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【Kカルチャーの視点】レジェンドたちの「朝鮮の旅」たどった写真家の藤本巧さん

▼ダンプカーで削り取られるように

 2000年代以降、エンタメからフード、ファッションまで、Kカルチャーがグローバルに発信され受容されるようになった一方、韓国の街は見違えるように変わった。こうした変化をどう感じているのか。

 「70年代のセマウル運動で、お葬式や祭り、宗教も簡素化され、文化が失われていきました。特にソウルは、ダンプカーで削り取られるようでした。ピマッコルのような文化的な道ももうありません。あっという間になくなってしまいました。」

 そこで藤本さんは、日本の在日コリアンの暮らしに密着し、在日文学の象徴・金時鐘の詩や『日本の中の朝鮮文化』を著した在日作家・金達寿の証言に自らの写真を重ねることも試みた。韓国に残る日本家屋をカメラに収めた『寡黙な空間 韓国に移住した日本人漁民と花井善吉院長』(2019)は土門拳賞を受賞した。

 「2年ほど前に済州島に行ったのですが、吹いている風は30年前も40年前も同じです。そういう場所に立つと、司馬遼太郎みたいな人なら、いろいろと湧いてくるものがあると思うんです。私も、何もない野原であれば、構想が生まれ、映像が湧いてくる。高霊(コリョン)近くの伽耶山に行った時は何もなく、それが逆に良かった。記念館などを建てられると写真が撮れないんですよ。」

▼歩キナン大道ヲ

 藤本さんにとって韓国文化とは。

 「私自身を育ててくれたものです。韓国を通じて、本来なら会えないような偉大な先生方に出会い、支えていただきました。(今の私があるのは)皆さんのおかげだと思っています。私には、(浅川巧の名前をもらうなど)生まれながらに“大道”が敷かれていました。20代の頃は言えなかったことが、年を取ってようやく言えました。」

 柳宗悦が晩年に残した「歩キナン大道ヲ」(「心偈」)の句。「坦々たる大道が、人生には用意されているのである。すべての都は、大道につながる。だが人間は無明の故に、横道にそれ、細道に迷い…」。若い頃はいろいろ迷うものだが、柳の言葉を「人は悠々と大道を歩むべき」と解しつつ、自身の人生を振り返った。

 今年は日韓国交正常化60周年。柳らの旅から約90年、藤本さんの写真旅行から55年を数える。

 「柳先生は、光化門の取り壊し計画に対して『失われんとする一朝鮮建築のために』という文章を残し、32、33歳で政府を動かしました。私もマスコミの人間ですが、“60周年”という冠だけでなく、61周年、62周年も両国が協力し続けていくことが大事だと思っています。私はやれることは十分やったので、今後は撮りためた写真を整理し、作品集にまとめていきたいと思います。」

駐大阪韓国文化院で講演する藤本巧さん

  • 駐大阪韓国文化院で講演する藤本巧さん

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