「特集」ゲームチェンジの行方 資本主義の中心で、なぜ社会主義者のリーダーが選ばれた?民主主義社会の「老化」がもたらすもの
アメリカ・ニューヨーク市のマムダニ市長は就任から100日を記念する集会で演説し、看板政策の一つとして掲げた公営のスーパーを来年から順次設置していくと発表しました。(中略)
1月に就任したマムダニ市長は物価高対策として卸売価格で販売する公営スーパーの開設を公約していて、来年1店舗を設置すると12日に発表しました。4年間の任期のうちに、市内の5つの行政区すべてに設置するとしています。また、保育の無償化や家賃上昇の凍結なども実現に向けて着実に政策を進めていると強調しました。(中略)
一方、政策の実現に必要な財源となる富裕層への増税についてはいまだ見通せておらず、今後の課題となります。
(TBS NEWS DIG『「労働者の利益を常に念頭に」物価高対策でニューヨークに「公営スーパー」来年設置 卸売価格で販売 NYマムダニ市長が発表』=2026年4月15日より引用)
マムダニNY市政への賛否
「ウガンダ出身の元ラッパーの社会主義者」として注目を集めた現ニューヨーク市長・マムダニ氏が、公約どおり「卸売価格で食品を提供する公営スーパー」の開設を発表し、2027年末に記念すべき1号店をイーストハーレムでオープンすることが決まった。1号店を皮切りに市内の各行政区にぞれぞれ1店舗、合計5店舗を展開する計画だという。
マムダニ氏のそのほかの〝社会主義的〟な目玉公約としては、家賃上昇の抑制・格安アパートの新規供給・あらゆる公営サービスの完全無償化・州レベルの皆保険制度の創設などが挙げられよう。氏はその財源として年収100万ドル以上の富裕層への増税や法人税率の大幅な引き上げを掲げているものの、もとより市という行政体には税制変更の権限はなく州の承認が必要であるため実現性には不透明感が残っている。
そこでマムダニ市長は「州が富裕層課税や法人増税を受け入れないなら、ニューヨーク市は独自に固定資産税を大きく引き上げる」と揺さぶりをかけている。固定資産税は所得税や法人税と異なり州ではなく市の管轄であることを逆手にとった戦略だが、これには不動産業界だけでなく民主党内部からも批判の声が根強い。なぜなら固定資産税の上昇は中低所得層をも直撃するからだ。
なぜ資本主義の中枢で?
率直に言わせてもらえば、マムダニ市政におけるさまざまな社会主義政策は財源の問題が大きすぎてそのほとんどが企画倒れになるだろうから、個人的には彼を政治家としてそこまで注目しているわけではない。しかしながら、ゾーラン・マムダニという人間が資本主義最先端の国アメリカのなかでも「資本主義の極北」とでもいうべきニューヨーク市で市長となったことについてはそれなりに特筆すべき意味がある。
SNS上では、マムダニ市政について共感を示す意見もある。「行き過ぎた資本主義は、民主主義によって常に監視され、修正される。その結果マムダニという資本主義とは対極的なリーダーを呼び込んだのだ」といった具合に。
たしかに一定の説得力を感じる。資本主義の極致ともいうべき都市ニューヨークで、どんどん先鋭化していく資本主義競争ゲームについていけなくなった人が増加した結果として、マムダニ氏のような人がある種の〝自浄作用〟として民意により選ばれた―と。
しかし私は、民主主義が資本主義に対してある種の自浄作用を発揮したという意見にはあまり賛同できない。いやむしろ真逆の意見だ。マムダニ氏のような人がニューヨーク市で登場することは市民社会の健全な自浄作用が働いたのではなく、むしろその反対に「自浄の喪失」と呼ぶのが実態に近いのではないか。もっといえば「行き過ぎた民主主義に対して資本主義が自浄作用を発揮できなくなった」結果がマムダニ市長の誕生であると。
高齢社会と資本主義
資本主義が行き過ぎているのではなく、社会全体の老化によって資本主義ゲームについていけなくなる(普通の暮らしを送れなくなる)人の増加が民主主義社会で起こった場合、最終的に「マムダニ」的な帰結をたどるのではないか。
ニューヨーク市はアメリカの大都市のなかでもトップクラスに高齢化している。65歳以上人口は140万人を超えていて、高齢者のうち2割近くが貧困層となっている。高齢化の進行速度も全米最速レベルで、都市全体が急激に老いている。
資本主義社会における高齢者人口―厳密にいえば、バリバリ働いたり会社を経営したりする最前線から退いた人びと―の増加とは、要は時代の先端にキャッチアップして資本主義ゲームにおける一線級の「プレーヤー」として活躍する現役の絶対数の減少を意味する。それは言い換えればその街で「普通の人」として暮らしていくことが難しくなる人の増加を共起する。
当然ながら資本主義の性質の強いタイプの都市部では「人並みの暮らし」を送るための難度が、物価や住宅費の高騰などの影響により、それ以外の街よりも相対的に高くなるものだ。そのような街で高齢化(現役を退いた人の増加)とそれにともなう生活苦の拡大が同時進行すると、「人並みの暮らし」を送れない人も増加する。そうして「人並みの暮らし」を送れない人がある一定のボリュームを超えると、民主主義選挙のメカニズムによってマムダニ的な人が登場する。
仮にその共同体の人口動態が正常な新陳代謝を続けていれば(若くて元気で時代にキャッチアップできる資本主義のプレーヤーが安定的に更新・供給されていれば)このようなことは起こらないだろう。しかし先進各国では軒並み少子化・高齢化が進行していて、時代やテクノロジーの急速な進歩の一方で、それらについていけない人も増えている。やがて資本主義レースの「速度」についていけなくなった人びとは福祉によって補助を受けながら「人並みの暮らし」を望むようになっていく。
