「口福の源~食料」「おいしい記憶」

食卓のアユ(筆者撮影)

 おいしさとは人がそれぞれ個性を持つ唯一の存在であるのと同じく、一人一人感じ方が異なる感覚であることは以前このコラムでも書きました。

 そして情報化社会はおいしさの閾値(いきち)にも影響を及ぼしているのではないかということにも触れました。

 食べることは新陳代謝によって再生される身体組織の素材を供給することですが、同時に満足感から来る精神的な安定、不安の解消という効果もあります。その効果の程度を決定づけるのが「おいしさ」なのでしょう。だからこそ人はより大きな満足感を求めて「おいしさ」を追求してきたのです。

 人の味覚には塩味、甘味、酸味、苦味、うま味を感じ分ける機能があります(辛味、渋味は味ではなく刺激だとされています)。塩味は身体活動に必須ながら過剰摂取は害にもなるのでまさに塩梅(あんばい)を促す感覚、甘味、うま味は食べても大丈夫なもの、体のためになるものを示す感覚、そして酸味、苦味は元々腐敗や毒の警告としての感覚だといわれています。

 さらに人には嗅覚があります。甘い、香ばしい、酸っぱいなどは香りからも判断できます。この五味と香りのバランスがおいしさともいえるわけですが、そこに定石があるわけではありません。

 食べるときの体調、精神状態、気候などの環境や、素材の生育状況や鮮度などによってこのバランスは刻々変化します。「おいしさ」とは本来一期一会なのです。

 そこに時間の積み重ね(経験値と言ってもよいでしょう)という要素が加わることである程度おいしさのバランスが定着することで郷土料理など地域の特色ある味覚が生まれたのでしょう。

 誰でも記憶に刻まれた味や香りがあるのではないでしょうか。それに出合うことでタイムスリップをしたような感覚を覚えることはありませんか。私はみそ汁の香りがすると、夕暮れの路地裏の情景がフラッシュバックすることがあります。少年時代、山あいに日が落ちるころ、どこかの家から夕飯のみそ汁の香りが漂ってくると「早く家に帰らなきゃ」と思った、その時の自分に戻った感じがするのです。私たちキッコーマンではそれを「おいしい記憶」と呼んで、とても大切なものだと考えています。刻まれた記憶は楽しいものばかりではないでしょう。悲しい、辛い、悔しい、安心した、落ち着いた、励まされた、さまざまな情景が味や香りとともに思い出されて、時に反省し、時に思いを新たにしながらその人の人生を豊かにしていくのが「おいしい記憶」だと思うのです。

 物質的には豊かに見える現代、食べることの本質をもう一度考えてみませんか。そうすることで何が本当に「おいしい」のかが見えてくるのではないでしょうか。80年生きるとして単純に一日3食取るとすると8万7600食。1食1食を大切に、おいしく食べたいものです。

 コラム「口福の源」に拙文を掲載いただいて2年余り、ここで一度筆を置きたいと思います。これからも食と向き合い、研究を進めてゆく所存です。ありがとうございました。

(キッコーマン 国際食文化研究センター 山下 弘太郎) 

 

(KyodoWeekly7月5日号から転載)

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