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ボーダーレスな舞台でL.A.に挑戦する

パラアスリート(アーチェリー)のワーク×スポーツ・バランスのかたち

2025年5月30日
日本体育施設株式会社


スポーツ施設の建設を専門とする、日本体育施設(にほんたいいくしせつ)株式会社(本社:東京都中野区代表取締役社長:越後 幸太郎)は、2028年ロサンゼルス・パラリンピック出場を目指すパラアスリート・大谷知樹選手(アーチェリー)を、今シーズン(2025年)より雇用したことをお知らせします。

パラアスリート社員雇用の背景と意義
当社は、「誰も取り残さない社会の実現」を行動指標としており、その一環として、パラアスリートである、大谷知樹選手を社員として迎え入れています。この背景には、企業としての社会的責任を果たすのはもちろんのこと、障がいの有無にかかわらず多様な人材が活躍できる環境をつくりたいという当社の想いがあります。例えば、大谷知樹選手が競技に挑む際には、競技と業務を両立できるようスケジュール調整を行い、会社全体で応援・サポートする体制を整えています。
但し、当社が目指すのは一方向の関係性ではありません。大谷知樹選手の姿を通じて、多様性への理解が深まり、社員一人ひとりのモチベーションが高まる、など、双方に価値をもたらす関係性を目指しています。


競技用の弓(左射ち用)

ボーダーレスな競技『アーチェリーの魅力』
アーチェリーは、障がい者と健常者が同じフィールドで戦える、数少ない競技の一つです。体力以上に、集中力や“無の境地”で臨む平常心が問われます。アーチェリーを始めるには、道具の準備や練習場使用のための資格取得などといったハードルもありますが、都内においては初心者が気軽に楽しめる環境も整いつつあります。健常者のトップ選手と障がいのある選手が共に練習するなど、垣根のない交流も生まれています。

大谷知樹選手について
大谷知樹選手は、脳出血の後遺症による左半身上下肢障がいを抱えながら、現在パラアスリートとしてアーチェリー競技で活躍中です。以前はパラ馬術の活動をしていましたが、パラリンピック出場を目指し、2024年にアーチェリーへ転身しました。現在は働きながら、 2028年ロサンゼルス・パラリンピックに向けて練習に励んでいます。

種目:アーチェリー(コンパウンド)/ 自己最高記録:50m 656点 / 生年月日:1975年11月26日 / 出身地:東京都

大谷知樹選手について詳細情報はこちらからご覧ください。
https://www.ntssports.co.jp/sponsorship/ohtani-tomoki/

大谷知樹選手の一日のスケジュール例
平日は9:00~12:00まで日本体育施設 総務グループの一員として業務に従事しています。昼食後、13:00~18:00まで練習場で練習をします。クールダウンや全身を引き締める目的で、18:00~19:00頃までプールで
ウォーキングをします。その後帰宅し、たんぱく質多めの夕食をとりながらプライベートの時間を過ごし、20:30頃に就寝します。睡眠時間は9時間~9時間半程度と、多めに確保しています。

大谷知樹選手の一日のスケジュール例

戦績・受賞歴
2024年:第25回東京都障害者スポーツ大会 コンパウンド30m ダブルラウンド 651点 優勝
     全国障害者スポーツ大会 佐賀大会 コンパウンド30m ダブルラウンド 674点 優勝
2025年:3月14日 令和6年度 荒川区教育委員会褒賞を受賞
     4月13日 令和6年度 葛飾区スポーツ協会優秀選手賞を受賞
     5月18日 第49回 のじぎく杯アーチェリー大会にて準優勝
           のじぎく杯決勝戦の様子は以下より動画でご覧いただけます。
           https://www.youtube.com/shorts/DZzRC4myZUg

ユニフォームを着用した大谷知樹選手

障がいのある者が企業で働くことで、障がい者への壁や垣根が無くなることを願っています。アーチェリーやパラスポーツへ興味を持っていただくことは、選手にとって活力となります。応援をよろしくお願いします!(大谷知樹選手)

「アーチェリー」はパラリンピックの原点
パラリンピックの歴史の始まりは、1948年7月29日、英国ロンドン郊外にあるストークマンデビル病院の一角でひっそりと行われた競技会です。16人の車いす選手が参加してアーチェリー大会が開催されました。※1 そこから始まった歴史を受け継ぐ競技として、アーチェリーはパラスポーツの中でも重要な位置を占めていると言えます。アーチェリーの魅力を伝える大谷知樹選手の活躍を、日本体育施設は応援しています!
※1:出典:公益財団法人 笹川スポーツ財団「パラリンピックの歴史を知る」
https://qr.paps.jp/c5Fle

企業情報
本社所在地:東京都中野区東中野3-20-10
代表取締役社長:越後 幸太郎
事業内容:スポーツ施設の建設、管理・運営
従業員:142名(2024年12月末現在)

日本体育施設は1971年の創立以来、国内外のスポーツ施設の建設と管理・運営、製品やサービスの開発と提供に取り組んでまいりました。 「もう一歩先のフィールドへ 人と技術で未来を“健”設する」をビジョンに掲げ、心身ともに健康で豊かな社会の進歩発展に向けて、スポーツ・レクリエーション施設を通じて企業活動を進めています。これからも技術力をさらに進化させ、飽くなき挑戦を続けてまいります。

日本体育施設の歴史
1971年:日本体育施設株式会社を設立
1991年:第3回世界陸上の会場(旧・国立霞ヶ丘競技場)にトラック舗装材『レオタンαエンボス』が採用される。
1994年:国内初、日本陸上競技連盟第2種公認の『ブルートラック』施工
1998年:サッカー・ナショナルトレーニングセンターJヴィレッジを施工
2001年:サッカー日韓W杯会場の宮城スタジアム、埼玉スタジアム、静岡エコパスタジアム、日産スタジアムの4会場を施工
2003年:東京都品川区スポーツ施設を含む都市公園の包括管理業務を皮切りに公園の維持・管理運営を行う公園管理事業を全国展開
2004年:人工芝グラウンドの暑さ対策『フィールド冷却細霧システム』を開発
2008年:世界初の投てき実施可能な人工芝スポーツターフΛ(ラムダ)完成全仏オープンテニス舗装材『レッドクレイコート』を国内初の施工
2013年:室内テニスコート専用『スマートインドア』の販売・施工を開始
2015年:明治神宮テニスクラブ室内テニスコートに『スマートインドア』が採用
2016年:国内初、サッカーコートフルピッチにハイブリッド芝『エクストラグラス』を施工
2019年:ラグビーW杯会場クラサスドーム大分(※当時:昭和電工ドーム大分)にハイブリッド 『エクストラグラス』が採用。国立競技場(トラック・フィールド工事)、宮城スタジアム、 福島県あづま運動公園野球場を施工
2020年:盛岡南公園野球場(仮称)整備事業でPFI事業へ参画(※現:きたぎんボールパーク)
2021年:5月、創立50周年。12月、環境対応型ウレタン舗装材を札幌市円山競技場で施工

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