劇場をひらくアクセシビリティ――「誰に届けるか」という問いの先へ――演劇界の気鋭が明かす「鑑賞サポート」の舞台裏とリアルな現在地
2026年1月13日、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京(東京都千代田区)のオフィスで、演劇界の第一線で活躍する現場の実践者たちによる座談会が行われた。テーマは「鑑賞サポート」。手話通訳やポータブルモニターによる字幕サービス、音声ガイドといった試みは、いまや障がい者を手助けする「配慮」の枠を超え、演劇の表現そのものを豊かに変えようとしている。当日交わされた熱い議論の様子をレポートする。
(以下、敬称略。司会・執筆 株式会社共同通信社 垂見和磨)
◆「誰に届けるか」という問いが、劇場の扉を開く
「鑑賞サポートは、特定の誰かのための特別な配慮ではなく、芸術文化そのものを、より多くの人に開いていくための取り組みです」
座談会の冒頭、アーツカウンシル東京で鑑賞サポート助成を担当する佐藤泰紀は、そう前置きした。
東京都とアーツカウンシル東京が実施している「クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー」は、年齢や障がいの有無、言語や文化の違いを越えて、だれもが芸術文化にアクセスできる環境を整えることを目指している。
その一環として立ち上がったのが、民間の芸術文化団体が鑑賞サポートに取り組むきっかけをつくる助成制度だ。
字幕、手話通訳、音声ガイド、多言語対応、台本の事前貸出、上演前の説明会──鑑賞サポートの形はいま、多様に広がっている。佐藤は言う。
「成果は着実に生まれつつあります。同時に、現場の課題も多く見えつつあります」
鑑賞サポートは、観客の体験をどこまで豊かにしうるのか。創作のあり方をどのように変えていくのか──佐藤から投げかけられたこの問いを受け止める形で、現場の実践者たちの対話が始まった。
【佐藤 泰紀(さとう・やすのり)】 「アーツカウンシル東京」活動支援部助成課支援プログラム担当係長。字幕や手話通訳、音声ガイドなどを導入する公演の制作・実施を支援する「東京芸術文化鑑賞サポート助成」を立ち上げから担当。その他、「東京ライブ・ステージ応援助成」も立ち上げから担当し、東京で実施される様々な芸術活動を支援している。
◆「届けたい」という表現者の願いが、創作の新しい力になる
翻訳劇『Downstate』——「言葉の距離」を縮め、心を通わせるために
最初に切り出したのは、翻訳劇ユニット「ポウジュ」を主宰する稲葉賀恵だ。海外戯曲の日本初演を手がけてきた稲葉にとって、鑑賞サポートは「言葉をどう共有するか」という表現の本質に関わる問いかけになった。
「翻訳劇はどうしても遠い国の言葉を、客席から覗き見するような感覚になりやすいんです。敷居が高いと言われる正体は、結局は『言葉の距離』にあるのではないか、と」
【稲葉 賀恵(いなば・かえ)】 演出家。日本大学芸術学部卒業後、2013年に文学座座員に。2024年に翻訳家・一川華とのユニット「ポウジュ」を立ち上げ、海外戯曲を日本の観客に届ける新たな手法を模索し続けている。パルコ・プロデュース『幽霊はここにいる』などの演出で、2023年に第30回読売演劇大賞優秀演出家賞、2026年に『リタの教育』などの作品で第33回読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞。
稲葉が今回上演した『Downstate』は、性加害という極めてセンシティブなテーマを扱う。日本初演に向け、ユニット設立から1年、企画自体は2年前から慎重に検討を重ねてきた。その間、彼女の脳裏にはある疑念が浮かび上がったという。
「耳の聞こえない人に、この残酷なまでのやりとりはどう届くのか。誰かを置き去りにしたまま上演していいのか、と考えました」
彼女にとって鑑賞サポートは、観客を増やすための「工夫」ではない。作品を誰と共有したいのかという、クリエイターとしての願いと向き合った末に導き出された「必然」だったという。
