あの日の〝闇鍋〟から10年 石巻市で、実験的な街づくり

 東日本大震災で最も犠牲者が多かった宮城県石巻市。そこで、「世界で一番面白い街づくり」を掲げ、イベント、教育、移住などさまざまな活動を展開している、ISHINOMAKI(イシノマキ)2.0の松村豪太氏が震災の発生から10年の節目に、これまでとこれからを語った。(編集部)

これまでに本誌に掲載された松村氏の記事

 ISHINOMAKI2.0は、東日本大震災の震源地に最も近い自治体から、“面白い地方”のモデルを作ろうという実験的なまちづくりの取り組みである。がれきに囲まれる中、限られた材料で作った鍋を囲んで、ヘドロから掘り起こした酒を酌(く)み交わし未来を語り合った“闇鍋”がその活動の原点だが、そこから間もなく丸10年が経過しようとしている。

 3年前の3月、本誌においてわれわれの取り組みを紹介させていただく機会を得た。その際は「震災7年、石巻市からの報告」と題し、われわれの活動の“中間報告”という体裁をとらせていただいた。

 その後も毎年3月付近に同様の機会をいただき、2019年には被災地で生まれている“とりあえずやってみよう”精神の可能性について、2020年には“ポスト3・11”という切り口で震災前後からの社会の動きに関する考えを述べさせていただいた。

 災害発生から10年が経過し、テレビや新聞は多くの被災地特集を組んでいる。10回目の今年3月11日といっても、1秒1秒連続する“毎日”の一つにすぎず、まだまだ生活や生業(なりわい)の再建に見通しが立たない方の中にはこれを機会に置いていかれるのでは、という不安を抱く方もいるかもしれない。

 それでも人にとって節目というものには、それまでを振り返り、一息つき、前へ進むために有用性があるのだろう。私もこのタイミングで改めて近況報告をさせていただこうと思う。

 まず、宮城県石巻市としての10年目であるが、3月に「石巻南浜津波復興祈念公園」「石巻市複合文化施設(まきあーとテラス)」という二つの大きな公共施設がオープンした。特に公園については基本構想・基本計画の委員をつとめたこともあり思い入れも強い。

 施設ができたことは前向きなニュースだが、それを活用・運営していくことには責任がともなう。毎年巨額の維持費が必要となるからだ。

 また、そうしたことは今後の石巻市全体としてもいえる。インフラの立て直しなどにこそ莫大(ばくだい)な公的資金が手厚く充てられたが、ここから石巻市は自力で“経営”していかなければならない。

 

主力事業3本柱

 

 次にISHINOMAKI2.0としての現在地を語りたい。

 2011年の発災前、“失われた20年”と称されるようなわが国の閉塞(へいそく)感は特に地方で顕著であったが、われわれは震災以前の状態に戻すのではなく、オープンでクリエーティブなまちを新たにつくりたいと考えた。

 被災したビルの壁をスクリーンにした野外上映会、DIYで空き店舗を改修したバー、フリーペーパーの発行など、“のろし”を上げるアウトプットをイメージしながら次々とプロジェクトを実施してきたが、3~4年目くらいからはそうした活動を通じて、特に注力すべきと思ったテーマにリソースを集中してきた。それは、まちを“教室”に、面白い大人の生き方を“教科書”に見立てた「教育」、地域のリソースと丁寧に向き合う「コミュニティー」、そしてローカルベンチャーや移住促進、関係人口づくりを企図する「地方創生」の3本柱である。

 財源については、設立当初メンバーのポケットマネーがほとんどで、次に復興系の補助金や助成金、5年目くらいからは委託事業や自主事業の収益事業によるところの割合が高くなっている。

 メンバー構成も変化してきている。設立当初は地元の若手経営者らと首都圏の専門家がフラットにつながってスタートした。専門家たちには現在でも理事やコアメンバーとして力を発揮していただいているが、設立当時、若手建築家や学生だったメンバーは石巻に移住して活動を続け、また、5年目くらいからは地元由来のスタッフが徐々に加入するようになった。現在ではUターンを含めて石巻生まれのスタッフが6割を超える。

ISHINOMAKI2.0 スタッフ構成推移

 教育については、当初、学校の教室だけでは物足りないような“出るくい”を伸ばすプログラム「いしのまき学校」として実施してきた。そこでは参加高校生が海外に渡ったり、AO入試で優秀な大学に進学するなど一定の成果を得ることができた。

