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露骨な権力的な介入の狙い―喜んでいるのは誰だ?

 学術研究の現場で、立て続けに異常な出来事が起きている。

 日本学術会議の会員選出問題だけではなく、東京大や筑波大の学長選挙では、選考過程の不透明性が学内から指摘された。学長選出は、独立法人化した際、学内外の有識者で構成される選考委員会による選考に改められた。ただ、実質的には大学構成員の意向調査が尊重されてきた。ところが、その前例が踏襲されず、恣意(しい)的なルール変更や意向調査無視が試みられる。

 「前例を踏襲しない」ことで改革者のイメージを演出する菅義偉内閣にとっては喜ばしいことかもしれないが、手続きを無視して恣意的な人事が行われ、選考基準も明示されない点では、学術会議会員選出と同じ構図になる。

 学長選出方法について、以前から政府は問題視し、それが独立法人化の際の制度改正につながっている。2014年に京都大では学外の選考委員が主導し、意向調査投票を廃止しようとした。

 この時には学内からの激しい批判によって意向投票廃止は阻止されたが、こうした形で学長選挙に強い影響を及ぼしたいと政府は常に機会をうかがっていたのだろう。そこに大学自治の尊重という考えはかけらもない。

 あきれたことに、今度は故中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬に合わせ、文部科学省が全国の国立大学などに弔意表明を求める通知を出した。政府は「要望であり、自主的な判断に委ねる」と説明しているが、こんな通知を出すこと自体が、行政府の権限を超えた逸脱だという認識は薄い。

 一連の出来事の基盤には、権力を握る側の「自己尊大化」がある。任命権や選出権を持つ者は、本来であれば民主的な手続きによって選ばれた候補者を尊重する責務がある。

 しかし、実際には、その権限を振りかざして恣意的な人事を行うことで、自らの権力を確認したい欲求を抑えられなくなっている。その行為には当然説明責任が生じるが、政府が率先して説明責任を果たさないのだから、誰もそれに倣(なら)って口をつぐむ。

 学問の自由の問題と構えるつもりはない。学問に真摯(しんし)に向き合っている学者たちがこんなことで、自らの研究の在り方を変えるとは思えない。アカデミズムは、それほど脆弱(ぜいじゃく)ではなく、人事では従順な羊に変わることない。学問の尊厳は揺るがない。

 それでも露骨な権力的な介入を試みた菅政権の意図は、どこにあるのか。

 過熱する議論の中で喜んでいるのは、選挙違反の裁判中の被告たち、公文書改ざんに関与した財務省の関係者であるかもしれない。そうならば、菅政権の論点ずらしは成功している。しかし、人事権を振り回してイエスマンばかりを集めた政権が、古来、長続きした例はない。

(東京大名誉教授 武田 晴人)

 

(KyodoWeekly10月26日号から転載)

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