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「これからの2週間」―いらない美しい言葉

 「これからの2週間」という言葉を何度と聞かされたであろうか。次の2週間が「重大局面」とか「分岐点」とか、さまざまな表現で、政府は小刻みに時期を区切ってきた。

 緊急事態宣言の前には、まだそこまで切迫していないと、宣言回避のための2週間であったが、5月連休明けを控えて、緊急事態を延長する時も2週間ほどはまだ様子を見る必要だとの説明であった。

 判断の差が生じる理由について明確な説明がないままに、新型コロナウイルスの感染が確認できるとされる2週間は、打ち出の小づちのように、対策を強化するときにも緩和するときにもブレーキ役を担っている。爆発的な感染を防ぐために慎重であることは必要だが、そうだとすれば、宣言の遅れ、逡巡(しゅんじゅん)は、慎重にすぎた政策判断の失敗と認めるべきだろう。

 慎重姿勢が休業補償などの問題への取り組みにも悪影響を与えている。休業の指示などが知事の権限で行われる限り、政府が補償にまでは責任を負わないということのようだ。しかし、緊急事態宣言を実効あるものにするためには、広範囲の事業活動の制限が必要なことは説明を要しない。だから、宣言を出しながら休業補償にはそっぽを向く政府の無責任は指弾されてよい。

 補償によって多額の負担を財政に課した戦犯として歴史に名前を残すことを、安倍晋三首相は避けたいのかもしれない。しかし、大事なことは、直面する生活難について政府ができることを具体的に説明し、国民に安心を与えることであろう。美しい言葉はいらない。具体的な措置が泥くさくても求められる。

 自粛を求めるだけの対策では、第2次世界大戦中に政府が国民に「ほしがりません、勝つまでは」と一方的に負担を強要したことを思い出させる。

 国民に犠牲を強いるだけの戦時体制の再現は誰も望まない。歴史の研究では、第2次大戦中の国民生活水準の低下が日本だけが際立って大きく、独裁的とされるナチス・ドイツでは生活水準は維持されていたことが明らかにされている。それは、民主主義の成熟の差にあったと言われている。

 戦後政治の総決算を標榜(ひょうぼう)する現政権がつくり出しているのは、戦時の逼塞(ひっそく)した暗い時代と同じものである。その時代にも戦争指導について政治指導部は自らの責任を回避し続けていた。この点でも、現在の政治家たちの態度と共通する。

 新型コロナとの戦いを戦争とみるのであれば、それは政府が先頭を切って戦うことを必要とする。しかし、責任を地方自治体の首長に押しつけ、解決策として国民の自粛を強調しているだけである。指揮官が戦線のはるか後方で右往左往している。そんなことでは戦局を転換することは、できないことを国民はもう十分に分かっている。

(東京大名誉教授 武田 晴人)

 

(KyodoWeekly5月18日号から転載)

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