音楽劇「彼方の島たちの話」——字幕を「演出」の一部として楽しむ試み
続いて、演劇カンパニー「ヌトミック」を率いる額田大志が発言した。
額田が今回手がけた「彼方の島たちの話」の舞台は、3組の家族を軸に生と死が交錯する世界。言葉のリズムや音の重なりに身を委ねる音楽劇だ。
音楽家としても活動する額田は、鑑賞サポートがある別の公演に関わった際、演出家が字幕制作にタッチしていない現状に驚き、違和感を抱いたという。
「作品の外側にある配慮ではなく、作品そのものとして成立するかどうかをやりたかったんです」
【額田 大志(ぬかた・まさし)】 1992年東京都出身。東京藝術大学卒業。2016年に演劇カンパニー「ヌトミック」を結成。言葉、音楽、身体を等価に扱う演出を得意とする。2026年に第33回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。舞台芸術の枠を越え、現代音楽や映像音楽の分野でも活躍するボーダレスな表現者。
額田が目指したのは、字幕という情報を足して作品を「分かりやすくする」ことではなかった。
「僕らの作品は、耳の聞こえる人にとっても簡単ではない。だからこそ、情報を補てんするのではなく、みんなで一緒に作品に身を委ね、同じ場所で〝揺れる〟体験をどう作るかに腐心したんです」
沖縄劇「カタブイ、2025」——「みんなが客席にいる」当たり前の景色を作る
3番目に登場した名取敏行が上演したのは、沖縄三部作の完結編となる「カタブイ、2025」。沖縄を舞台に、家族や土地の記憶、生者と死者が静かに交差する時間を描く作品だ。
名取事務所の公演ではこれまでに舞台手話通訳を実施してきたが、この公演では視覚障がい者向けのサポートにも挑戦した。
「障がいのある人が特別扱いされず、自然に客席にいる。それが普通の状態だよね、という感覚がずっとあります。ただ、現実は甘くない。最初は本当に大変。稽古場には人が増えるし、莫大な経費もかかる。しかし、それを理由に『やらない』という選択肢はなかった」
名取は、演出家ではなく「制作者(プロデューサー)」の立場にある。演出家と議論を重ねれば際限がなくなる場面もあり、創作上の理想と現場の実務の間で判断を迫られる。
「今回は手話付きだと決めた以上、どこに立てば必要な人に見えるのか、制作者として折り合いをつけて進めるしかありません」
【名取 敏行(なとり・としゆき)】 1996年に名取事務所を設立。別役実海外交流シリーズやカナダ演劇シリーズなど、海外作品の紹介に尽力。2018年には『屠殺人 ブッチャー』で第25回読売演劇大賞優秀作品賞、2022年には第57回紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞。国際イプセンフェスティバル東京のプロデューサーも務める、日本演劇界の重鎮の一人だ。
◆響き合う心。鑑賞サポートが引き出す「深い対話」
せきを切ってあふれた観客の思い——「鑑賞シェア会」で見えてきたもの
鑑賞サポートは、単に上演中の理解を助けるための〝補助輪〟ではなかった。
稲葉は、公演後に場所を近くのカフェに移して行った「鑑賞シェア会」で、その真価をまざまざと見せつけられる体験をした。
「手話通訳を交えて感想を話す場を設けたのですが、耳の聞こえない方々の感想があふれ出し、1時間では到底足りませんでした。終了後も『どうしても伝えたい』という方が絶えず、個別に通訳を介して対話を続けた。これほどまでに密なやり取りができるのかと、衝撃を受けました」
「オープンキャプション」という試み
額田が手応えを感じたのは、台詞(せりふ)に加え、音の描写を含む字幕を観客全員に見える形で舞台上のスクリーンに常時表示するという大胆な試みだった。
「情報の露出を増やしました。すると、聞こえてきた感想は『分かりやすかった』という表面的なものではなくて、『あの人物の行動は何だったのか』といった作品の核心を突いた声でした。作品が作品のまま届いた、という確信がありました」
