「特集」インフレが引き起こす「株高不況」 資産構成の見直しを

藤代宏一
第一ライフ資産運用経済研究所 主席エコノミスト
日経平均株価(225種)は2025年10月に5万円を超えると、26年4月には6万円、6月には7万円の大台をそれぞれ突破した。株価上昇をけん引したのは、言わずもがなAI(人工知能)・半導体関連銘柄である。米国のメガテック企業が巨額のAI投資を実施するなか、日本のメモリー半導体メーカーに加え、半導体の製造装置、部材、化学品や電子部品を手掛けるメーカーの株が積極的に買われた。
AI・半導体関連銘柄は日経平均株価の構成において4割以上を占めているため、これらの銘柄の成長期待が強まると、株価指数全体として上昇しやすい特性がある。年初来の株価上昇は、AI・半導体関連銘柄の利益見通しの改善で多くが説明できる。
一方で街角の空気は、株式市場の代名詞的存在である「兜町」とは異なり、高揚感に乏しい。日銀や内閣府が実施する消費者調査では、これまでの食料品の値上げと3月以降の原油高を受けて消費者心理は冷え込んだ状態にある。この温度差が生まれる理由は何だろうか。
バブルではない株価上昇
この間の株価上昇がバブルなのかといえば、その可能性は低い。株式の割安・割高を測る代表的な尺度としてPER(株価収益率)がある。株価が1株当たり純利益の何倍かを示す数字だ。
バブル期の日本株のPERは約60倍といった極端な高水準だった。これに対し、現在のPERは日経平均株価でみてもTOPIX(東証株価指数)でみても大まかに20倍前後であり、過去の日本株、あるいは現在の主要先進国株と比較して割高感はない。株価上昇は、企業業績に見合っていることを強調しておきたい。
熱い株価と冷めた消費者心理。「株高不況」ともいえる現在の経済状況で、この矛盾を説明する鍵はインフレである。これは名目GDP(国内総生産)、実質GDP、株価のグラフをみると分かりやすい。株価は、市場全体の動きをより正確に示すTOPIXを使った。
まず、実質GDPをみると、コロナ前後で水準に大きな違いはなく、この間の日本経済の成長率が低いことを物語っている。ちなみに実質GDPは一般的に「物価変動の影響を除いた数値」などと説明されるが、「数量」と理解した方が分かりやすい。人口減少によって、人手不足が深刻化し、労働力が足らず、需要を満たせない状況が続いている現在の日本で、数量ベースの経済規模拡大はあまり期待できない。日本経済の巡航速度ともいうべき潜在成長率は、ひいき目にみても1%程度であり、高成長は非現実的である。
これに対して経済活動の規模を金額で捕捉する名目GDPは2022年以降のインフレによって急拡大している。販売数量は増えなくても値上げによって売上高が膨らんでいる形だ。
身近な例でいえば、飲食店で食べる量(実質値)は変わらないのに、値上げ(インフレ)によってお会計(名目値)が高くなったということだ。名目と実質の乖離は、こうした現象がマクロレベルで起きていることを意味している。
そして株価は、名目GDPの拡大に沿って上昇していることが分かる。それは取りも直さず、株価とその裏付けとなる企業収益は名目値で評価されるからである。

インフレは企業経営に逆風ではない
インフレは企業経営にとって、逆風であると思われがちであるが、全体としてみればデフレよりも好ましい。なぜなら、自社製品・サービスの値上げがしやすいからである。デフレ期のように価格競争が熾烈な環境では、何らかの理由でコスト増に見舞われた場合、企業はそれを価格転嫁できず、収益が圧迫されてしまう。
他方、インフレ環境では競合企業も値上げをするため、コスト増を価格に転嫁しやすくなる。そうした企業行動が支配的であれば、物価と賃金の相互刺激的な上昇が続きやすくなる。
事実、ここ数年の傾向として、企業は人件費や原材料価格の上昇などといったコスト増を販売価格に上乗せしている。ここで重要なのは、コスト増を、ほぼそのままの割合で販売価格に転嫁できさえすれば、売り上げも利益も金額ベースでは拡大する、という単純な視点である。
たとえば、売り上げ100、費用50、利益50の企業が、インフレによって売り上げ200、費用100となれば、利益も2倍の100になる。その時に他の条件が不変であれば、その企業の株価も理論上は2倍になり得る、ということだ。
株価が名目GDPの拡大に沿って上昇してきた事実は、投資家がインフレによって膨らんだ利益を素直に評価したことを物語る。株価が停滞するデフレ期にうらやんだ姿が、ここにあると言ってもよい。
このように資産価格の上昇を促すことがインフレの代表的な利点である。インフレで株価が上昇するのは、1990年代半ば頃からデフレ下で、名目GDPが伸び悩み、株価が停滞したことの裏返しと理解してもよいかもしれない。
「株価上昇の恩恵がない」という不満もある。これは広い意味で、長期デフレの副作用と言えるだろう。根底にある問題は、家計の資産構成がデフレ型のままであるがゆえ、インフレに脆弱になってしまっていることだ。

