「特集」国連創設80年、数々の難題 安保理は機能不全、改革進まず 普遍性、正統性は唯一無二 日本が果たすべき役割は

赤阪 清隆
公益財団法人ニッポンドットコム理事長、元国連事務次長
国際連合は、今年で創設80周年の節目を迎える。現下の激動の世界情勢を見るならば、国連の記念日を手放しで祝福する人は少ないだろう。国連が抱えるグローバルな難題があまりにも多すぎるのである。また、国連の力に期待するところが大きい人にとっては、ウクライナ戦争やガザ紛争などで機能不全な状態をさらけ出す安全保障理事会(安保理)の現実とのギャップに失望感も大きいと思われる。国連が抱えるこのような難しい問題とその対応策を探ってみたい。
そもそも国連は、第2次世界大戦末期、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)と戦う米英など連合国の戦後の協力機構として、フランクリン・ルーズベルト米大統領によってまず構想された。そして、チャーチル英首相らの賛同を得て、1945年6月にサンフランシスコ会議で国連憲章が採択され、同年10月24日に発足した。当初は、第1次、第2次世界大戦という言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争を将来二度と繰り返さないようにしようという、平和と安全の維持が最大の目的であった。
その大目的に照らせば、過去80年の間、まがりなりにも第3次世界戦争が起きていないのは、国連の存在に負うところが大きいと言っても過言ではないかもしれない。しかし、地域的な武力紛争やジェノサイド(大量虐殺)を国連が十分防ぎ得たわけではないし、今なお、第3次世界戦争、しかも核兵器やAI(人工知能)を使った大規模な戦争の恐怖が現実に存在する。果たして国連が、米国、欧州、中国、ロシアなどを巻き込んだそのような大戦争を防ぐことができるのか、疑問に思う人は多いだろう。
80年の歴史の中で、米ソ間の冷戦が終結した90年代初頭は、国連が最も効果的に機能し得た時期であった。南アフリカ・アパルトヘイト政権からのナミビア独立に貢献した支援グループ、カンボジア内戦を終結させた国連暫定統治機構、エルサルバドル監視団、さらにモザンビーク内戦後の和平合意を支援した活動などは、いずれもこの時期の国連平和維持活動(PKO)の輝かしい成果であった。
しかし、そのような時期は長続きせず、93年のソマリア内戦への国連の介入は失敗に終わり、その後遺症もあって、94年のルワンダ大虐殺を見殺しにする結果となった。さらに、95年には、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで大量虐殺事件が発生する。このような虐殺事件からのトラウマを克服すべく、国連は2005年、故コフィ・アナン事務総長のリーダーシップの下「保護する責任」(R2P)原則に合意をみた。国家がその国民に刃(やいば)を向けるような重大犯罪に対しては、国際社会が武力介入も辞さず集団的に対応する責任を認めた画期的な原則であった。
同原則はその後、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、リベリアなど80以上の紛争に関する国連安保理決議に引用されたが、最も威力を発揮したのが、11年のリビア内戦への北大西洋条約機構(NATO)軍の武力介入とカダフィ大佐放逐に道を開いた歴史的な安保理決議であった。当時の国連には、R2Pという新しく強力な武器を手にして、もはや世界の独裁者によるいかなる非道な犯罪に対しても立ちはだかってみせるというような高揚感が満ち溢(あふ)れていた。
ところが、対リビアのR2Pは、あまりに見事に体制転換(レジーム・チェンジ)に成功したがために、ロシアや中国など権威主義国の警戒心を強める結果となった。R2Pは、国際社会による武力介入を認めたとはいえ、それはあくまでも国連憲章第7章に基づく介入なのであり、そこには、安保理で常任理事国が拒否権を行使すれば機能し得ないという宿命的な欠陥を残していた。中東の民主化運動「アラブの春」はリビアからシリアに飛び火したが、そこでまさにその欠陥が露呈することになった。シリアのアサド政権を支援するロシアが、安保理決議を拒否権で葬り去り、その後、R2Pは「沈黙」を余儀なくされることとなったのである。
このほかにも、安保理が常任理事国の拒否権行使のために、機動的な対応策が取れない事案は、14年のロシアによるクリミア半島併合、気候変動問題、ミャンマー軍事政権への制裁、ロシアのウクライナ侵略、北朝鮮の弾道ミサイル発射に対する制裁、イスラエルとパレスチナのイスラム組織ハマスとの紛争など、多数に上る。
皮肉なことに、25年にスタートした米トランプ第2期政権は、ロシアと結託して、ウクライナ戦争の迅速な終結を訴える安保理決議を成立させた。しかし、それは他の西側諸国の賛同を得ない、中身を欠いた異例の決議であり、今後、安保理が有効に機能し得るかどうかを占えるものではない。
アントニオ・グテレス国連事務総長は、繰り返し、安保理を今日の世界に合わせて改革すべきだと訴えている。しかし、米中対立をはじめとする世界の断絶の深まりの中、常任理事国全部と加盟国の3分の2の批准を必要とする国連憲章の改正が実現する見通しは暗い。当面は、憲章を改正することなく、安保理の手続き規則や運用面(例えば、紛争当事国の投票の棄権を求める国連憲章第27条3項の厳格な適用)などで、可能なところから改善の努力を続けるしかあるまい。
