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「特集」福生ハンマー男事件が静かに語りかけるもの 自力救済に惹かれつつある社会

 

「福生ハンマー男」の衝撃

 東京都福生市で4月に発生した高校生に対する通称「福生ハンマー男事件」―。公開手配されていた容疑者が逮捕されて事件は一応の決着を見た。
 高校生を狙った犯行に世間は衝撃を受けながらも、本件は当初、単なる通り魔的な事件だと見られていた。ところが容疑者逮捕の前後からSNS上では「これは単なる通り魔事件じゃない」といった声が(おそらく地元住民とおぼしき人びとから)異口同音に上がっていた。曰く「この近辺では日夜改造バイクで轟音を鳴らしながら行き交う迷惑な集団がいて、襲撃された高校生もその一部だったのではないか」というものだ。
 驚くべきことに、テレビメディアもSNS上で続発した証言を後追いするかのように、事件の容疑者に〝同情的〟にも思える地元民の声を紹介し始めた。このことで、私にはこの事件には本当に込み入った「前日譚」があるように見えた。もし地元の人びとの証言が事実なら、確かにこの事件はただの通り魔的事件ではないことになる。

(写真:Getty Images)

無政府的暴政状態

 ところで、昨今の日本の国家権力、より厳密にいえば治安当局が〝劣化〟している。
 ここでいう劣化とはつまりどういうことかというと、本来取り締まるべき凶悪な犯罪や暴力や無法には当局が十全に機能しなくなっている一方で、穏当で従順な暮らしを送っている善良な市民に対しては、やたらと規制や監視の網目を強化して処罰するような、ちぐはぐな状態が日増しに顕著になっているということだ。
 いま全国各地で市民生活の大きな脅威となっているのは、匿名・流動型犯罪グループ、通称「トクリュウ」による凶悪犯罪の増加や、海外に拠点を持つ外国人犯罪グループによる組織的窃盗などだ。栃木県上三川町の強盗殺人事件のように容疑者逮捕に結びつくケースもあるが、それでもこうした勢力の駆逐は遅々として進まず、むしろ被害は拡大の一途をたどっている。一方で、道路インフラをろくに改修することもなく自転車運転時のルール違反については厳罰化をゴリ押しして重点的に取り締まるなど、要するに警察権力が「取り締まりやすい者(一般市民)」をターゲットにする〝やりやすい仕事〟ばかりを増やしているように見える。
 捜査当局・治安当局が市民生活を揺るがしうる本当の脅威や暴力や無法状態の排除にはどんどん消極的になっていく一方で、市民の小さな逸脱については徹底的に取り締まり、それで〝仕事をした感〟を出そうとする風潮は日に日に顕著になっているように思える。やや大げさな表現ではあるが、このような状態には「アナーコ・ティラニー(無政府的暴政状態)」という名前が付いている。「本物の悪人にはそっぽを向いて見逃すアナーキー(無政府的)な態度をとり、しかし無辜の市民には強権的・強圧的な、まさしくティラニー(暴政支配的)な態度をとる」という、無政府主義状態と専制政治の悪いところ取りのようなスタンスのことだ。
 近年の治安当局には、〝あえてそうしてやろう〟という明確な悪意はないだろう。しかし結果論的にはこのまさしくアナーコ・ティラニー的な振る舞いをするようになっていると言わざるを得ない。他人の財産を平気で盗み取る本物の悪党を捕まえるより、自転車でうっかり歩道を走ってしまった市民を罰することに忙しそうにしているのだとすれば。
 福生ハンマー男事件発生の背後には、暴走バイク集団に対して、いくら通報しても、警察が根本的な解決に動かなかったことに対する地域住民たちの憤りや絶望感があったという。要するに「警察が警察として機能してくれないなら、地域社会に取れる手段は自分たちの手による自衛や反撃、つまり自力救済しかない」―と。