『株高不況 株価は高いのに生活が厳しい本当の理由』 藤代宏一著 青春出版社
デフレでは現預金が正解
物価が上がらないデフレ下において、家計はインフレに強い資産である株式を保有する必要性に乏しく、デフレに強い資産である現預金を多く持ち、守りを固めるのが正解であった。そうした経緯もあり、日本の家計が保有する金融資産のうち、株式や投資信託の割合は欧米と比べると小さい。
その理由として「日本人はリスクを取るのが苦手」「金融知識に乏しいから」などと説明される。そうした文脈では「金融教育が必要」という方向に議論が向かいがちであるが、本当にそうであろうか。筆者は、単にデフレ下で株式投資をしないことが正解だったことが大きかったからであるとみている。
問題はデフレが終わった現在もまだ現預金の比率が高いことにある。現預金に偏重した資産構成では、受取利子がインフレ率に追いつかず、資産が目減りしてしまう。
一般的に銀行の普通預金金利は政策金利に対して4割程度の水準である。つまり政策金利が1%になっても普通預金の金利は税引き前で0・4%程度しか得られないため、消費者物価上昇率が2%であれば、税引き後の利子はほとんど家計に貢献しない。このように金融資産がインフレ負けしてしまい、購買力が低下すれば、生活実感が悪化するのは当然の帰結に思える。現預金は、元本が保証されることから「安全」とされているが、インフレ負けを加味して考えれば、決して安全とは言えない。
こうした状況で、家計は株式などインフレに強い資産の配分を高めることが有効になってくる。株式がインフレに強いことはこれまでに述べた通りであるが、もう少し身近な例をとって説明することもできる。
たとえば、食品価格上昇の影響を緩和したいと考えるなら、食品や外食を手掛ける企業の株式を保有することが有効になるだろう。企業が値上げに踏み切り増収となれば、それに伴って当該企業の株価が上昇すると考えられるためだ。株式がインフレに強いと言われるのはそのためだ。その他にも、住宅ローン金利の上昇が不安であれば、金利上昇の恩恵を受ける銀行株を保有する、という発想もある。

賃上げ率3%、物価上昇2%を目指せ
インフレは、株価上昇を促す半面、生活費の上昇を通じて家計の逆風となる。ここでありがちなのは「物価上昇に負けない賃上げを!」という議論である。過去数年の日本では賃金上昇率が物価上昇率に追いつかず、実質賃金がマイナスであったことから、「株高不況」ともいうべき経済状況の元凶が「低い」賃上げ率にあるとされてきた。
ではここで、日銀の物価目標が2%であることと、最近の賃金上昇率の基調が3%程度であることを思い出したい。消費者物価上昇率を2%程度で安定させたいなら、賃金上昇率が4%や5%になってしまうことは避けなければならない。人件費の増加分が価格に転嫁され、物価上昇率が加速してしまうからである。
長期デフレを経験した日本では、賃金は上がれば上がるほど良いといった風潮すらあり、賃金インフレの脅威に対する警戒は乏しい印象がある。ただし、これ以上の賃上げは物価を上振れ方向のリスクに晒す危険がある。
たとえば、賃金上昇率が5%に上がったら、物価上昇率は4%かそれ以上となってしまい、こうした環境は低所得層に打撃となる。こうした点に鑑みると、名目賃金の上昇率が3%程度に安定しつつ、物価上昇率を2%程度に落ち着かせるような財政・金融政策が望ましいと考える。
第一ライフ資産運用経済研究所 主席エコノミスト 藤代宏一(ふじしろ・こういち) 2005年第一生命保険入社。2010年内閣府へ出向し、「経済財政白書」の執筆、月例経済報告の作成を担当。2012年第一生命経済研究所 (現 第一ライフ資産運用経済研究所)。2018年参議院予算委員会調査室客員調査員を兼務。2023年4月より現職。早稲田大学大学院経営管理研究科修了(MBA、ファイナンス専修)。
(Kyodo Weekly 2026年7月20日号より転載)
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