下関で「灯台」テーマに講演会 ~日本の繁栄を支えた近代化遺産~

 船の航行に欠かせない灯台。島国、日本では3,000基以上の灯台が、海の安全を守っている。その灯台をテーマにした講演会が、海上交通の要衝、関門海峡に面する山口県下関市で、10月24日に開催された。下関市にある近代化遺産と併せて紹介する。

▼「灯台」テーマに講演会

 講演会は、全国近代化遺産活用連絡協議会(略称・全近)の主催で企画された。全近は、幕末から第二次世界大戦までの間に、日本の近代化に貢献した産業・交通・土木に関連した建造物である「近代化遺産」の保護・活用に取り組んでいる。

 講演に先立ち、前田晋太郎下関市長から「さまざまな視点で灯台の魅力を語ってほしい。近代化遺産を地域資源として活用するための第一歩となれば」と期待が寄せられ、海上保安庁第七管区海上保安本部の江口満本部長は「灯台を管理する者として、関連装備の保守、管理をして未来につなげたい」と述べた。

 演題を「ブラントンの灯台の設置個所と建築的特徴について」として、東京工業大学の藤岡洋保名誉教授が講演した。リチャード・ヘンリー・ブラントンは、1868年にイギリスから来日した灯台技師で、9年間の滞在中に30基の灯台を建設したとされる。
 ブラントンが関門海峡などに建設した洋式灯台について、藤岡氏は「イギリスやフランスなどの列強国が、香港や上海から神戸や横浜への定期航路を整備するために建てられた」と指摘。さらに「明治政府も近代化には、灯台の重要性を認識していたが技術力がなかった。そのため海外の灯台技師を頼った」と解説した。
 また、当時の日本では強度の低いレンガしか入手できなかった点に触れ、「構造を二重円筒にするなど、耐震・耐風への配慮が見られる」とブラントンの業績を評価した。

 藤岡氏の講演に続いて、灯台の歴史を研究する星野宏和氏、フリーペーパー「灯台どうだい?」の不動まゆう編集長を加えて、「重要文化財に指定された灯台の今後の展望について」と題したトークセッションが行われた。
 星野氏は「灯台は地域の宝。後世につなげることが使命だ」とし、不動氏は「地元の灯台も愛してほしい」と参加者に呼びかけた。

 ブラントンが設計し、1872年に点灯した部埼灯台の見学会で、講演会の登壇者に灯台にまつわる話を聞いた。発言内容の要約は下記の通り。

(藤岡氏)
・灯台は、一見すると単純な構造物でみんな同じに見えるが、形状がほっそりしているため丈夫でないといけない。設計者はいろいろな工夫が必要で、建築的に面白いテーマだ。
・海上保安庁が11月1日に立ち上げた、灯台の文化的価値を守りながら地域振興に資する民間の取り組みを支援する「航路標識協力団体制度」の活用も、今後灯台の維持に重要になる。

(星野氏)
・明治時代初めから日本全国に建てられた灯台は、海外から多くの人や物の運搬に活用され、日本の近代化に貢献した。
・灯台の歴史を知ることで、地域や人々の物語を知ることになり面白い。

(不動氏)
・灯台の魅力は、地域の歴史を背負っている点、建築物としての文化な側面、夜に海へ放たれる素敵な光だろう。
・時間帯によって灯台が見せる表情が変わる。おすすめは日没ごろ、点灯してレンズが回転する瞬間で、それを見るときっと灯台が好きになる。
・灯台が持つストーリを展開することで、観光面にも資することができる。

▼ベージュ色の美しい灯台

 講演会の翌日、部埼灯台と並んで関門海峡を航行する船にとって重要な灯台の1つ、「角島灯台」を訪ねた。灯台が建つ離島には橋でつながっていて、車のCMロケ地に採用されるなど、絶好の景色が味わえる。