資本主義最先端のニューヨークは、高齢化と貧困化の最先端のニューヨークでもあり、資本主義ゲームの進行速度に、そこで暮らす人びとは「老い」のために追いつけなくなっていく割合が増え、ついには第一線で競争するプレーヤーよりも福祉生活を望む者のほうが多くなり、そうして〝民意〟を受けて登場したのがマムダニ氏であるということだ。
私はこれを「民主主義が資本主義に対して自浄作用を効かせた」とか「民意が行き過ぎた資本主義にブレーキをかけた」などと好意的な解釈をするのはあまり適切だと思わない。社会の平均年齢の上昇によって時代にキャッチアップができなくなった人が増加したその最終的な結果が「民意」に表れただけだからだ。
資本主義の行き詰まりがバラマキ・ポピュリズムを生む
社会主義的なリーダーの登場はニューヨーク市だけの限定的な現象ではなく、民主主義を擁する先進各国の代表的な主要都市でも普遍的に起こりうる現象だ。
資本主義的なダイナミズムが活発な大都市で、そのダイナミズムに参加できなくなって相対的に立場が苦しくなった老齢貧困人口が増加すれば、最終的にはその街が資本主義ゲームで競争してきた成果としてコツコツ貯めてきた財産を放漫に使う〝バラマキ社会主義者〟が民主主義的に選出される。つまり「マムダニ化」である。
彼らのような社会主義リーダーがやることはだいたいマムダニ氏と似通ってくる。その街が資本主義ゲームによって蓄えてきた豊富な財源にモノを言わせて、高騰する家賃の抑制とか、格安住宅の新規供給とか、あらゆる公営サービスの完全無償化とか、生活の補助金とかそういう政策を乱発するようになる。
ここまで読んで、ピンときた人もいるかもしれない。…そう、東京都(小池百合子知事)もまさしく該当しているからだ。東京都という街もまた、その街の資本主義の進行速度についていけなくなった人の急激な増加によって「マムダニ化」が進行中の街のひとつだ。
小池百合子という人物はまさに「東京のマムダニ化」を象徴した人物で、住宅価格の抑制を申し入れたり、アフォーダブル住宅と称して格安住宅を提供したり、保育を無償化したり、物価高対策としてカネや金券をバラまいたりと、マムダニより先にマムダニをやっていて、バラマキ・ポピュリズム的な社会主義政策が目白押しだ。
東京はニューヨーク以上に高齢者人口が多い312万人で、そのうち2割近くが貧困もしくは貧困状態であると推計されている。またアメリカと違って日本は高齢化率の上昇によって相対的に若い世代の年金・社会保険料も重くなるため若年層の貧困率も高く、東京では「人並みの暮らし」を送れる人が減っている。
かつて政治的にも経済的にも社会的にも強固なタカ派として、世界で大きな存在感を示す〝力強く成長する首都〟を牽引していた石原慎太郎と、バラマキ社会主義的な政策を前面に押し出す〝都民ファースト〟の小池百合子―そのコントラストを見れば、東京という世界有数の資本主義メトロポリスが着実に「マムダニ化」していることがよくわかる。
資本主義の終わりは「少子高齢化」により起こる
「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易い」―イギリスの批評家マーク・フィッシャーはそう述べたが、そうとも限らないのではないか。というのも、資本主義の終わりは「マムダニ化」なのではないかと考えるからだ。
資本主義が内的に機能不全を起こして終わるとかそんなことは起きない。そうではなくて、資本主義の正常稼働を民主主義が阻害もしくは破壊してしまうという意味での「終わり」である。民主主義の手続きが正常に機能する限り、人口が集中する大都市の高齢化はマムダニ的なバラマキ社会主義型のリーダーの呼び水となる。それは資本主義ゲームのプレーヤーたちが必死に働いてコツコツ貯めた財産を「人並みの暮らし」を望む人びとにばら撒いて食いつくしてしまう。プレーヤーの数は減り続け、福祉生活者の数は増え続ける。民意は社会主義の勝利に傾く。
思うに民主主義と資本主義は、実は水と油というか、長期的には共存困難なゲームだったのかもしれない。
平たく言えば資本主義は「強い者がより多くを取る」ゲームであり、民主主義は「頭数が正義」のゲームだ。その共同体の人口動態がピラミッド型だったころには両者は仲むつまじい同居関係を築けたかのように見えた。だが共同体のメンバー構成が高齢化するほど、競争の最前線についていけない人が増えるほど、多数派がゲームのルールそのものを書き換える方向に票を投じる。マムダニ市長の誕生はその流れで生じた結果のひとつでしかない。
宇宙も時間がたつにつれて最終的にはすべて鉄になって動きがなくなるといわれている。資本主義もその思想のもとで活動する人びとが若々しいうちは煌々と輝くが、最後にはあらゆる場所が「マムダニ」になって終わるのではないか。
社会の老化は「現役バリバリで頑張る人」より「現役バリバリで頑張る人に養ってもらいたい人」の増加を促し、後者の政治力が上回れば、社会は持続可能性を失う―これは資本主義にとっても、民主主義にとっても、目をそらすことのできないパラドックスである。
文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺圭(みたてら・けい) 会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義で広範な社会問題についての言論活動を行う。著書に『矛盾社会序説 その「自由」が世界を縛る』(イースト・プレス)のほか、『ただしさに殺されないために 声なき者への社会論』(大和書房)などがある。
(Kyodo Weekly 2026年5月25日号より転載)












