「特集」改定ルールの見直しを最低賃金、データ重視産業別最賃の本格導入を

山田久
法政大学教授・日本総研客員研究員
我が国の地域別最低賃金は都道府県ごとに決まっており、毎年、改定を議論する。まず厚生労働相の諮問機関である中央最低賃金審議会が7月末ごろ、都道府県をA〜Cの3ランクに分け、引き上げ額の「目安」を示す。その後、各地の地方最低賃金審議会が目安を元に議論し、最低賃金が決まる。いわば「二段階方式」となっている。
2026年度の地域別最低賃金(時給)は、全国平均(各地の労働者数を考慮した加重平均)で前年度比56円増の1177円となり、中央審議会の示した目安額をわずかに1円上回る形で決着した。最も高いのは東京都の1280円、最も低いのは宮崎県の1085円。
全国平均の伸び率は5・0%と、前年度の6・3%から鈍化。もっとも25年度の混乱した状況を想起すれば、今年度はほぼ落ち着くべき水準に落ち着いたといえよう。
25年度を振り返ると、前石破政権のもとで「2020年代に全国平均1500円」という相当高い目標が掲げられる中、「66円」という過去最高の上げ幅となったが、伸び率は目標達成に必要な平均引き上げペース(7・3%)には及ばなかった。中央審議会が示した「目安」を大幅に上回る引き上げ幅で決着した都道府県が続出する一方、通常は10月中に設定される発効日(改定日)が、実に27府県と半数以上で11月以降に後ずれし、翌26年にまでずれ込む県が6県、うち2県は3月改定となった。
人材不足が特に深刻化する地方では、近隣県との人材獲得競争から最低賃金の引き上げ競争が激化する一方、急激に高まる最低賃金についてこられない中小企業が悲鳴をあげている。そうしたジレンマが深まる中での「苦肉の策」だったといえる。
競り市のように最低賃金が引き上げられるのは中小企業経営者には脅威である一方、1年間でみれば賃金が見かけほど上がらないのは労働者にとっては騙された感がある。そこで、中央審議会は全員協議会を開き、「目安額に大幅な上乗せをするのであれば、その判断理由を地方最低賃金審議会の公益委員見解等で明らかにすべき」「発効日について、大幅な引上げ額を確保するための過度な交渉材料とするべきではない」といった対応方針を示した。
こうした方針を受け、今年度の目安に対する上乗せ額は小幅にとどまり、発効日も多くの都道府県で10月中と決まった。もっとも目安に5円以上上乗せした地域が散見され、発効日の11月以降への後ずれも10府県で見られた。背景には「目安制度」と呼ばれる現行の仕組みが、それが形成された時期から経済環境が激変した結果、綻びが繕い切れない状況になっていることがある。

地域格差温存の現行制度
現行制度は、生産性格差を前提に地域別の違いを許容する形で導入された。「全国一律最低賃金」の主張がある中で全国的な整合性を図るために、いくつかのランクに分けた「目安」を中央で作成するという形で1978年にスタートした。このランク制度は地域別の経済実態を勘案して設定されているため、現行「目安制度」は地域別の最低賃金格差を温存させる性格を持つ。
バブル崩壊後の1990年代以降は人余り状況が強まり、とりわけ経済状況が厳しい地方では最賃の引き上げが抑えられ、雇用悪化防止に貢献した半面、地域別の最低賃金格差を拡大させた。2010年代半ば以降はアベノミクス開始に伴う景気重視の政策運営が続き、人口減少に伴う構造的な労働力不足局面に移行したことで、相対的に低い最低賃金水準が地方からの人材流出を加速させるという構図が生まれている。
日本全体が労働力不足にあり、国際的に見ても最低賃金水準は低い。インフレ経済に移行する中、生活水準の改善には最低賃金の積極的な引き上げを継続することが必要である。その意味では高めの政府目標を掲げることは重要であるが、中央審議会の目安小委員会が1カ月程度の議論で、必ずしも十分な根拠を説明せずに目安を示す現行のやり方は、納得性が低下している。
そもそも最低賃金制度の目的は、経済的貧困の解消であり、とりわけ食料や光熱費などの生活必需財の高騰が続く中、大幅な引き上げが必要であることは論をまたない。一方で、中小・零細企業経営への影響は、無視できないレベルまで高くなってきている。
加えて、地方ごとの事情を勘案しつつも全国が歩調を合わせながら最低賃金の底上げを目指してきた目安制度の綻びが、もはや取り繕うのが難しいレベルにまできている。「政府主導の積極的な目標設定のもとで中央が目安を示し、各地域で最低賃金引き上げを進める」という現行の仕組みの骨格を維持するにしても、その運用方法を大きく見直すべき段階に達しているといえよう。
英国の仕組みを参考に
第1に、目標設定と目安提示の仕組みの大幅見直しである。政府主導の目標設定は、最低賃金の積極的引き上げには有効であり、とりわけデフレからインフレへの移行期における賃上げノルム(社会通念)形成のために必要である。だが、その具体的な目標設定の在り方には問題がある。石破内閣で、前の内閣での目標設定を十分な根拠説明もなく5年間短縮したのは唐突感が否めなかった。
