「言の葉の森」歯医者さんで考えた

写真はイメージ

 5年ほど前から通っている歯医者さんがある。院長先生はとても腕がよく、歯科衛生士さんたちはてきぱきとしていて美しく、行くのが楽しい場所だ。でも実は、通い始めた当初からずっと気になっていることがある。

 それは、先生も衛生士さんたちも皆一様に、口を開ける指示を出す際に「あいてくださーい」と言うことだ。先生、なぜ「あけてくださーい」じゃないんですか?

 「開(あ)く」は自動詞、「開(あ)ける」は他動詞。前者は「窓が開いている」などと目的語なしで状態などを表す時に使い、後者は「お母さんが窓を開けた」などと多くの場合、目的語を取って動作や行為を示す。歯医者さんの指示は「口を」という目的語を伴って動作に関するものだから、「開けてください」が普通だ。「救急車が通ります。道を開けてください」とは言うが、「救急車が通ります。道を開いてください」とは言わない。

 でもそのうち、このフレーズはここの歯科医院の伝統なのかな、と思うようになった。先生のソフトな語り口とラテンな人柄で、「皆さん、あけてと言うと命令っぽくなるから、あいてと優しく言いましょうねー」とオリジナルのルールでも作っているのかと。

 その後も、「あいてくださーい」と言われるたびに気になってはいたが、結局その疑問を口にすることはなかった。

 しかし昨年、大学病院の歯科で簡単な検診を受ける機会があった。すると、なんとそこの歯科衛生士さんも、「あいてくださーい」と言ったのだ!

 あおむけになって口を大きく開けながら、「これは歯科業界全体の共通言語だったのか? 私はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない…」と考えていた。

 その数カ月後、いつもの歯科医院で思い切って聞いてみた。「あの、なぜ『あけてください』とは言わないんですか?」―。先生も衛生士さんもキョトンとした顔をして、先生は「変かな?」と言った。

 この薄い反応を見て、そもそも私の疑問の出発点が間違っていたのかもしれないと考え込んでしまった。もしかすると、こういうことか? 歯科医師も歯科衛生士さんも、相手にしているのは口の中の歯であって、それを所有する人間ではない。人間に対して動作を指示するなら間違いなく「開けて」だが、口さんに向かって、「開いている状態になってね」と語りかけているのだとしたら―。

 口さんに向かって言っているのだから、口はもはや目的語ではなく、自動詞における主語になっているということになる。

 皆さん、これどう思われますか?

(毎日新聞社 校閲センター 湯浅 悠紀)

 

(KyodoWeekly3月1日号から転載)

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