『物語りの遺伝子 “忍者”を広めた講談・玉田家の物語』(8)百年ぶりの復活へ 四代目が掲げた三つの大願
YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった——。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。

2016年に四代目・玉田玉秀斎を襲名させていただくことになり、途絶えておりました玉田家が、じつに百年ぶりに息を吹き返すこととなりました。
この大役を預かったからには、現代において必ずや成し遂げねばならぬ三つの大願がございます。今日は、その物語をお聞きいただきましょう。
▼ヒーロー忍者を復活させたい
まず一つ目は、三代目・玉秀斎たちが講談速記本・立川文庫などで世に送り出した“ヒーロー忍者”の復興です。
明治の大阪・船場は、西洋より最新の印刷機械が舞い込み、速記術が発達し、講談速記本が次々と出版されました。そのなかでも、人々の胸を躍らせたのが、猿飛佐助(さるとび・さすけ)、霧隠才蔵(きりがくれ・さいぞう)。まさしく国民的ヒーロー忍者の誕生でした。
ならば、玉田家の名を掲げ、船場をヒーロー忍者発祥の地として盛り上げようと、講談会を定期開催しようと決意しました。
ところが、場所のあてがない。…と思ったその時でございます。いつものごとく訪れました“たまたまの奇跡”!
先代・玉秀斎が生きていた頃、船場に建てられた登録文化財・青山ビルの地下1階<北浜RONDO>を、玉田家の本拠地として使わせていただけることになりました。
ここで今も、立川文庫の続き読みなど、毎月講談会を開催しています。
▼神道講釈と京都講談をよみがえらせたい
二つ目は、神道講釈の復興と、途絶えてしまった京都講談の再興です。
玉田家の始祖・玉田永教は、全国を巡り歩き、その土地の物語を神道講釈として語り、京都の下鴨神社近くの私塾で多くの弟子を育てた人物でした。ところが、時代の流れのなかで、神道講釈も京都講談も途切れてしまっておりました。
あてはなかったのですが、ここでもやはり“たまたまの奇跡”が起こりました。
全国の神職有志が集う永職会の40周年記念事業で、各神社に必要とされる物語、あるいは各社に伝わる物語を神道講釈として語らせていただく機会が舞い込んだのです。
神道講釈を現代においてどう解釈したらいいのか悩み、元春日大社権宮司の岡本彰夫(おかもと・あきお)先生に伺いますと、「それは人を幸せにする物語」とのお言葉でした。
この一言に大変納得いたしました。永教は、人々の不安を取り除くためにその土地の物語を用いて講釈していたのです。
さらに、京都講談復活に向けても、何のご縁もなかったのに、また“たまたまの奇跡”。
JR京都駅構内という最強の立地・京都劇場で、京都講談復活プロジェクトを定期開催していただけることになりました。
こちらで語っているのは、京都ゆかりの物語。京都は、物語の舞台がすぐ近くにあるので、そのまま町歩きをしても面白そうだということで、京都町歩きのプロ、らくたび代表の若村亮(わかむら・りょう)さんにご協力いただいています。
若村さんの話を伺っていると、同じ通りでも、時代によって異なるエピソードが次々と出てくる。つくづく「京都は、歴史のミルフィーユやなぁ」と思っています。
京都を知ると、今までと違った日本の歴史が見えてきます。京都にお越しの際は、ぜひ京都劇場にお立ち寄りくださいませ。
▼玉田家の後継を育てたい
三つ目は、玉田家後継の育成。
幸いなことに、玉山くんという弟子が一人、現在頑張ってくれております。
彼はお芝居の経験があり、自ら物語を書く才も備えている。ならば、玉田家の「創作こそ伝統」を身に着けてもらおうと、毎週の講談会で“自分の人生を物語る”修行を課しました。年に50週、一年目で50本の新作講談を作り出しました。
すると、思いもよらぬ効用がありました。
たとえ本人には“負の記憶”だったとしても、人前で物語り、お客様が受け止めてくださると、それは一本の“ネタ”として価値を持つようになるということ。
お笑い芸人は、悪いことが起きたり失敗したりすると「ラッキー。ネタできた」と言うのと同じことが、講談でも起こるのです。
辛い経験が、語ることで他者を喜ばせる物語に変わる。まさに負を正に転じる講談の力。この当事者しか語れない講談は、これまた“たまたまの奇跡”で始まったビッグイシュー講談会で、ホームレス経験者にも語っていただいております。
この“当事者講談”が進化して生まれたのが、玉山くんの大ヒット講談『水曜どうでしょう講談』シリーズ。見事に玉田家の精神を受け継ぎ、新たな地平を切り開いてくれております。
今後の成長が、これまた楽しみでございます。
◆四代目・玉田玉秀斎
玉田家は幕末、京都を拠点に活躍した神道講釈師・玉田永教の流れをくみ、三代目玉秀斎は『猿飛佐助』『真田十勇士』『菅原天神記』『安倍晴明伝』などを世に広め、明治大正期の若者に大きな影響を与えた。四代目玉秀斎はロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、逆に日本に興味を持ち講談師に。英語講談や音楽コラボ講談、地域に残る物語に光を当てる“観光講談”に力を入れ、ホームレス経験者への取材を元にしたビッグイシュー講談、SDGs講談など創作多数。さらに文楽や吉本新喜劇、地域の伝統芸能とのコラボ公演も多い。2024年3月三重大学大学院修士課程「忍者・忍術学コース」修了。2024年4月より和歌山大学大学院・観光学研究科後期博士課程にて研究中。















