大切な人が未来を描き働ける場を 友松登喜子さん 旭化成ホームズ DE&I推進部長
旭化成ホームズは2025年9月、誰もが安心して自分らしくいられ、活躍できる居場所を目指す「DE&I方針」を策定した。その方針に沿った取り組みを進めるDE&I推進部でトップを務める友松登喜子さんに、これまでの歩みや今考えていること、仲間とともに描いていきたい世界について聞いた。

こんな大きなこと、すごいことをやりました、というのでなく、本当に普通に目の前の仕事を一生懸命やってきて、今がある
――どんな少女時代を過ごし、今の仕事を選んだのでしょう。
小学校では、教室で手を挙げることもできないおとなしい子でした。両親が不動産業を営んでいたことから、住宅不動産業界で働こうという意識が形成されたように思います。就職活動をしていた1990年はバブル経済の影響がまだあり、86年に男女雇用機会均等法が施行されていたものの、女性は事務職が一般的。私自身もそれを当たり前と考え、実務職(一般職)を希望しました。旭化成ホームズを選んだのは、入社前に関わった皆さんの人柄に惹かれたから。当時、卒論作成に追われ、内定者の参加行事をすっかり忘れすっぽかしてしまったのですが、担当の方が本当に心配して必死に探してくださいました。出会った人の温かみに感動し、この会社しかない!と思ったのです。
――入社してから、どんな仕事を担当してきましたか。
住宅事業中部本部で、家を建てるお客様の資金計画をサポートする業務に就きました。社内にファイナンシャルプランという考え方が広まる前から、お客様の融資や登記、DE&I推進部長に就くまで約30年、(管理職に就くなど)中身は変われど、ずっとそこで仕事をしました。振り返ると、大きなこと、すごいことをやった、というキャリアではなく、目の前の仕事を普通に一生懸命やってきて今につながったというところがあります。
「あの事務の人」と言われた時代
――実務職から総合職に転換したのは、どうしてですか。
2017年に、実務職から総合職に転換しました。実務職の時代は、総合職の方と同じことをしていても、責任の範囲が異なり、給料も処遇も違うなかで自由に仕事ができませんでした。忘れられない経験があります。当時、実務職の社員は制服を着ていましたが、訪問先企業などの方にあいさつしても名刺を交換してもらえない。男性社員と一緒に応対に出た段階で、自分が主担当だと伝えても「あの事務の人」と言われ、名前を呼んでもらえないのです。もっと自分の領域を広げたいのに、ガラスの天井のようなものがあった。思い切り自由に仕事がしたいというのが、総合職転換の一番強い動機でした。














