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失われた統治能力―〝外圧〟による森氏辞任劇

 東京五輪・パラリンピック組織委員会・森喜朗会長の失言を発端とする騒動は、森会長の辞任で決着した。

 失言の内容は、論評の余地もない差別的なものであったから辞任以外の選択肢はなかったはずだろう。しかし、問題の発生以来、組織委員会も菅義偉政権も発言を聞き流し、簡単な謝罪会見で切り抜けられると楽観していた。国際感覚の欠如が明白であり、男女共同参画などのこれまでの政府の取り組みが、まったく口先だけであったことを露呈させたことは間違いない。

 それだけではない。菅首相は当初は、失言を問題視せず、内外の批判の高まりに押されて、しぶしぶ「国益にとって芳しいものではない」との遺憾の意を表明した。それでも辞任を求めるべきではないかという問いかけには、「人事は組織委で決める。私は判断を尊重する立場だ」と拒絶してきた。

 ここには、政府が統治能力を完全に失っている姿が現れている。確かに、制度的には独立した公益法人の人事だから、当該機関の手続きに従うのは正論に見える。しかし、この「わきまえた」説明は、国からの多額の補助金が投入されている東京五輪の中核組織である組織委員会に対して、政府がとるべき対応とはいえない。

 人事権がなくとも、海外のスポンサー企業や国内の有力企業からも辞任を求める声が出たことからも分かるように、国民の税金が投入される以上、資金の出し手として明確な意思を示す責務があるはずだ。責任逃れに終始する首相の姿はみじめだ。

 制度的な基盤が違うが、昨秋問題となった学術会議の会員任命権問題では、これまで政府答弁も、前例もわきまえずに、首相は自らの任命権を振りかざして任命拒否を強行し、多額の税金が投入されていることで介入を正当化した。

 そうであれば、学術会議より桁違いに多額の国費が投入される東京五輪に関わる問題に口を閉ざして良い訳がない。政府は組織委員会の判断に丸投げせず、制度的な制約なども「わきまえない」明確な意思を示すべきだった。しかも、後任人事には一転して露骨に介入した。「判断を尊重する」はずではなかったのか。二枚舌は、菅首相の得意技だが、一貫性がなければ政治への信頼は戻らない。

 決着をつけたのは、〝外圧〟だったといってよい。国内からの批判の声だけであれば、これまでの不祥事と同様に、うやむやに流せると考えていたのだろう。与党の幹事長は「撤回したのだから問題ない」と公言し、ボランティアの代わりはいくらでもいると、うそぶいていた。

 そうした姿には日本が失った国際的信頼の重大さに対する危機意識が欠如している。外圧によってしか大事な問題への対応を決められないとすれば、もはや政府の存在意義すらない。

(東京大名誉教授 武田 晴人)

 

(KyodoWeekly2月22日号から転載)

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