被服廠跡・震災記念堂|Honjo district: 画像一覧(1)
1923(大正12)年9月、本所の陸軍被服廠跡にうずたかく積まれた犠牲者のお骨と骨灰の山。被服廠跡で焼死した3万8千人と、他の地域から運ばれた遺体の合計5万人がここで火葬された。その周囲は肉親の供養に訪れた人が手向けた花で埋まり、人々はここの骨灰を分骨し持ち帰った。
1930(昭和5)年9月1日、関東大震災から丸7年のこの日、遭難死者約5万8千人の遺骨を納め慰霊する「震災記念堂」が被服廠跡に完成し、落成式を迎えた。(日本電報通信社撮影)
2011(平成23)年12月 第二次大戦の空襲などの犠牲者約10万5千人の遺骨が1948(昭和23)年から震災記念堂に改葬され、1951(昭和26)年9月、震災記念堂は「東京都慰霊堂」と名を変え現在に至っている。
1923(大正12)年9月、本所の陸軍被服廠跡にうずたかく積まれた犠牲者のお骨と骨灰の山。被服廠跡で焼死した3万8千人と、他の地域から運ばれた遺体の合計5万人がここで火葬された。その周囲は肉親の供養に訪れた人が手向けた花で埋まり、人々はここの骨灰を分骨し持ち帰った。
1930(昭和5)年9月1日、関東大震災から丸7年のこの日、遭難死者約5万8千人の遺骨を納め慰霊する「震災記念堂」が被服廠跡に完成し、落成式を迎えた。(日本電報通信社撮影)
2011(平成23)年12月 第二次大戦の空襲などの犠牲者約10万5千人の遺骨が1948(昭和23)年から震災記念堂に改葬され、1951(昭和26)年9月、震災記念堂は「東京都慰霊堂」と名を変え現在に至っている。
