増え、オルガンやサキソフォン、ドラム、シンセサイザーなども、9人のメンバーは操るようになった。
朝のテレビ中継では、「もしも明日が」「太陽はひとりぼっち」、そして魂のこもった「兄弟船」の独唱も伝えられた。リポートする八波さんの声も震えていた。「彼らに生きる力と人間の可能性を教えてもらった」。八波さんは12年後に自ら企画して、このミックバラーズを題材に「井の中の蛙天を知る」という舞台も公演している。
「奇跡のバンド」と呼ばれたミックバラーズは、全国で200回余りの公演を続けた。現在は、当時のメンバー2人が亡くなり、最も若い人も73歳、活動は終えている。
果たして、令和のミックバラーズは誕生するのか。映画では、東京に出て挫折した奈那が故郷の福井に帰ったその後が描かれる。「いま増えている、生きる意味に迷っている若い人たちにもぜひ見てほしい」。ゼネラルプロデューサーの村尾尚子さんは言う。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.29からの転載】