異例ずくめのマニラ邦人殺害 【水谷竹秀✕リアルワールド】
フィリピンの首都マニラで8月半ばに発生した日本人男性2人の殺害事件が連日、報道されている。長年、現地の邦人事件を取材し続けてきた私にとっても、2人が同時に殺害された事件は初耳で、現場自治体のマニラ市長が「正義と治安維持のために引き続き尽力する」と声明を発表したのも異例だった。捜査は続行中だが、私なりの視点で事件を切り取ってみたい。
事件が発生したのは8月15日深夜。マニラ市マラテ地区の路上で、日本人男性2人がタクシーから降車した直後、背後から近づいてきた男1人に銃撃され、死亡した。所持していた鞄(かばん)は奪われ、犯人は逃走した。
犯行時の様子は防犯カメラに収められており、その映像はSNSで拡散された。現地警察は発生から4日後、防犯カメラの映像などから犯人2人を特定し、身柄を拘束したと発表した。フィリピンで発生する邦人殺害事件で、犯人がこんなにも早期に拘束されたのも異例だ。
私がかつて「日刊まにら新聞」に記者として在籍していたころ、邦人殺害事件は10件以上取材したが、犯人逮捕に至ったケースはなかった。1件だけ、発生から数日後にフィリピン人5人が拘束されたが、後に誤認と判明し、釈放された。結局、犯人は特定されなかった。ほとんどの事件は捜査が1週間程度で事実上終了し、迷宮入りしてしまうのが実情だ。要因の一つは、警察官といえども薄給で、捜査費用も不十分といった待遇面での問題がある。ゆえに警察官の士気が高まらず、捜査の継続に支障が出るのだ。
ところが今回の事件では、日本のメディアが一斉に報じ、在フィリピン日本大使館も動いたため、現地警察が背中を押されたようだ。
報道によると、逮捕された犯人2人は兄弟で、日本人の首謀者から900万ペソ(約2300万円)で殺害を請け負ったと供述した。しかし発生時には頭金1万ペソ(約2万6千円)しか支払われていなかったという。
日本人が被害に遭う事件で、フィリピン人のヒットマン(殺し屋)が雇われた依頼殺人は何度か発生している。だが、900万ペソはあまりにも高額だ。私が聞いた範囲では、数万ペソでも引き受ける場合がある。背後には日本人の黒幕がいて、被害者に保険金を掛けている場合が少なくない。今回は首謀者が日本に在住とのことだが、被害者2人に多額の保険金は掛けられていたのか。もし掛けられていなければ、カネの力で殺し屋を雇い、リスクを冒す動機はどこにあったのか。その点が一つのポイントになるだろう。
事件が起きたマラテ地区の現場はマニラ湾に近く、日本人観光客が多い繁華街の中心だ。同地区はホテルや日本料理店、フィリピンパブなどが立ち並び、発生時間帯はまだまだ人通りが多い。マニラに住んでいた当時、現場周辺には何度も足を運び、土地勘もあるだけに「あんな人気(ひとけ)の多い場所でなぜ起きたのか」と今も驚きを隠せない。それが犯人側の意図ならば、自ら捕まりに行くようなものだ。ますます謎が深まる事件である。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 34からの転載】
水谷竹秀(みずたに・たけひで)/ ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、「日本を捨てた男たち」で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。