吉高由里子「忘れかけていたことをいきなり思い出させてくれる」 念願の蓬莱竜太と初タッグ パルコ・プロデュース2025「シャイニングな女たち」【インタビュー】
吉高由里子が2022年の「クランク・イン!」以来、3年ぶりに舞台主演を果たす。吉高が挑むのは、日常に潜む人間の葛藤や矛盾を丁寧にすくい取り、鋭い視点の中にユーモアを織り交ぜる作風で共感を呼んできた蓬莱竜太が描く新作舞台、パルコ・プロデュース2025「シャイニングな女たち」だ。本作は、現代と過去を行き来しながら描かれる女性たちの物語を軸に、人間関係のもつれやSNS時代に生きる現代人の姿を浮き彫りにする群像劇。初タッグとなる吉高と蓬莱に、本作への思いやそれぞれのコミュニケーション法などを聞いた。

吉高由里子(左)と蓬莱竜太【ヘアメイク:中野明海/スタイリング:申谷弘美】 (C)エンタメOVO
-吉高さんが演じる主人公の金田海は、他人のお別れの会に紛れ込み、ビュッフェを食べて帰るという行為を繰り返しているという人物です。ある日、入り込んだお別れの会が大学時代の部活仲間のお別れの会だったという物語ですが、どのような発想から生まれた作品なのですか。
蓬莱 (この物語のように)知らない人のお別れの会にビュッフェだけを食べに来る人がいるという話を聞いたんです。その話から、もしそうした人が実際にいて、たまたまお別れの会に行ったら自分の知人のお別れの会で、自分だけ呼ばれていないことに気が付いたらどうなるんだろうと考えてしまって。それを吉高さんに演じていただけるとしたら、すごくワクワクするなと。(知らない人のお別れの会に行くという)その行動自体には闇がありますが、そうせざるを得ない気持ちを考えると、現代社会の隙間にふっと入り込んでしまった人なのかなとも感じ、それがこの物語を書くきっかけでした。
-吉高さんはそうした作品の話を聞いて、どのように感じましたか。
吉高 まず、本当にこういう人がいるということや、「知らない方のお別れの会にそんなに簡単に入ることができるの?」というのも単純に疑問で、いろいろと驚きました。実は、私も高校生のときに、同級生が亡くなってしまったことがあって。何度か話したことがあるという程度だったので、特別仲が良かったわけではないのですが、お葬式に参加したらすごく泣けてきたんです。目の前に魂が抜け落ちた肉体だけがあるという現実と対峙(たいじ)したときに感じた自分は生きているという実感と、その人はもういないけど肉体同士は対峙しているという不思議な感覚に戸惑ったのかなと思います。(蓬莱の脚本は)そうした忘れかけていたことをいきなり思い出させてくれる作品という印象です。
-蓬莱さんは吉高さんを主演に迎えるにあたって、どのようなことを考えましたか。
蓬莱 (吉高には)非常に素直な芝居をされる方だという印象が常々あり、それがとても魅力的だと思っていたので、今回の役はどこか人に迷惑をかけている人にしたいと思っていました。「無意識の暴力」を本人は気付かないまま、良かれと思って発露している。そこが(吉高のイメージと)合致すると新しい面白さがキャラクターに出てくるのではないかと思います。いわゆるいい人というだけではない側面があって、それははたから見ると、いい人とも言えるけど、ある人にとってはすごく被害を受けているとも言える。そういうところに無頓着な人を描けたら面白くなるのではないかと思います。
-蓬莱さんのオフィシャルのコメントに「吉高さんには闘いから逃げない強さとしなやかな明るさを勝手に感じている」とありましたが、吉高さんご自身ではそうしたところはどう感じていますか。
吉高 しなやかなところなんてないです。ビビり散らかしています。なので、なるべくせりふを減らしてほしいと願っております(笑)。まだ(取材当時は)プロットを読んだだけですが、何をさせられるんだろうと本当におびえていて。でも、人に迷惑をかけそうな女優代表ってことなのかなって思って。
蓬莱 そうじゃないですよ(笑)。そうじゃないからそうしたいんです。
吉高 それなら良かった(笑)。でも、いろいろな挑戦が待ち構えているんだろうなと思っています。
-吉高さんは「クランク・イン!」以来、3年ぶりの舞台出演になります。改めて、舞台に挑む思いを聞かせてください。
吉高 舞台は、同じ空間で同じ時を刻み、それを実感しながらお芝居することになります。なので、私の中で、舞台はとても鮮度が高いものです。日々、自分の体調をケアしていかないといけないお仕事だと実感が湧きました。
-蓬莱さんは、吉高さんとのクリエイトでどんな楽しみがありますか。