このような状況にあって、日本は安保理の改革、なかんずく日本自身の常任理事国入りを希求してきたが、もはや、常任理事国入りを棚上げにし、拒否権は持たないが連続再選が可能な準常任理事国を新設してその地位を獲得する方向で、戦略の練り直しをすべき時期に来ている。この点は、すでに故大島賢三(おおしま・けんぞう)、吉川元偉(よしかわ・ともひで)の両元国連大使らが提唱しており、政府としても早急に決断すべきである。重要なのは、常任理事国としての地位にあるのではなく、非常任理事国としてでもいいから、安保理にできるだけ長く席を有することである。
以上見たように、80周年を迎える国連にとって、まずもって最重要な課題は、安保理改革であることは間違いがない。しかしながら、安保理改革が進んでいないからといって、国連全体が機能していないとみるのは正しくない。例えば、国連総会は、その決議には安保理のような法的拘束力はないものの、世界の多数の国々の意見を結集して、グローバルなコンセンサスづくりに大事な役割を果たしてきている。また現在、南スーダンなど世界の11カ所に展開されているPKOミッションも、武力紛争の再発を防ぐために重要な役割を担っている。
また、国連の第2の重要な目的である経済社会分野での近年の活躍は、高い評価に値する。例えば、2000年から15年までのミレニアム開発目標(MDGs)、さらにその後を継いだ30年までの持続可能な開発目標(SDGs)は、世界中を巻き込んだ開発目標の潮流と具体的成果づくりに大きく貢献してきた。そろそろ30年以降の目標づくりに取り組むべき時である。15年の気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」の合意も、国連の大きな功績の一つであるが、アメリカの離脱を受けて、日本などの役割が増大している。
さらに、国連は、紛争や自然災害などのために危機に直面している人々に、人道支援活動を世界中で展開してきた。現在、世界の難民数は1億人以上にも達しているが、その人たちに救いの手を差し伸べる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの支援活動は、ますます必要性を増している。食料支援を通して飢餓や栄養不足に苦しむ世界の人々を救う世界食糧計画(WFP)は、20年にノーベル平和賞を受賞した。これらの分野でも、トランプ第2次政権による開発援助予算の大幅削減が、深刻な影響を及ぼしている。
さまざまな問題を抱えている国連ではあるが、世界各国の評価は決して低くはない。ピュー・リサーチ・センターが24年9月に発表した調査では、調査対象となった35カ国中、ほとんどの国が国連についての印象を「好ましい」と肯定的に評価している。特に高い評価を示したのはフィリピン、ポーランド、スウェーデン、タイ、韓国などで、軒並み70パーセント以上の人々が好意的意見を示した。
他方、過半数が国連に好意的な意見を持っていない国は、ギリシャ、トルコ、イスラエル、チュニジア、日本の5カ国であった。種々の問題を抱えた国の国連に対する評価が低いのは理解できるが、なぜ日本の好意的意見が41パーセントと低いのかは不思議である。国連が75周年を迎えた20年には、日本の国連への好感度が前年から18ポイントも下落して29パーセントにまで急落し、国連関係者を驚かせた。
目下、多国間協力に背を向ける米トランプ政権が、既存の国際秩序を大きく揺るがせている。さらに、世界が自由主義諸国と権威主義的な国々との断絶を深める中、グローバルサウスとひっくるめて呼ばれる多くの途上国が、両者の間で右顧左眄(うこさべん)を続けている。このような状況の下、国際的な課題の調整役ないしは解決策の仲介役(ファシリテーター)として、日本に協力を求める声は日増しに大きくなっている。日本は、米中対立、ミャンマーなどの紛争や気候変動といったグローバルな課題の解決に向けて、もっと積極的にイニシアチブをとるべきである。英エコノミスト誌などの国際的なメディアも、少子高齢化、経済の停滞、自然災害、米中対立のはざまといった日本の先駆的な経験は、世界の他の国が学べる教訓を提供しているとして、日本に期待を寄せる記事を掲載している。
国連でなくても、いくつかの有志連合による対応が可能という説もあるが、そのマイナス面は、国連が持っているような普遍性(ユニバーサリティー)と正統性(レジティマシー)を欠くことだ。中国やロシアが法の支配に基づく行動を取らない限りにおいては、当面は次善策として仕方がない面もあるが、やはり同時に、他に代替がきかない国連という組織とその運営の改革を追求する努力は継続していくべきである。さまざまな改革が実を結んで、国連の機能が向上し、日本でも国連への理解度と好感度が上がってくれることを期待したい。
公益財団法人ニッポンドットコム理事長、元国連事務次長 赤阪 清隆(あかさか・きよたか) 1948年大阪府生まれ。京都大学、ケンブリッジ大学卒。71年外務省入省。GATT(WTOの前身)事務局、世界保健機関(WHO)事務局、国連日本政府代表部大使、経済協力開発機構(OECD)事務次長などを歴任。2007〜12年に国連広報担当事務次長(広報局長)を務めた。12〜20年、公益財団法人フォーリン・プレスセンター理事長。22年より現職。
(Kyodo Weekly 2025年6月2日号より転載)