 角島灯台は下関にある近代化遺産の1つで、部埼灯台と同じくブラントンが設計に携わった。日本海側で初めて造られた洋式灯台として1876年に点灯。145年経った現在も、関門海峡や日本海を航行する船舶に活用されている。
 海抜13メートルと低地に建設されたため、塔の高さは30メートルになる。内部に105段のらせん階段があり、踊り場まで登れる。海上保安庁門司海上保安部交通課の二宮誠課長は「踊り場からの景色が素晴らしい」と観光スポットとしてもアピールする。

▼下関の名物料理

 下関市の北部に位置する角島灯台から市街地への帰路に立ち寄りたいのが、川棚温泉街。この地域の名物料理が「瓦そば」で、その知名度は今ではすっかり全国区となった。
 熱した瓦の上に焼いた茶そばを載せ、具材に牛肉と錦糸卵を盛り付ける。さらにその上から薬味として、刻みネギ・のり、スライスレモン、もみじおろしをトッピング。茶そばと具材を一緒に、温かい麵つゆにつけて食べる。

 下関では角島灯台のほか、「旧下関英国領事館」や「旧秋田商会ビル」、「下関南部町郵便局」などの近代化遺産を見ることができる。

▼現存する最古の領事館

 下関で初めて領事館を開設したのがイギリスで、1901年に小さな日本家屋が使用された。5年後の1906年、現在の「旧下関英国領事館」に新築移転した。
 本館はレンガ造りの2階建てで、1階は領事らの執務室、2階は住居だった。北側には厨房や使用人の部屋、石炭庫などの付属屋が配置された。領事館として建てられた建物としては国内最古という。
 戦争により時局が悪化したため、1940年に領事館としての役割を終えた。その後は派出所や考古館として利用されたのち、現在は旧領事室を再現した展示室やカフェスペースが設けられている。藤澤博隆館長は「気軽に立ち寄って、歴史の勉強をしたり、カフェで休んだりしてほしい」と話す。

▼西日本最初の鉄骨鉄筋コンクリート事務所

 1915年に和洋折衷の建築物として竣工したのが「旧秋田商会ビル」だ。「西日本で最初に鉄骨鉄筋コンクリートで造られた事務所で、1階は洋風な内装の事務所、2階と3階は書院造りの住居や宴会場として使われた」と下関市観光施設課の黒田真奈美氏は解説する。
 木材取引や海運業を営んでいた秋田商会は、最盛期には中国や朝鮮にも進出していた。1階の展示エリアでは、創立者の秋田寅之介に関する資料が見学できる。

▼現役最古の郵便局舎

 旧秋田商会ビルの隣には、「下関南部町郵便局」が建つ。1900年に、当時の赤間関郵便電信局が新築移転した建物だ。レンガ造りの2階建てで、ルネサンス様式が取り入れられた。
 1975年に現在の下関南部町郵便局が設置され、郵便局として使用されている建物では、国内で最も古いという。1999年には耐震・改修工事が完了し、正面入り口のアーチ型欄間飾りや屋根の軒飾りが復元され、建設当時のレトロな雰囲気が再現された。

 旧下関英国領事館から旧秋田商会ビル・下関南部町郵便局までは、100メートルほどの距離なので3つの施設を徒歩で見学できる。いずれも入場料金は無料。

▼関門海峡を守る要塞

 下関市内と関門海峡を一望できる火の山公園。この場所の地理的な特性から、外国船の襲来に備えて要塞が築かれ、大砲が設置されていた。
 下関市教育委員会教育部文化財保護課の中原周一主任は「敵艦との距離を測る観測所や発射指示を出す指令室、砲台跡が残る。これらも近代化遺産といえるのではないか」と解説する。

▼身近な近代化遺産を探して

 古くよりアジア大陸からの玄関口として栄えた下関エリア。外国との交流の舞台となった領事館や、その交流のインフラとして船の航行を支えた灯台が、日本の近代化に重要な役割を果たした。
 近代化遺産には、現在も稼働する鉄道施設や建築物もある。皆さんの周辺の近代化遺産を探して訪れてみては。新たな発見があるかも知れない。

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