自分らしく生きられる社会に TEDで自分の経験伝えたい 乳がん公表、梅宮アンナさん
2年前に乳がんを公表し、日々の闘病生活や乳がんとの向き合い方などを積極的に発信しているモデル・タレントの梅宮アンナさん(54)。梅宮さんは「乳がん患者の方が生きづらさを感じずに、自分らしく生きられる社会になるといいですよね。そうなることを願って、講演をはじめ日々発信を続けています。いつかTED(テッド、国際的なカンファレンス)の舞台に立ち、がんと向き合った自分の経験・思いを伝えたいですね」と話す。
これまでの闘病生活で感じたことや医師や家族らのとの関係、乳がんを取り巻く日本社会の課題などを聞いた。
―現在の体調は。
がんの三大治療である手術(右胸切除)、抗がん剤治療、放射線治療は既に終え、今は再発防止のために薬を毎日飲んでいます。女性ホルモンの生成を抑えて再発を防ぐ「ホルモン治療」を約10年間続ける必要があります。仕事を続けながらこれらの治療に取り組んでいます。
―仕事への影響は。
私の場合は乳がんを公表している分、周囲の理解を得やすい仕事環境にあるかなと思います。でも仕事を持つ乳がん患者が、休日など仕事上での配慮を会社に求めたくても、がんの事実を周囲になかなか伝えにくい現実があるとも聞いています。今よりもっとフランクに事実を伝え合える社会になれば、職場での乳がん患者への配慮も広がり、治療・体調と仕事とのバランスをうまくコントロールしながら仕事を続けることが可能となる環境が生まれていくのではないでしょうか。
―乳がん患者と医師との理想の関係は。
セカンドオピニオン(担当医以外の医師に意見を求めること)を選択しましたし、分からないことは遠慮せず、医師にしっかり質問しました。乳がん(浸潤性小葉がん)と確定診断された時、比較的冷静でいられたことが、今振り返るとその後の医師との良好な関係を築く上でとても良かったと思います。「前向きな気持ちで一緒に乳がんの標準治療(手術・抗がん剤・放射線)に取り組みましょう」という医師の言葉をしっかり受け止めることができ、正面から治療に向き合う力が湧いてきました。何とか冷静さを保てたのは、父(俳優の梅宮辰夫さん)ががんの治療をする姿を見てきましたし、親類にもがん患者がいました。そういう経験が乳がんと診断された直後のショックを和らげてくれたのかもしれません。乳がんを公表した私の下には「乳がんにいい」という真偽不明の商品情報や宗教の勧誘などがたくさん寄せられました。また見知らぬ人から「標準治療を選択するな」という訴えも届きました。乳がん患者の弱みに付けこむような、これらの真偽不明の情報に、幸い私は惑わされず、標準治療に専念することができました。
―インターネットには今も根拠不明の読むに堪えない情報が飛び交っています。今、振り返って、そのような真偽不明の情報洪水の“渦”に巻き込まれなかった理由は何だと考えていますか。
先ほど述べた標準治療に取り組んでいた父の背中を見て育ったこと、そして今考えると当時の私の年齢(51)や人生経験、仕事の中で築いてきた自信など“人生観”といってもいいようなものが私の場合、自分の意識の上で確立されていたような気がします。それまでの人生で結婚も経験しましたし、娘を授かることもできました。当時、死を意識しても比較的冷静でいられたのは、仮にここで私の命の糸が切れても、自分らしく生きてきたという、生の充実、透き通った気持ちがあり、それが前向きな気持ちでつらい治療に立ち向かわせてくれたような気がします。

闘病中の梅宮アンナさん=本人提供
―胸の異変に気付いてから乳がんと確定診断されるまでの過程はスムーズでしたか。
私の場合は比較的短い期間で確定診断が出たと思います。それでも確定的な診断結果を待つ期間が少しありましたので、乳房への痛みが少ない検査など、いくつかの検査を試してみました。それらの検査結果の中には乳がんと判定されなかったものもありました。それを見て母(元モデルの梅宮クラウディアさん)はとても喜びましたが、私は最終的な確定診断が出る前でしたので、母とは異なり疑問符を付けて受け取っていました。乳がんには複数の検査の段階があるので、その点をわきまえてその各検査結果の“意味”を医療者に聞いて知ることが大事だと思います。
―そのような専門的なことを医師に聞く際の心構えは何ですか。
まず遠慮しないで知りたいことは何でも聞くべきだと思います。現代の病院は電子カルテを使うので医師はパソコンに記入しながら患者の話を聞くことがありますが、私は目を見て話してくださいと当初、先生(医師)にお願いしたことがありました。ただ先生に質問する時間はもちろん無制限ではありませんので、私は標準的な診療時間で知りたいことを聞けるよう、事前に聞きたい事を整理して紙に書いていくことにしました。このように質問を紙に書く過程で自分なりに乳がんについて調べる習慣が自然に身に付きました。この調べて学んだことが今、講演に聞きにきて下さる皆さんに、私の経験を的確に伝える際の大きな力になっています。医師の皆さんから「私たち医師が伝えたいことを梅宮さんは広く社会に届けてくれている」と言われたときは、とてもうれしかったです。
―医師の使う専門用語には一般の人がなじみにくい言葉が多いですね。
講演する際は、一例ですが、私は「罹患(りかん、病気にかかる)」という言葉は使いません。例えば「乳がんになった時」などと日常語に置き換えます。小さな工夫かもしれませんが、聴衆の心に届く言葉・表現を自分なりに選んで話すよう心がけています。
―“表現者”として多くの人々を魅了してきた梅宮さんらしい工夫ですね。今体への負担が大きい治療を終えたとはいえ、現在も今後もホルモン療法が続く中で、乳がんへの理解を求めて社会への発言を続ける梅宮さんの“エンジン(原動力)”は何ですか。
一言で言うと、乳がん患者を取り巻く社会を変えたい、ということです。乳がんになって私自身が初めて気付いた、乳がん患者の生きづらさをなくしていきたい。乳がん患者が自分らしく生きる、自分らしく輝くことができる、そんな社会が来ることを願っています。もちろんそれぞれが求める「自分らしさ」は異なりますし、輝きをどこに置くかは当たり前のことですが、一人一人違います。私の場合はもっとオープンに乳がんのことを話し合える社会にしたいし、さらにもっと具体的なことを言えば、例えば乳がん患者がおしゃれを楽しめる素敵なウィッグがもっと増えてほしいと思います。私が乳がんと診断された時は、ちょうど自分の仕事のあり方はこのままでいいのかと悩んでいる時期でもありました。乳がんとの向き合い方に関するインタビューを受けたり、講演活動を始めたりする中で、私のやるべきこと、私が乳がんになった意味は、今のような活動をするためだったのかな、ということに思いをはせるようになりました。このごろ、私が今力を入れているこの活動は、50代以降の私に“天から与えられた使命”ではないかと考えるようになりました。私の今の夢はTEDの舞台でこの私の思いを多くの人に伝えることです。
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