ライブ体感の「距離感」なくし、地方にコール&レスポンスの熱狂を ヤマハとNTTコムが新技術開発
腹話術師いっこく堂さんに口の動きと発声をずらす「衛星中継」の名人芸がある。昔の衛星中継では、海外現地リポーターの声がテレビ画面の口の動きと一致せずに遅れて聞こえる微妙な間があった。いっこく堂さんは、口を閉じて声を出す腹話術師の熟練技の前に、口を開くが声は出さないフェイントをはさみ、聴衆を楽しませる口と音の絶妙な‟ずれ”を作り出していた。
▽ヤマハとNTTコムが協力
いっこく堂さんは、ずれを生む声技で人々をあっと言わせたが、高速、大容量の通信回線で世界がつながるいま、今度は通信上のずれをなくす技術者たちの離れ技が人々を驚かせる番かもしれない。
例えば、近年増えているアーティストのライブ会場(主会場)とは別の会場でライブ映像を楽しむ、いわゆる「ライブビューイング」だ。二つの会場で、映像・音声通信のずれ、ストレスを感じることなく、互いの会場の様子を映す大型映像画面を介してほぼ二距離感ゼロ」の短さでコール&レスポンスを楽しめる独自技術を、ヤマハ(浜松市)とNTTコミュニケーションズ(NTTコム、東京都千代田区)が共同で開発している。
この独自技術の成果をシンガーソングライター小林佳さんのミニライブで体感する報道陣向け体験会が5月28日、東京都中央区のヤマハ銀座店で行われた。地下2階スタジオのライブ会場と6階のライブ映像会場の2会場を結び、小林さん、6階の聴衆の双方が、通信上の間をお互いに感じることなく、同じ会場にいるような距離感ゼロの感覚で円滑なコール&レスポンスができるかどうかを実体験した。
ライブ終了後、小林さんは「ライブはアーティストと観客が同じ場所にいて体感するものだとこれまで思っていたが、(違う場所にいても、優れた映像通信技術を活用すれば)距離と場所の制約を超えて同じ空気感を共有することができると今回実感した。これからの新しい音楽の可能性、感動を感じることができた」と語った。

地下2階のライブを映像で楽しむ6階の会場。盛り上がる6階の熱気を拍手や歓声、手ぶりで、地下2階の小林佳さんに伝える=2025年5月28日、東京都中央区のヤマハ銀座店
ライブ中の小林さんは、ライブ映像を楽しむ6階の観衆の様子を映すスタジオ内の大画面に向かい「皆さんの表情はよく見えます。ライブを楽しんで」と手を振るなどして、6階の観衆の反応を見ながら呼び掛けた。この小林さんの反応を映像で見た6階の観衆が大きな拍手で応え、その拍手の映像を見た小林さんがまた手を挙げて感謝する—。地下2階と6階の間でこのようなコール&レスポンスが何度か繰り返された。
この2つの会場の映像・音声のずれはおよそ0・1秒。これは、アリーナ後方からライブを楽しむ体感とそう変わらないという。
▽都市、地方の体験格差是正
ヤマハとNTTコムが今回開発した独自技術は「GPAPover MoQ(ジーパップ・オーバー・エムオーキュー)」と名付けた新技術。映像・音声・照明などのライブデータを1つにするヤマハの記録・再生技術(GPAP)と、音声・映像を高速配信するNTTコムの次世代データ転送技術(MoQ)を融合させて開発した。
この独自技術の特長は、インターネットや5G(第5世代移動通信システム)を使って、0・1秒のずれしか生じない映像・音声・照明の転送を実現した点。映像・音声・照明など転送データ量の種別に応じた最適な圧縮技術(最大90%まで圧縮可能)・データ復旧処理技術などを確立したことで実現できたという。
独自技術の概要を体験会で説明した開発担当者のNTTコムイノベーションセンターの小松健作さんによると、これまでの技術ではおよそ3秒のずれが生じるため、別会場でライブ映像を見る聴衆が、ライブ会場のアーティストと、ライブの大きな魅力の一つであるコール&レスポンスを円滑に楽しむことができないなどの課題があったという。
山形県出身の小松さんは「人気アーティストのライブの多くは都市部で開かれ、地方の人々は人気ライブに触れる機会が少ない。このような生の音楽、演劇などの芸術鑑賞の機会における都市と地方の格差を実質的になくすことに、今回の技術が役立てば」と話した。
経済格差が広がる昨今、家庭の経済環境の違いから、情操を育む各種体験(自然体験、スポーツ・運動体験、文化芸術体験、読書体験など)に触れる機会が少ない子どもたちの「体験格差」が課題になっているが、小松さんらが今回開発した技術は、都市と地方の体験格差を是正するだけなく、経済環境による子どもたちの体験格差の縮小にも道を開く。体験会の冒頭あいさつしたNTTコムイノベーションセンター長の友近剛史さんは「(独自技術を活用して)都市と地方の二極化の解消など日本が抱える社会課題の解決に貢献したい」と述べている。

独自技術で都市と地方の格差是正を目指す(左から)NTTコミュニケーションズの小松健作さん、友近剛史さん、シンガーソングライター小林佳さん、ヤマハの開発担当の柘植秀幸さん
GPAPの概要を説明したヤマハの開発担当の柘植秀幸さんは「チケットが取れない、遠くて行けないなど、世の中には、見たくても見られないライブがたくさんある。このため映画館でのライブ上映会が最近増えているが、私はDVDを見ているような感じで、音響も含めて本来のライブ感覚は得られなかった。そのためにヤマハが開発したのが、アーティストのパフォーマンスをありのままに記録・再現するジーパップだ。音楽だけでなく演劇の地方公演などに応用できる。NTTコムとヤマハが開発した独自技術は、すべての人にライブ本来の臨場感を届けることできる」と強調した。