字幕が見えると集中を削がれる―という懸念の声もあったが、現実は逆。観客が同じ作品世界に向き合うための「共通の足場」が、字幕によって自然に共有されていたのである。
「安心」から始まる、血の通った演劇体験
初めて視覚障がい者向けのサポートを実施した名取には発見があった。
「正直、やってみなければ何も分からない状態でした。開演前に役者全員が舞台上で自己紹介をし、舞台上の装置や小道具に触れてもらう。空間配置を言葉で説明する。そうした上演前のプロセスすべてが、鑑賞体験の一部として組み直されていきました」
さらには、駅で待ち合わせ、劇場までエスコートするところからサポートが始まるケースもあった。
「その一つ一つは確かに大変です。しかし、そこまで踏み込むからこそ、観客の中に『ここで芝居を見る』という血の通った体験が刻まれる。その確かな感覚がありました」
◆「言葉」が解釈を固定してしまう——演出家たちの苦悩と挑戦
音を言葉に置き換える不自由さ
稲葉が突きつけられたのは、「音をどう言葉に翻訳するか」という難問だった。
「例えば、キッチンの水の音が徐々に質感を変えていく場面。これを字幕でどう表現すべきか。『高周波のような音』と記述するのは容易だが、それでは色気がなくなる。それは本当に正解なのか。言葉にした瞬間、演出家が解釈を固定してしまうのではないか。激しい葛藤がありました」
サポートが「親切」を目指すほど、芸術の多義性が失われる――。稲葉が直面したのは、表現の本質に関わるパラドックスだった。
「全部書く」ことが正解とは限らない
音楽劇を手がける額田もまた、情報の取捨選択という壁に直面した。彼にとって音は説明される対象ではなく、身体で享受するものだからだ。
「ドラム、ギター、ベースが鳴り響く場面でも、あえて字幕には『ドラム』しか書かないなど、作品において核となる音楽の要素を抽出するシーンもありました。すべての音情報を文字化すれば、観客は情報の洪水に溺れ、どこに感情を置けばいいかを見失うからです」
さらに、字幕を舞台上に常時表示するという挑戦的な演出は、観客の間で真っ二つに評価が分かれた。
「『芝居に集中できなかった』という拒絶反応もあれば、『これこそが必要だった』という称賛もあった。賛否が出ることは覚悟していたが、実際にやってみて初めて突きつけられる現実は、想像以上に重いものでした」
現場のリアルと「最初の一歩」の覚悟
ここで名取が、理想論を排した「現場のリアル」について付け加えた。
「理屈は分かっていても、現場では圧倒的に『人・時間・予算』が足りない。例えば、駅までの送迎を含めれば膨大なマンパワーを消費する。これには相当な覚悟が必要です」
長年この活動を続けてきたからこそ見える、リソースの限界だった。しかし、名取はそれでも前に進もうとする。
「完璧を求めて足踏みするのではなく、まずはやれるところまでやる。続けていく中でしか、次の解決策は見えてこない。それが現場の偽らざる実感です」
◆「届かない」という壁を越えて
伝わらないジレンマ
どれほど手厚いサポートを準備しても、観客に情報が届かなければ意味をなさない。稲葉が振り返る。
「公演情報のページには、字幕対応についても鑑賞サポートについても明記していました。しかし、終わってから『そんなサポートがあるなら行きたかった』と言われたことが何度もありました」
観客が劇場に足を踏み入れるまでの「不安の導線」を、いかに一つずつ解消していくか。そこまで踏み込まなければ、なるほど、劇場の扉は開かないのだ。
「知らないこと」が引き金となる不安の正体
額田によると、今回の公演では舞台上に字幕を常時表示したが、その事実が事前に観客へ十分に共有されないケースがあった。
「観劇に慣れていない人ほど、『知らないこと』に対して強烈な不安を感じます。字幕はあるのか、音量はどの程度か、途中で席を立っても許されるのか――。そうした情報のピースが一つでも欠ければ、彼らは『行くのをやめる』という選択を下してしまう」
