鹿賀丈史「演じることよりも感じることの方が先だったかなと思います」『生きがい IKIGAI』【インタビュー】
2024年の元旦に発生した地震で甚大な被害を受け、さらに8カ月後の豪雨によって2度目の災害に見舞われた能登で、ボランティア活動に参加した宮本亞門監督が、復興支援を目的に製作したショートフィルム北陸能登復興支援映画『生きがい IKIGAI』が、7月11日から全国順次公開される。本作で、土砂災害で崩壊した自宅の一角で孤独に暮らす山本信三を演じた鹿賀丈史に話を聞いた。

鹿賀丈史 (C)エンタメOVO
-鹿賀さんは、石川県の出身なので芸名もそこから付けたそうですが、それも踏まえた上での能登への思いと、今回の出演の経緯から伺います。
去年の元旦に能登で大きな地震があってびっくりしたのと同時に、地震が起きた後の援助がとても遅かったものですから、どうなっているんだろうという思いがありました。そういう中で、今度は水害が起きて、どうしてこんなことが続くのだろうと…。同県人としてそういう思いがありました。そんな時に宮本亞門さんから「能登の人に少しでも元気になっていただけるようなショートフィルムを撮りたい」というお話があって、僕も「やりましょう」と即答して出ることが決まりました。後から台本が上がってきて、”黒鬼”と呼ばれる山本信三という男の姿を通して、災害に遭った人がどう立ち直っていくのかを描く話でしたけど、亞門さんは人の心を捉えることがとてもうまい方なので、台本を読んでいい映画になるだろうなという思いを持って現場に入りました。
-30分ほどの短い映画の中で、山本の心の変化を表現するのが難しかったと思いますが、いかがでしたか。
山本の年齢は多分70過ぎぐらいだと思うのですが、そういう意味では、僕も今1人暮らしなので、いつ自分の身に同じようなことが起こってもおかしくないので他人事ではないと思いました。また、同年代と言ってもいいような人間を演じる中で、あの年になっても立ち直っていくという話だったので、非常にやりがいのある役でした。
-実際に演じてみて、特に印象に残ったシーンはありましたか。
ほとんど全編です。ショートフィルムということもあるのでしょうが無駄なカットがありません。でも実際には使っている何倍ものカットを撮っています。亞門さんは意外としつこいなと思いました(笑)。「今のすごくいいですね。でももう1回お願いします」というようなことをおっしゃるので、現場はとても和やかでした。やっぱりご自分で編集をすることもあって、どの辺りをどう使うおうかという考えもあったと思いますし、少しでもリアリティーのある絵を撮りたいという思いが強かったんだと思います。
-元教師で黒鬼と呼ばれていた山本ですが、彼のキャラクターについてはどのように捉えましたか。
音楽が好きで自分でギターを弾いたりもする、いい教頭先生だったと思いますが、学校側とぶつかって辞めさせられた。その後に奥さんを亡くして、どんどん孤独になっていって10数年がたち、人との交流もあまりなくなった。そういう男が2度の災害に遭い、家の下敷きになって、これでやっと死ねると。そういう気持ちはとてもよく分かる気がします。人は人との関わり合いがなくなった時は本当に孤独です。特に男性が1人で老後を暮らすとなると、孤独というのは大敵だなと。やっぱり人との関わりがとても大事なんだとすごく思います。そういう意味では、山本の心情もよく分かりました。