シナプスの機能をナノサイズの磁気メモリスタで模倣
脳の機能をハードウエアで模擬するブレインモルフィックシステムへの応用に期待
ポイント
・ 鉄-マンガン基合金を磁気記憶材料とし、原子層レベルで平坦な超薄膜を形成した磁気メモリスタを開発
・ 直径200ナノメートルの微細かつ単純な円形ピラー素子でシナプスの機能を模倣することに成功
・ 集積化に適した構造で高速動作が可能となり、将来的なブレインモルフィックシステムへの応用に期待
概 要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)ハイブリッド機能集積研究部門 山本竜也 主任研究員、野﨑隆行 研究グループ長、エレクトロニクス・製造領域 湯浅新治 上級首席研究員らは、国立研究開発法人 物質・材料研究機構 電子顕微鏡ユニット 埋橋淳 主幹エンジニア、磁性・スピントロニクス材料研究センター 大久保忠勝 副センター長らと共同で、合金の組成が数ナノメートルの周期でゆらいだ構造が熱処理によって自発的に形成される鉄-マンガン基合金の磁性超薄膜を用いることで、集積化および高速動作が可能な磁気メモリスタを開発しました。また、それらを用いて脳におけるシナプスの機能を模倣することに成功しました。
ブレインモルフィックシステムはヒトなど動物の脳における各器官の機能を工学的に模倣することで機能する新しいコンピューティングシステムで、人工知能(AI)における情報処理を低消費電力化できると期待されています。脳においてシナプスはニューロン間の信号伝達を担っており、情報の伝達を強めたり弱めたりする長期増強・長期抑圧という機能を持ちます。その機能を担う工学的な素子として、高速動作と高い書き換え耐性を持つ磁気メモリスタは有力な候補の一つですが、集積化に適した構造の検討が求められていました。
今回、磁気記憶層として鉄-マンガン基合金を用い、スピノーダル分解によって磁気記憶層中の磁化をナノメートル領域で「小分け」にすることで、段階的な抵抗制御が可能な直径200ナノメートルの微細かつ単純な円形ピラー素子を開発しました。また、開発した素子を用いて長期増強・長期抑圧を含む基本的なシナプスの学習機能を再現することに成功しました。この成果は実用的な高速動作が可能なブレインモルフィックシステムへの応用が期待されます。
なお、この研究成果の詳細は、2026年1月9日に「Advanced Functional Materials」に掲載されます。
下線部は【用語解説】参照
開発の社会的背景
ブレインモルフィックシステムは、ヒトなど動物の脳の働きを工学的に模倣することで構築されるコンピューティングシステムです。脳で多数のニューロンが同時に活動するのと同様に、ブレインモルフィックシステムではニューロン様素子が同時並列に動作するなど、脳を構成する器官の機能を人工の素子が担います。現在、大きな電力を必要とするAIの情報処理を低消費電力で行える新しいコンピューティングシステムとして期待されています。
脳においてシナプスはニューロン間の信号伝達を担っており、過去の経験を記憶し、それらをもとに伝達する信号の強度を調整する役割を果たします。具体的には、情報の伝達が強くなる「長期増強」と逆に弱くなる「長期抑圧」という機能として表現され、これらは脳の学習・記憶の基盤と考えられています。ブレインモルフィックシステムでは、この機能をメモリスタや抵抗変化メモリー(ReRAM)などのようなハードウエアレベルで学習可能な素子が担います。メモリスタやReRAMは本質的にシナプスの機能を模倣可能ですが、これをブレインモルフィックシステムに活用するためには高速動作に加えて、書き換え(情報の更新)回数の無制限化や高集積化などが必要です。しかし、現在研究開発の主流となっているReRAMの技術を応用したメモリスタは原理的に書き換え耐性に制限があります。
磁気トンネル接合(MTJ)素子における磁気記憶層の段階的な磁化反転を利用した磁気メモリスタは、高速動作と理論上無限回の書き換え耐性を実現可能な素子として期待されています。量産可能な磁気メモリ材料として現在唯一実用化されているCo-Fe-B(コバルト-鉄-ボロン)合金は磁化が一斉に反転しやすいという材料上の特性から、部分的に磁化が反転した状態を安定に保持しにくく、メモリスタ材料として機能させるためには素子を数ミクロンスケールの細線状に加工する必要があります。そのため、ReRAMと比較すると1桁以上素子サイズが大きくなり、集積化に適した構造ではありませんでした。