警察組織のジレンマ

 なぜ警察組織は、アナーコ・ティラニー的な態度を取るようになってしまったのか。
 その答えは、警察組織が直面している慢性的な人手不足にある。
 慢性的な人手不足を補うために警察が総力を挙げて行っている「働き方改革(という美名で糊塗された、人員確保のための採用基準の引き下げや離職防止のための労働負荷の削減)」こそが、警察組織のアナーコ・ティラニー化を表裏一体的に進めてきた。
 警察官が業務的にも精神的にもタフな犯罪の取り締まりに動けていたのは1990年代~2000年代の極端な買い手市場だった氷河期世代がピーク。それ以降は売り手市場になるにつれて採用基準を緩めたり、あるいは労働時間を規則的にしたり、超過勤務が起きないよう調整したり、さらにはこれまであまり積極的に採用してこなかった女性の働きやすさを再考したりするといった方向に舵を切っていくことになった。
 これはもちろん時代に即した改善ではあるものの、見方を変えれば「高い捜査能力の担保」と「離職リスクの軽減」とのトレードオフが発生していたともいえる。要するに、警察組織に市民から期待されているタイプの業務(凶悪犯罪や組織犯罪の摘発・排除)を多く引き受けると、それは若い警察官のヘビーな業務負担とイコールになる。売り手市場の現在、イマドキの若者には、それほどひとつの職にしがみつく意識もないため、あまりに負担を大きくしすぎると早々に退職してしまうのである。
 警察組織は少しでも人材の定着を促すために、ひと昔前のような過酷な、文字どおり身を粉にするような働き方を続けることができないのではないか。もっと身体的にも精神的にも〝ゆるい〟仕事が必要で、その典型例が自転車を四六時中見張って右側通行や歩道走行を捕まえて罰金を支払わせるような令和最新版の「ネズミ捕り」だろう。
 こうした事情を補助線に引きながら、なぜ「福生ハンマー男事件」が起こったのかを改めて考えると、この事件は起こるべくして起こったような気さえしてくる。男はいきなり思い立って若者たちを襲撃したのではなく、警察組織はもう「働き方改革」によって深夜帯にまで及んで取り締まらなければならない〝高カロリー〟な仕事をあまりやりたくなくなっていて、地域住民にとって警察はもはや「動いて」くれない存在になっていたのだ。私にはそう思える。

ビジランティズムの出現

 なにも福生だけで限定的に「警察が(市民が本当に憂慮している脅威や無法に)動いてくれない」という現象が起こっているわけではない。ご存じのとおり、少子化による人手不足によって人材獲得競争は苛烈化しており、あらゆる業界が一人でも多くの若者に来てもらおうと労働条件をどんどん緩和し待遇を改善する働き方改革のレースが全国的に起こっている。警察組織も例外ではなく、そうした世の中の流れに逆らえず、「若者に無理なく働いてもらえる警察」を目指さざるを得ない。
 警察当局が市民の期待通りに「動く」ことは、しかし警察組織の視点では「警察離れ・離職リスクが上昇する」こととコインの表裏であり、あまり市民の要望に応えてばかりいると、若い警察官がどんどんいなくなり組織として持ちこたえられないという切実なトレードオフがある。だからこそ警察は市民の期待に沿って「動く」よりも、若い警察官が辞めないような「ゆるい」仕事を増やすのだろう。自転車を取り締まることはその好例だ。点数を稼げて、働く時間を調整できて、警察組織としてはいいことづくめだろう。
 アナーコ・ティラニーに対応するのはビジランティズム(自警主義)だ。ビジランティズムとは市民社会が自分たちで武装し、警察に代わって秩序を取り戻す流れのことだ。
 人手不足と人員安定という切実な事情があるにしても、市民にとって「動いてくれない」捜査当局が増えれば増えるほど、市民は自分たちの身は自分たちで守り、自分たちの秩序は自分たちで守ることにためらいを持たなくなる。
 私はハンマー男が出現したことよりも、ハンマー男に対してあっという間に擁護や同情の声が広がったことの方が重要に思える。なぜならそれは、市民にはすでに現代がアナーコ・ティラニー的な社会となりつつあり、自力救済や自警主義に疑問を持たなくなってきていることの裏返しだからだ。「警察や司法がまともに動かないのだったら、そんな連中の掲げるルールなんぞ馬鹿正直に守っても損をするだけだ」―と。人手不足とインフレの時代は、私たちの暮らしの「当たり前」だったインフラにさまざまな面で綻びを生じさせる。水道しかり、物流しかり、建設しかり、そしてなにより治安もだ。

文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺圭(みたてら・けい) 会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義で広範な社会問題についての言論活動を行う。著書に『矛盾社会序説 その「自由」が世界を縛る』(イースト・プレス)のほか、『ただしさに殺されないために 声なき者への社会論』(大和書房)などがある。

(Kyodo Weekly 2026年7月6日号より転載)

  • (写真:Getty Images)

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