見直しは英国の仕組みが参考になる。まず一定の時期までに、賃金の中央値の3分の2の水準達成を目指す。現在の中央審議会を発展的に改組して独立した第三者委員会を設置。各年度の具体的な改定額の目安は、通年活動によるファクト収集やデータ重視の分析に基づいた形で決めていく方法が望ましい。
一方、地方審議会が決める最低賃金の引き上げ額は近年、中央審議会が示す「目安」から大きく乖離する傾向が強まっている。背景には、中央の審議会が示す「目安」が必ずしも地域の実態を反映していないことがある一方、2025年にみられた一斉の大幅な上乗せや実施時期の後ろ倒しの動きは、地域の自主性に任せたときの副作用として懸念される。これらの問題も、ファクトの丁寧な収集やデータ重視に基づく議論を十分な時間をかけて行うことで、かなりの程度は解決ができる。
目安、6月末に前倒し
その意味で独立した第三者委員会は各地の実態調査やデータ分析を行い、地方審議会に積極的に情報提供していくことが求められる。同時に、毎年の最低賃金改定に当たってのスケジュールも、通常7月から始まる中央審議会の議論の開始時期を1~2カ月前倒しをして6月末ごろに「目安」を提示し、地方審議会の議論に十分な時間を確保することが望ましい。
第2は産業別最低賃金の本格導入である。わが国の最低賃金制度といえば通常、都道府県ごとの地域別最低賃金を指すが、もう一つ、産業別の労使が主導して決める特定最低賃金がある。特定の産業または職業について設定される最低賃金であり、関係労使の申し出に基づき、各都道府県の最低賃金審議会の調査審議を経て、地域別最賃より高いレベルで導入される。
対象範囲は、当該産業に特有・主要な業務に従事する「基幹的労働者」とされ、日本標準産業分類の「小/細分類」ごとに規定される。特定最低賃金は、26年1月時点で223件あるが、地域別最低賃金を下回り、効力を失っているものもある。
歴史的にみれば、わが国の最低賃金制度は、その導入初期には産業別最低賃金を基本にした導入が図られたが、使用者サイドは消極姿勢を貫き、現在の制度に変わってからも「屋上屋」であるとして廃止を主張してきた。かつてのわが国の雇用情勢が基調としては余剰労働力が存在する状況にあり、企業が人材調達に困らなかったという事情がある。
有効な人材確保策に
しかし、今や労働力不足の局面に入り、人材確保のために賃金を引き上げていくことは、ほぼ全ての企業にとって不可避の経営課題になっている。ある県のある産業が、競合他県の地域別最低賃金水準より高い水準に、主体的に特定最低賃金を設定すれば、有効な人材確保策になるだろう。地域ブランドの向上や共通ウェブサイトの立ち上げ、産業インフラの整備や人材育成の仕組み構築など、「面」としての産業活性化策を行政や使用者団体が一丸となって行えば、地域産業全体での生産性向上と賃上げの好循環を形成することが可能だ。
これまでも最低賃金の大幅引き上げとセットで生産性向上支援策が講じられてきたが、個々の企業の取り組みを個別に支援するやり方では効果に限界があった。特定最低賃金の積極活用と面的産業活性化策をセットで行えば、大きな効果が期待できるだろう。さらに、特定最低賃金を積極的に活用する利点は、現に存在する産業間の大きな生産性格差を踏まえ、産業の実情に応じた適度な人件費増による生産性向上ドライブ(推進力)を与えることにもある。
価格転嫁と生産性向上へ中小企業支援を
第3は、新たな中小企業の経営改善支援策である。もはや護送船団方式で非効率な企業を救済することは不可能である一方、生活インフラや産業基盤、経済安全保障の面から事業継続を支援すべき企業には、十分な支援が必要である。中小企業の生き残りには、価格転嫁と生産性向上の両立が不可欠であるが、実は両者は密接不可分の関係にある。
価格転嫁に成功している中小企業は価格協議における説得力の向上に取り組んでおり、原価管理や工程管理をしっかりと実施し、自社が無駄のない経営を行っていることを協議の際にアピールしている。さらに、日常的に取引先と良好な関係を築き、交渉が進みやすい環境を整えている。これを行うには、業務プロセスの見直しや商品構成の見直しが必要であり、生産性向上につながるものである。
問題は経営者にやる気があっても経営リソースがないことである。大企業の高齢社員やOB社員でコミュニケーション能力が高く、内部管理の経験のある人材を、中小企業に出向・派遣・雇用し、価格協議の実務の代行や指導をする仕組みの創設に取り組むべきであろう。
法政大学教授・日本総研客員研究員 山田久(やまだ・ひさし) 1987年住友銀行(現三井住友銀行)入行後、93年より日本総合研究所出向。調査部長兼チーフエコノミスト、理事、副理事長などを歴任し、23年から法政大学経営大学院教授。25年から法政大学人間環境学部教授を兼務。京都大学博士(経済学)。主要著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版社、2020年)『失業なき雇用流動化 成長への新たな労働市場改革』(慶應義塾大学出版会、2016年)。公職として、労働政策審議会労働政策基本部会委員、内閣府男女共同参画推進連携会議議員等。
(Kyodo Weekly 2026年10月12日号より転載)
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