研究の経緯
産総研では、スピノーダル分解を利用したナノ構造制御を最先端の超薄膜形成技術と組み合わせることで、Co-Fe-B合金と同等以上の磁気抵抗比および量産性を兼ね備えた磁気記憶層材料と、その内部構造の探索に取り組んできました。スピノーダル分解は特定の合金材料において見られる相分離現象で、これを利用して磁石中で磁化をナノメートルサイズに「小分け」にすることができます。このナノ構造化によって磁化の反転が抑制されるため磁力が保持されると期待されます。今回、スピノーダル分解を示す材料として知られる鉄-マンガン基合金に着目し、量産用成膜装置を用いて磁気メモリスタ素子の研究開発を進めてきました。
なお、本研究開発は、NEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「電圧駆動不揮発性メモリを用いた超省電力ブレインモルフィックシステムの研究開発」(JPNP16007)の一環として国立研究開発法人 物質・材料研究機構と共同で実施されました。
研究の内容
MTJは数ナノメートル以下の非常に薄い膜を積層した構造でできており、わずかな凸凹や結晶構造の乱れによって電気的・磁気的な特性が損なわれてしまうことが知られています(2021年7月21日 産総研プレス発表)。一方で、均質で構造的な欠陥がない材料では一斉に磁化が反転しやすくなるため、磁気メモリスタとしての特性を得ることができません。このように、磁気メモリスタ向けのMTJでは「きれいな積層構造の作製」と「磁気記憶層のナノ構造化」という、現在の技術水準では一見矛盾した開発が求められていました。
本研究で開発した鉄-マンガン基合金のMTJの断面を透過型電子顕微鏡で観察した結果を図1に示します。MTJを成膜したウエハーを成膜装置から取り出して、熱処理を行う前の状態では平坦な磁気記憶層の中に鉄元素が均一に分布していることが確認できます。そして、特定の条件で熱処理を行うと鉄-マンガン基合金がスピノーダル分解し、磁気記憶層中に周期的な鉄元素の組成ゆらぎが現れます。ここでポイントとなるのは、明視野像の比較から分かるようにスピノーダル分解の前後でMTJのミクロな膜構造や結晶構造には変化がないということです。すなわち、本研究ではスピノーダル分解を用いることで、MTJとして求められるきれいな積層構造を保った上で磁気記憶層にナノ構造を導入できることを明らかにしました。
今回開発した磁気記憶層の磁気特性を評価した結果を図2に示します。「0」と「1」に対応した二つの磁化状態だけを利用する磁気メモリとは異なり、磁気メモリスタは磁気記憶層の段階的な磁化反転を利用します。従来のCo-Fe-B合金では1ミリテスラ程度のわずかな磁界で一斉に磁化が反転してしまうため、磁気メモリスタとして重要な、部分的に磁化が反転した中間状態を安定に保持することができません。一方で、スピノーダル分解によって磁化がナノスケールで「小分け」にされた鉄-マンガン基合金では50ミリテスラ程度まで磁化の状態が保持され、さらに磁界強度を増大することで「0」と「1」の間の状態を表現するのに必要な中間状態を伴いながら緩やかに磁化の反転が進行していく様子が確認されます。これらの特性は磁気メモリスタとして中間状態を制御し、その状態を安定に保持する上で非常に重要です。
次に、鉄-マンガン基合金を用いたMTJを直径200ナノメートルの微細な円形ピラー素子に加工して、磁気メモリスタでシナプスの機能を模倣した例を図3に示します。図3aでは、電圧パルスを磁気メモリスタに与え、パルス印加後の素子のコンダクタンスの変化を調べました。シナプスはニューロン同士をつなぎ、ニューロン間での電気信号の伝達効率(重みづけ)を調整する役割を果たしています。そして、磁気メモリスタを用いたブレインモルフィックシステムでは磁気メモリスタのコンダクタンスでシナプスの重みづけを表現します。本研究では磁気メモリスタに同じ極性のパルスを連続して与えることで、コンダクタンスが上昇する「長期増強」と、極性を反転させたパルスの連続印加でコンダクタンスが減少する「長期抑圧」を再現することができました。また、これらの長期増強・長期抑圧は幅数ナノ秒のパルスで制御できており、今回開発した磁気メモリスタは非常に高速な動作が可能であることが示されました。