 一方、教育事業を担当するメンバー(彼は北海道出身、教育系の学部、メーカーを経て2013年から参加したIターンだ)が、石巻というフィールドでの活動を通して、このまちの若年離職率の高さなどに彼なりに問題意識を持ち、一部の“出るくい”だけでなく、より多くの高校生たちに働くことや学ぶことの楽しさを伝えるべきだと考えた。

 彼は、域内の企業に参加を呼びかけ、毎回20社程度の若手社員が高校生とそれぞれ車座になって語り合い、就職相談室にある書類だけではわからないリアルなキャリアイメージや社会生活への期待を抱いてもらうべく考案した「ミライブラリー」というプログラムを宮城県内の多くの学校で学年全生徒を対象に行ったり、石巻市内の高校数校で総合的な探究の時間のサポートを行ったりしている。

石巻市内の高校で行った「ミライブラリー」

 コミュニティー事業としては、市全域を16地域に分けて自治組織を立ち上げる石巻市の政策「地域自治システム」において、われわれは2013年ごろから先行して2地域における立ち上げ・サポートを行っていたが、昨年からは新たに1地域を請け負っている。こちらは2017年から参加した若手メンバー(彼は東京からのUターンを経て石巻市内のレンタルビデオ店で働いていた)がほぼ1人で担えるまでに成長してくれた。

 地方創生的な事業としては、復興支援をきっかけとした移住者らが立ち上げた魅力的な“ローカルベンチャー”を支援するほか、石巻市への移住促進に取り組んでいる。「移住コンシェルジュ」を担当するメンバーは地元出身のUターンで東京で演劇活動を行っていた。その経験や人脈を生かしてISHINOMAKI2.0とは別の“2枚目の名刺”的な取り組みを行い、コミュニティーFM局での番組や地元紙での連載を持った他、今や地域の定番イベントともなった「いしのまき演劇祭」を立ち上げている。

三陸情熱界隈が制作した冊子

 他に地方創生事業としては、3年前から周辺の気仙沼市、南三陸町、東松島市といった自治体のまちづくり・移住推進団体と連携した「三陸情熱界隈」というネットワークを立ち上げ、昨年は空き家を切り口に“界隈”の魅力を発信した。

 移住コンシェルジュ担当のメンバーに表れているように、われわれはパラレルキャリア的な活動の仕方や、独立することを推奨している。これまで、団体メンバーが自分の看板で事業を始めた事例は10件以上あり、彼らの活躍は大変誇りに思う。

 ISHINOMAKI2.0を参考に自分の故郷でもまちづくりを行いたいとコミットしたメンバーは数年の活動を経て岐阜県中津川市へと戻り、一般社団法人ヒガシミノ団地という団体を立ち上げた。かつての宿場町ならではの地域資源を生かし、ゲストハウスをオープンさせるなど素晴らしい活動を展開している。

合同会社「巻組」が空き倉庫を改修したスペース

 3年前の本誌で原稿を共に記した渡邊享子氏の合同会社「巻(まき)組」は活躍の度合いが著しく、手掛けた物件は35件にのぼる。“絶望的空き家”をリノベーションしてワーケーションも視点に入れたゲストハウスを運営しているほか、近時は、空き倉庫を改修してコワーキングのショールームをオープンさせたばかりだ。

 以上、ISHINOMAKI2.0の近況報告をさせていただいた。

 

「利他」の精神

 

 今、10年前には想像もしなかったような感染症の脅威に世界が覆われている。自然災害と疫病、災厄の種類は違えど共通するところも多いように思う。それは放射能やウイルスという見えないものへの恐怖、そこからくる混乱と分断だ。震災直後、“不謹慎”や“自粛”といった言葉が世間を覆っていた。あるいは被災地の人間に対して科学的根拠のない誹謗(ひぼう)や中傷も少なからず見られた。

 しかし、それ以上に、自らの利益を顧みず「利他」の精神による新しい動きが生まれ加速したのも事実である。新型コロナウイルス感染症がオンラインやリモートワークなど来るべき未来を先取りさせているように、3・11もシェアやインクルージョン(包摂)、サステナビリティーといった、人や社会が進化すべき方向へと時計の針を進めている。震源地に最も近い場所で、多くの方と活動を共にした時間を振り返り、次に向けてしっかりと経験を生かす節目としたい。

【筆者】

一般社団法人ISHINOMAKI 2.0 代表理事

松村 豪太(まつむら・ごうた)

 

(KyodoWeekly5月3&10日号から転載)

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