蓬莱 吉高さんを含めて、まずはこのチームがそろったときにどんな座組みになるのかということがとても楽しみです。本当にこればかりはそろってみないとどうなるのか分からないんですよ。ただ、今回は吉高さんが座長になるので安心しています。僕は演劇は楽しむべきものだと思っているので、充実した日々を送りたいですし、そうなるようにコーディネートしなければいけないという思いもあるので、全員が楽しくやれる稽古場になればと思っています。僕にとっても挑戦となる作品ですし、いろいろと悩んで作り上げていきたいと思っているので、一緒にみんなで走れたらいいなという気持ちでおります。
-蓬莱さんは先のコメントで「女性はいや応なく闘わなければならないものが多いと常々感じている」とありましたが、具体的には女性はどんなものと闘っていると思われますか。
蓬莱 まずは男性社会との闘いです。これは太古からあるものですが、例えば女性は男性社会の中で闘いにさらされて、その中で自分の居場所やアイデンティティーを見つけていかなければいけない。あるいは見つけないと不幸な女性と思われる。幸せでなければいけないというような意識がどこかある。それは情報化社会だからこそだと思いますが、幸せな生き方や充実した生き方を強いられるという意味でも、闘いにさらされているなと思います。そう考えると、内的な戦いよりも外部から戦いを要求されるということが多いですし、多様性の時代といってもその多様性の難しさという闘いも出てくる。それはもちろん男性にもあることですが、女性の方が強いられることが多い社会だと感じています。
だからこそ、女性の日常の中にはいろいろなドラマが眠っていて、皆さんいろいろな闘い方をされているので、それを作品にしたいという思いが僕自身はあります。うちの劇団(蓬莱が作・演出を務める劇団モダンスイマーズ)は僕と同い年の男性ばかりの劇団なのですが、50歳くらいの男性たちには何のドラマもなくなっていくんですよ(笑)。なので、彼らを題材に作品を描こうとしても、最近は材料がなくなってきたなと思っていたんです。そういう意味でも若い世代の人や若い女性が、これからどうやってこの時代を生き抜いていくのかに僕はドラマを感じていて、そうした作品を描きたいと今は思っています。
-そして、吉高さんはそうした闘いから逃げない女性という印象がある?
蓬莱 闘っているのか、泳いでいるのか、分からないですが、しなやかな印象があります。そうした吉高さんのあり方は、異性、同性どちらからも愛される吉高さんの魅力の大きな理由の一つなのかなと思います。
-実際に吉高さんは女性として闘っているという実感はありますか。
吉高 私は昔からある男尊女卑を目の当たりにしている世代ではないですが、男の人を立てないといけない場面はこれまでも見てきています。ただ、闘っている分、男の人が経験できないことを経験できたり、得している部分もあるとは思うんですよね。そう考えると、男性と女性、どっちが良いのだろうと考えてしまいます(笑)。「来世は男性がいいか、女性がいいか」をアンケートとってみたいですね。
-吉高さんはどちらが良いんですか。
吉高 どうなんだろう。私はおじさんのお友達が多いので、得してきたことも多いかもしれませんが、人生の後半は男性だったら楽しいのかなと思います。でも、夫が亡くなってから輝く女性も多い印象で(笑)。そうすると、結局、女性かなと思ったり…。そこで初めて「シャイニングな女たち」になるのかなとか(笑)。
-「コミュニケーション」がこの作品の一つのキーになっていますが、お二人が人とのコミュニケーションで意識していることや円滑に進めるための秘訣(ひけつ)はありますか。
吉高 円滑に進めるには「口を挟まない」こと。
蓬莱 確かにそうだね。
吉高 それから、初めての方ばかりの場所だったらあまり頑張らないようにしています。仲良くなろうとしすぎない。お互いが心地良いと思う距離感でいいんだと思います。学生時代の女友達は、その距離感を頑張ってギュッと縮めようとしてしまうからほころびが出るんだと思います。大人になると、だんだん傷つかないようにするし、傷つけないようにもする。相手も自分も守る距離感があると思うので、それは守っていきたいですね。そうはいっても、距離感がバグっていると言われてしまうこともあるのですが(苦笑)。
蓬莱 演出の仕事をしていると、話しやすい人でいることが大事なのかなと思います。話しづらいとか、ささいな質問がしづらいとなると、お互い良くないので、僕は閉じないように意識しています。閉じている人間だと思われがちなんですよ。実際にプライベートでは人と会う方でもないので、より意識して話しやすい人間になりたいと思っております。
(取材・文・写真/嶋田真己)
パルコ・プロデュース2025「シャイニングな女たち」は、12月7日~28日に都内・PARCO劇場ほか、大阪、福岡、長野、愛知で上演。

パルコ・プロデュース2025「シャイニングな女たち」