名取もこれに同調し、障がい者のみならず、劇場に来ることにハードルを感じている引きこもりの若者を対象とした取り組みについて言及した。
「世田谷区社会福祉協議会と連携し、引きこもりの方々を招いてバックステージツアーを行っています。彼らにとって劇場は未知の場所。事前に劇場の裏側を見てもらい、安心感を持ってもらうことが、客席へ向かう第一歩になるのです」
劇団という「個」の努力が限界を迎えるとき
長年、公共劇場とともに実践を重ねてきた名取が続ける。
「単に『サポートがあります』と書くだけでは不十分で、駅から劇場までどう歩き、どこで誰に声をかけるべきかという、物理的・心理的な『導線』すべてをケアする必要があります。駅から劇場までのエスコートといった、上演の外側にある事前の安心感こそが、鑑賞体験の質を左右するのです」
名取は、劇団という単一組織が抱える限界を率直に認め、「劇場がハブとなって地域と繋がる仕組みが不可欠なんです。劇団だけの努力に依存するモデルは、もはや限界に来ています」と発言した。
◆「助成」がくれた、はじめの一歩。当たり前にサポートがある未来へ
座談会を通じて見えてきたのは、個々の公演や団体の努力だけでは解決しきれないという現実だった。議論は終盤となり、ではどうすればこの取り組みを継続し、広げていけるのか、という問いへと移っていく。
「経験の蓄積」が次の一歩を軽くする
稲葉にとって重要なのは、失敗や迷いも含めて共有される環境だ。
「うまくいった話だけではなく、ここが難しかった、ここで迷った、という話が残っていけば、次にやる方が少し楽になると思うんです。鑑賞サポートは、そのようにして積み重なっていくものだと感じています」
名取が議論を引き取る。
「世田谷の劇場では、少しずつですが、スタッフの中に『鑑賞サポートがある前提』が育ってきている感覚があります。それだけでも、現場はかなり助けられます。劇場は、地域との接点を持っている場所ですから、ここがハブになれれば、鑑賞サポートはもっと自然に広がるのではないでしょうか」
この発言を受け、アーツカウンシル東京の佐藤も制度設計側の立場から議論の輪に加わった。
「鑑賞サポートは一つの公演だけで完結するものではありません。今回のような助成をきっかけに、劇場が中心となって地域とつながり、そこで得た知見や経験が次の公演へと蓄積されていく。蓄積されることで、そこに行けば芸術に触れることができると観る側に認識される。そうした有機的な連携やエコシステムが構築されない限り、生まれつつある鑑賞サポートへの関心が一過性の試みとなってしまい、真の継続性は生まれないと考えています」
「やってみた」という実感が、演劇の未来を変える
鑑賞サポート制度がもたらしたのは、単なる資金援助に留まらない「次への種まき」だったようだ。
額田は、アクセシビリティを単なる後付けではなく、演出の核として深めるために「思考する時間」を確保できたことが大きかったと言う。
一方、名取は劇団による孤軍奮闘の限界を認め、鑑賞サポート制度によって、劇場や地域と連携する仕組みの重要性が可視化されたことを最大の収穫として挙げた。
最後に、今回の挑戦を「大きな財産」と振り返る稲葉が、これから取り組もうとする団体に向けて力強く呼びかけた。
「自分たちの人数や経費を考えると、やりたい気持ちはあっても難しかったのが本音です。でも、今回やってみて分かったことが本当に多かったです。鑑賞サポートは、最初から完璧にできるものではありません。でも、こういう助成を使って、一度やってみてほしい。やってみないと分からないことの方が多いと思います」
鑑賞サポートは、いまだ完成された仕組みではない。だが、助成をきっかけに踏み出した現場の確かな手応えは、次に続く誰かへの具体的な道標として、この場に確かに共有されていた。
編集部からのお知らせ
新着情報
あわせて読みたい
自動車リサイクル促進センター
自動車リサイクル促進センター



























