東京オリンピックへの思い

映画(東京オリンピック)の宣伝が印刷された当時のマッチ箱(筆者撮影)

 この夏、1年の延期を経てようやく東京五輪・パラリンピックが開催される見込みである。

 新型コロナウイルス対策として、各国選手団はワクチン接種を受ける予定で、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は選手村に入る選手の80%がワクチンの接種を終える見通しであると発言している。

 一方、五輪・パラリンピックをコロナ禍で開催する必要があるのかという意見も多い。

 個人的には、命が優先と考えるが、ワクチンの効果が信頼できるものであるならば、万全の対策で開催する選択肢があるのかもしれない。

 結局のところ、終わってみないと開催自体の正否は誰にもわからず、多くの人は、期待と不安が交錯しているのではないだろうか。

 従って、ここで開催の賛否には触れないが、筆者がニュースや日々の光景を見ていて感じることは、今回の五輪・パラリンピックを国家行事として、国と一体となって成功させたいと考えている国民はどれくらいいるのだろうか、ということだ。

 1964年の東京五輪開催時に筆者はまだ生まれていなかったが、過去の映像特集や記事などを読むと、国民のオリンピック開催を願う行動をしばしば目にする。

 現在のごみ収集制度の定着に貢献した地域全体で町を清潔にしようとする行動や、選手以外の来日外国人のホームステイ受け入れへの協力など、ほのぼのするシーンがたくさんあった。

 また、閉幕後には映画化までされるという盛り上がりがあった。高度経済成長期の最中、日本の戦後復興を世界に示したいという国の思いや、今までに見たことのない外国人との遭遇といった未知の世界への好奇心、また日本という国を恥ずかしくない姿で世界に見てほしい、という国民の思いが東京五輪成功への原動力となっていたことは間違いないだろう。

 では、今回の東京五輪・パラリンピックへの国民感情はどうなのだろうか。

 もちろん、平和の祭典をわが国で開催できることへの誇りはあるだろう。しかし、開催に向けての貢献という意味では、前回の東京五輪と比べて格段に見劣りする。

 コロナ禍では控えているが、今や自由に世界に飛び出すことはできるし、技術の進1964年で、どこにいてもリアルタイムで世界の出来事がわかる現代では、オリンピックといえども珍しいものではなくなっている。それに、当時とは時代背景が異なり、「国民の1人として」といった感情を持つようなイベントは減っている。

 政府や自治体は感染を防ぐために、飲食店へ営業時間短縮要請や、国民全体に路上立ち飲みの禁止などを訴えているが、効果は少ない。

 筆者は毎日同じ道を通り帰宅するが、週末近くになると、いつもと同じ顔ぶれが立ち飲みで盛り上がっている。宴会離れが進んでいるといわれる若者世代も、立ち飲みでは気の合う仲間だけで盛り上がることができるようである。

 昔と今とどちらが良いかという比較は無意味だが、少なくとも国の一大事に無関心な国民が増えていることは確実なように感じる。

(アジア太平洋研究所 総括調査役兼研究員 芝田 健二)

 

(KyodoWeekly7月5日号から転載)

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