さらに、ブレインモルフィックシステムでのより具体的な応用を見据えて、シナプスの前後につながったニューロンからの電気信号の到達時間差に依存してシナプスの重みづけが変化する「スパイクタイミング依存可塑性(STDP)」を磁気メモリスタで再現することを目指しました。図3bでは、ノコギリ波状のスパイク①と、極性が反対のパルスを二つつなげたスパイク②を時間差(Δt)を変えながら磁気メモリスタに与えて、その時のコンダクタンスの変化を調べました。時間差が小さいほどコンダクタンスが大きく変化し、また時間的な前後関係によって変化の向きが逆転する結果が得られています。ここでは特に、スパイク①がスパイク②の直後に「発火」すると重みづけが減少し、スパイク①がスパイク②の直前に発火すると重みづけが増大するという非対称なSTDP学習則を実証することができました。磁気メモリスタを用いたブレインモルフィックシステムでは、図3bのコンダクタンス変化を順次足し算していくことでシナプスの重みづけを更新し、学習します。
今後の予定
今回開発した磁気メモリスタをアレイ化し、実用素子として書き換え耐性や素子間ばらつきなどの特性評価を進めながら素子のさらなる微細化や集積化に向けた開発を行います。また、磁気メモリスタを用いたブレインモルフィックシステムの実現に向けて、手書き文字認識などの簡単な処理から原理実証を進め、材料開発と相互にフィードバックを行いながら研究開発に取り組んでいきます。
論文情報
掲載誌:Advanced Functional Materials
タイトル:Spinodal Magnetoresistive Memrisotors
著者名:T. Yamamoto, T. Ichinose, J. Uzuhashi, S. Tsunegi, T. Nozaki, T. Ohkubo, S. Tamaru, K. Yakushiji, H. Kubota, and S. Yuasa
DOI:10.1002/adfm.202523154
用語解説
メモリスタ
入力電圧の履歴に応じて抵抗値やコンダクタンスが変化する素子。抵抗、キャパシター、インダクターに続く「第4の受動素子」とも呼ばれ、脳におけるシナプスの機能を模倣可能な素子として次世代メモリーやブレインモルフィックシステムでの応用が期待されている。相変化メモリー(PCM)や抵抗変化メモリー(ReRAM)を用いた方式は大きな抵抗変化が得られる一方で、書き換え耐性や書き込み電圧・速度などの制御性に課題を抱えている。
ブレインモルフィックシステム
ヒトなど動物の脳におけるニューロンやシナプスの働きを電子回路や人工素子で模倣し、脳が行う高効率な演算処理をハードウエアで実現するシステム。現在主流のノイマン型コンピューティングシステムだけではSociety 5.0において予想される情報処理量の爆発的増大に対応することは困難であり、ブレインモルフィックシステムなどの新しい物理原理に基づいた高速かつ超省電力な非ノイマン型コンピューティングシステムの開発が求められている。
スピノーダル分解
固溶体において熱振動などによって生じた濃度ゆらぎを出発点として、連続的にゆらぎが大きくなっていくことで生じる相分離。一般的な相分離とは異なり核生成を必要とせず、母相と完全な整合性を保ちながら分解が起こる。
磁気トンネル接合(MTJ)
膜厚が数ナノメートルの磁石/絶縁層/磁石からなる構造を磁気トンネル接合(Magnetic Tunnel Junction)と呼ぶ。MTJ素子の両端に電圧をかけると量子力学的効果により絶縁層を通して微小なトンネル電流が流れる。その流れやすさが両側の磁石の磁化の相対角に依存して大きく変化する現象をトンネル磁気抵抗(TMR)効果という。一般に磁化が平行で低抵抗、反平行で高抵抗となる。一方の磁化の向きを固定し、他方(磁気記憶層)の磁化の向きを反転させて情報の記録を行う。2004年に産総研が開発した酸化マグネシウム(MgO)を絶縁層に用いたMTJは巨大なTMR効果を示すため、本研究成果およびさまざまな産業応用で用いられている。
プレスリリースURL
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2026/pr20260109/pr20260109.html

















